93.replay
梅宮は特別、お喋りな方ではない。
聞けば応えてくれるし、霊に関わることであれば、丁寧に教えてくれるが、岩の出っ張りに腰掛けて、煙草を吸っている時は、考え事をしているような気がして、声をかけなかった。
真剣な面持ちで「この鏡欲しいなあ」とぼやくので、それほど難しいことを考えてるわけではないのかもしれないが、自分の時間を大事にしたい時もあるだろう。
それに、そういう時はあからさまに、帽子の妖精をソレイユへ寄越して、遊び相手にさせてくるのだ。それはそれで、妖精との戯れも楽しいので、ソレイユは満喫していた。
梅宮が、ふうっと煙を吐き出しながら「ちょいとお前さんら」と小さく声をかけるので、二人して目を向ければ、彼は指を立てて、静かに、と合図した。
すぐに、反響音が聞こえてきて、誰かが向かって来ていると分かる。
追い払うように梅宮が手をヒラヒラさせるので、ソレイユは光球を抱いて鏡の後ろへ隠れた。どうせ梅宮以外には見えないだろうから、隠れる必要はないのだが、彼のプライベートな要件かもしれないので、気を使ったのだ。
『今度こそ、お別れかもしれませんね』
だいぶこの妖精の表情が見えて来たもので、ソレイユにはこの光が今首を傾げたのが見えた。微笑ましくて思わず笑い声を漏らしてしまう。
梅宮の邪魔をしてはいけないと、パッと自分の口を塞ぐ。
その時、よく知る声が響いた。
「共に過ごす約束を破ったばかりか、他の男と密会だなんて、キミは酷いな」
ソレイユは反射的に鏡から顔を出して、状況を確認する。
明らかに物凄く怒っているアスラが、少女を魔力で拘束し、敵意の全てを、梅宮へ向けている。
会話を聞かないようにしていたので、何故このようなことになっているのか、ソレイユにはわからなかった。ただ、アスラの腕の中にいる少女を見て、彼女が今の生まれ変わりなのだと思う。
そこでようやく、ソレイユはハッとする。
梅宮が言っていた尋ね人は彼女のことだと今になって気づき、そんな彼女にこんな接触をしたのであれば、アスラが怒るのも無理もない。もっと早くに気づいていれば、梅宮に助言ができたかもしれないのに、相変わらずのろまな自分に不甲斐なく思った。
肝を冷やしながら、様子を見守っているソレイユは、胸に抱いたままの妖精を手放し、梅宮の助けになりそうなことを探して欲しいと頼んだ。
妖精は飛んでいき、アスラ達の周りを旋回する。何かに気づき、点滅した。
合図を察した梅宮は、余裕を見せつけるように腰掛けて、アスラへ言葉を投げていく。
一部始終を、ソレイユは息を呑んで見つめていた。
話の内容が、彼女の持っている封筒の話に移ると、抵抗し拘束を抜け出した少女とアスラが口論を始めた。
「心配なんだ」
「いいえ、あなたは私が心配なのではなく、自分が不安なだけでしょう?」
場違いにも、ソレイユは『わあ』と感心する。自分だったら、アスラからあんなに必死に言われたら、折れてしまうかもしれない。心配してもらえることは有り難くもあるから。だが、彼女ははっきりと自分の思った事を恐れず、整然と告げて、格好いいと感じた。
ソレイユのズレた感想など知らず、アスラは言い返し、二人の口論はエスカレートしていく。何もできないからこそ、ハラハラとした気持ちで見届けていると、少女が踵を上げて、アスラの言葉を塞いだ。
姿勢が崩れて、さっきまで見えていなかった二人の姿がはっきりと見える。
アスラが誰かとキスをしているところなんて、初めて見た。
きっとソレイユのいないところで、経験はあるのだろうし、ソレイユだってアスラはとても優秀な悪魔だから、悪魔の間でも人気が高いことは知っている。ただ、実際に目の当たりにしたことがなかったから、なんとも言えない衝撃が襲ったのだ。
彼の怒気は失われて、甘さと切なさを含んだ表情になると、見知らぬ他人のように感じられて、ソレイユは恥ずかしくなった。
これ以上見ていられなくて、初めて、目を逸らす。
それからの会話は、よく聞こえなかった。
要件を終えたらしい梅宮は、ソレイユのことなど梅雨知らず鏡を名残惜しそうに眺める。なので、妖精が怒り出して『何か気の利いた言葉をかけてやれ!』と催促した。煩わしいので、梅宮はそれを散らすように追っ払って「そんなに心配なら、自分で慰め」と返す。
それに、下手に声をかけるより、今は一人で落ち着きたいのではないかと、梅宮は思った。
妖精はソレイユをいたく気に入ったらしく、此処に残ると言い、梅宮は帽子が軽くなって良いと思いながら適当にあしらう。
そして、声をかけないかわりに、その遺体に敬意を持って、手を合わせて黙祷した。
落ち着いた頃に、点滅する光が視界の端に映り、ソレイユはハッと正気に戻る。
『あなたは……ええと、そういえば、お名前を知りませんでしたね、帽子の妖精さん』
チカチカしているけれど、何を言っているかはわからないので、苦笑して『うーん、ごめんなさい。わかりません』と返した。
『梅宮さんは、どうされたのでしょう? 帰られた、のですか?』
イエスとノーで答えられるように聞いてみると、妖精は頷いた。
挨拶ができなかった事を申し訳なく思いながら、彼なりの気遣いだとわかるので素直に有り難く思っておく。
『あなたは、梅宮さんと、一緒じゃなくて良いのですか?』
妖精は何度も頷いてから、ソレイユの頬へぺったりと抱きついた。
好意を一心に示してもらえて、じんわりと嬉しくなる。
『ふふ、あったかい。ありがとうございます』
ソレイユはいい事を思いついたように、妖精へ尋ねる。
『あなたがよければ、あなたのことを、ララ、と呼んでも良いですか? 私の妹の名前なのです。可愛らしいところが、よく、似ていて、思い出してしまいました』
妖精は嬉しそうに飛び跳ねた。
それを了承と受け取ったソレイユは、何でもないのに何度も、何度も『ララ』と名を呼ぶ。自然と懐かしさが込み上げて来た。
『ララは、泣きぼくろがチャーミングで、きっと、大きくなったら、とても綺麗な子になったのでしょうね。髪はサラサラで柔らかくて、よく、お揃いの髪型やお洋服で遊んでいました。でもやんちゃで、悪戯っ子で、ふふっ同じ歳男の子との喧嘩にも負けない逞しい子で』
思い出すために、目を閉じて想起する幼い妹の姿。
ふっ、と息をついて、目を開けると、ぼやけていたはずの妖精の輪郭が、思い起こした妹のものとそっくりになっている。
驚きで言葉を失うソレイユを揶揄うみたいにララは笑って、くるくると彼女の周りを飛び回った。
まるで、失くしたものを一つ、取り戻せたような気がして、ソレイユは嬉しくて涙をこぼした。
翌日、地下室にまた足音が響く。
ひょっとして梅宮が、置いて行ったララを迎えに来たのではないかとも思うが、足音がまるで違う。梅宮の下駄の音は特徴的だ。
でも、アスラとも違う、軽く控えめな足音。
鏡の後ろからこっそり覗き見ると、昨日の少女がそこにいた。
鏡に映る遠い景色を眺める瞳は、羨望に満ちている。それに触れてみたい好奇心と、決して届くことはない現実の間で、ただ食い入るように、映し出される光景を見ることしかできないのだ。
憂を含み、淡い光を纏った鏡の膝下に座る少女の姿は、幻想的で美しく、ソレイユは魅入ってしまう。
そうしていると、ふっと目を逸らした彼女が、ソレイユの方を見た。
一瞬目があったように感じて、びくりとしたけれど、それは気のせいだったらしい。少女はソレイユに気付かず、しかし鏡の奥の空間に気付いたらしい。
亡霊を通り過ぎて、少女は聖女の棺まで足を運んだ。
「ソレイユさん?」
『えっ?』
ひと目見ただけで彼女が呟くので、ソレイユは驚く。アスラが見た目の特徴を話していたとしても、この暗闇の中、パッと見ただけでわかるものだろうか?
「……アスラさん達は、まだあなたを必要としてるんですね」
棺に手をかけ、呟かれる言葉。
独り言のようでいて、眠るソレイユへ話しかけるみたいにも思えてソレイユは不思議に思う。
他人の人生を覗き見るのは気が引けたけれど、ソレイユは言葉の意味が気になって、少女の手に自らの透ける手を重ねた。
とめどない記憶が流れ込んでくると、ずっと忘れていた、赤く、黒い、暗幕の幻想を思い出す。
彼女がソレイユを知っていたのは、すでに一度、相対しているから。
無意識の暗黒から掬い上げるように、ソレイユは全てを思い出し、優しく微笑んだ。
『ありがとうございます、向日葵。私の欠片を、届けてくれて』
届かないと分かっていても、どうしても口にしたかった。
完成されたようなソレイユの意識は、向日葵のこれまでを知って、彼女の見た魂の記憶も知って、もう、何も惜しくないと思えた。全てを彼女に委ねられる、今の心地はとても清らかで、穏やかだ。
しかし、そんなソレイユの意識を知覚できない向日葵は、思い詰めた顔で吐露する。
「ここの人達のためを思うなら、すぐにでも終わらせたほうがいいんでしょうね」
『あなたが、私達に尽くす必要は、ありませんよ』
「でも、そうしたらきっと、私は選ばれないんだろうな……。私は、死ぬと分かってて選べるほど、できた人間じゃないから……ソレイユさんだったら迷わないのかな」
『そんなことは! 私だってきっと、選べませんよ。それに、真に人の為を思うのならば、死を厭わないという考え方は、間違っていると、私は思うのです』
聞こえていないだろうけれど、丁寧に応えていく。
向日葵の方は、想いを吐き出せて勝手に自分で整理ができたのか、ふっと笑みを浮かべて、一歩下がった。
「だから、まだもう少し悩んでみます。真剣に向き合って、必ず私の答えを見つけます。言葉を託してくれて、ありがとうございました、ソレイユさん」
『あなたはあなたの、望む道を進んでくれれば、私は十分です。こちらこそ、真摯に向き合ってくれて、ありがとうございます、向日葵』
軽やかな足取りの少女を見送りながら、変化の兆しを感じる。
思えばソレイユでさえも、終わりを諦めて、変わりない日々を甘んじていたところに、このところ、新しい風が吹いている気がするのだ。
それをもたらしたのは、紛れもなく向日葵だ。
仮に彼女が今、ソレイユの託した想いを、胸に秘めたままでいようとも、彼女もまたこの館での時間をやりすごす選択をしたとしても、向日葵はきっと、変化を与える種を残していく。
それが芽吹くのが後何人先の生まれ変わりになるかはわからないけれど、でも、希望の芽は確かにあるのだ。
ソレイユはその日が今からもう楽しみで、隣で浮遊するララに笑いかけた。
回想がおわらなかっっっった……ので次回おかわりします。
でも次回は実質現在の話になるので回想は終わりなのでは……?
ソレイユ視点、もう一話だけ続きます。今度こそ、本当に本当です。
いくつかの梅宮の不思議な動作(空気を散らすとか)の理由が霊と戯れてた事をちゃんと描けたのでまあ満足です。




