88.それぞれの居場所
「嫌! 嫌です! ち、近寄らないでください!! 向日葵ちゃんは眠ってるだけなんですから!!」
「フェロメナ、落ち着いて……」
嗚咽を交えながら、フェロメナは庇うように横たわる向日葵の体に覆いかぶさっている。悲鳴にも似た叫びで、近づこうとする者たちを威嚇した。
ヴェロニカとアヤメは、困り果て、どうにかフェロメナを引き剥がせないか悩み、宥めようと言葉をかけている。
「向日葵ちゃんは必ず起きますから……ぐすん、連れていっちゃだめなんです……! だって、そうじゃないと、こんなの、あんまりです……!! うう、ううう!」
「フェロメナ、わたくし達は何も今すぐ向日葵様を弔おうとしているわけではなくて……」
「ならあっちに行っててください! 向日葵ちゃんにこれ以上変なことしないでください!」
「参ったなあ……肉体の保護をしておきたいのに……」
音のしない少女の器を目の当たりにしたフェロメナは、ただひたすらに泣き喚き、半狂乱状態になっていた。
他の住人たちが、大切な少女を埋めてしまうのでは無いかと疑心暗鬼に陥った彼女は、近づく全てを拒絶している。
劇場の眠りとは違い、心音も呼吸もない向日葵に、フェロメナとて何を意味するのかは理解していたが、とても受け止めることは出来なかった。
扉を隔てた部屋の外、寝室へ入る機会を失ったアスラは、ただ中の音に耳を傾けながら、侍女の兎の悲痛な訴えに、過去の自分達を重ねて見ていた。
失った事実を受け入れられず、必死に縋りつこうとする感情には、覚えがある。
しかし、彼の中に渦巻いたのは、憐憫ではなく嘲りだった。客観的に捉えられるからなのか、あるいはその末に訪れる歪みを知っているからか、なんにせよ、自らの過去を含めて、アスラは馬鹿馬鹿しいと思ったのだ。
聞き耳を立てるものが居るなどつゆ知らず、室内でのやり取りは続いていく。
「わた、私、どんな罰だって受けます……向日葵ちゃんと二度とお喋り出来なくてもいい……それで良くなってくれるなら、さよならでもいいんです、だって、向日葵ちゃんには幸せになってほしいから」
「向日葵様は、自ら望んでそうなられたのですよ、フェロメナ。貴女がそう、悲しんでいては、向日葵様もきっと困ってしまいますわ」
「いいんです! もうたくさん困らせてます! だって、此処に向日葵ちゃんを連れてきたのは私なんです! 家族と会えなくて向日葵ちゃんを悲しくさせたのは、全部私なんです……でも、だから、私は向日葵ちゃんを幸せにしたくて……う、ううう」
「フェロメナが連れて来なくとも、僕らが連れてきたさ。貴方一人の責任じゃない」
「私は、ひどい兎なんです……向日葵ちゃんは、将来、おじいちゃんのお店を継ぎたいって夢があって、ケーエーの勉強ができる進路を悩んでて……そんな、しっかりやりたいことがあった事、知ってたのに……私、私……ただ向日葵ちゃんとお喋りがしたいってだけで、深く考えてなくて……帰りたいって眠っちゃった時、大変なことをしちゃったんだって、やっと気づいて、だから、向日葵ちゃんがここに残るのを選んだ時、絶対、幸せにしなきゃって……!」
家族と過ごしていた時の姿を、言葉を、知っているからこそ、フェロメナは誰よりも、向日葵の現状を嘆き、自責の念に駆られていた。
ヴェロニカにも、よく似た後悔がある。
あの会談の日、自らが抜け出していなければ、何より平和を望んだあの聖女を、失わなくて済んだのではないか?
自身の行動の結果が、悲しみを生み出してしまったような罪悪感、それは簡単に拭えるものではない。ヴェロニカは掛ける言葉を失った。
そんな中、アヤメは凛とした佇まいで、フェロメナに近づく。
普段なら礼儀を重んじるアヤメが、珍しく乱暴に、フェロメナの肩を掴み、向日葵の体から引き剥がした。
「貴女だけが悲しいだなんて思わないで!」
初めて聞く怒声にびくりとして、フェロメナは驚きで固まった。ヴェロニカも初めて感じる圧に慄き後退る。
「ここに勤めるわたくし達は、聖女様のことを存じ上げませんもの。ただ此処へ来たお嬢様方と向き合うだけ。何度も拐かしの罪を負い、別れ、その度に胸を痛めた……フェロメナ、貴女は幸運だわ、その痛みに苦しむのは、これが最初で最後なのですから」
「うう、ううう、ぅああ」
言い返したかったけれど、言葉にならない呻きだけが、フェロメナの口からこぼれ落ちる。
せめてもの抵抗に、掴まれた肩を振り払おうと暴れるけれど、アヤメは力強く押しとどめた。
「いいこと? その嘆きはご主人様方も嘗て抱いたに違いない痛みですのよ。本来であれば、遂に果たされた悲願を、悩むまでもなくお選びになられてもおかしくないのです。でも、まだそうなさっていない。あの方も揺らいでおいでなのです。わたくし達に出来るのは、ただ祈りながら選択を見届けることだけですのよ」
「も、もし向日葵ちゃんを選ばなかったら、どうすればいいんですか……私、もう、こんなに悲しいのは嫌です、耐えられません……」
「……なんにせよ、まだ、どうなるかわからないことだらけですのよ。いいですか、フェロメナ、ヴェロニカ様が今此処へ来たのは、少しでも可能性を残しておくためです。向日葵様のお体に害がないよう、守らなければなりませんからね。その邪魔をするのは、貴女にとっても良いこととは言えないでしょう?」
「そう、なんですか?」
フェロメナがハッとしてヴェロニカを見た。
急に視線を向けられたので、彼はおずおずと頷く。それを見て、フェロメナの瞳からボロボロと雫がこぼれ落ちた。
「私、ばかで、何も分かってなくて……ご、ごめんなさい」
その場で泣き出した彼女を、アヤメが宥めるように優しく撫でる。
一瞬チラリとヴェロニカへ目を向けて、意図を察した魔法使いは、その隙に横たわる少女の器へ時を止める魔法を掛けた。肉体の劣化はこれで防げるだろう。
「向日葵様とフェロメナのことはわたくしにお任せくださいまし」
「ありがとうございます。では、僕はこれで」
そう告げて部屋の外へ出ると、アスラと目があう。
ヴェロニカは扉を閉めてから、中にいる二人へ聞こえないように小さく声をかけた。
「盗み聞きなんて、貴方らしくもない」
「入るタイミングを逃しただけさ」
「今ので尻込みしてるということは、まだ悩んでるんだね」
「……嗚呼」
それだけ返して、視線だけで場所を移すことを促せば、ヴェロニカは彼の意志を汲みその足取りを追う。
ダイニングまで来て、席には掛けずに対面した。
「皆から向日葵のことを聞いて回ったが、私の知らないことばかりだった。一緒に過ごしていたというのに、私は彼女のことをまるで分かっていなかったようだ」
「近いほど見えなくなるものもあるでしょう。僕たちだって変わりない……アリオが、ソレイユ様のことをあんな風に考えてたなんて思いもしなかったよ」
「……ヴェロニカ、お前はどう思う?」
「……久々にそう呼びましたね」
魔法使いは苦笑し、一拍の間を置いた。
「アリオの言い分にも一理ある。だから僕なりに考えて出した答えは……アスラ様には悪いけど、僕にとって一番優先したいのは、アリオの気持ちの方だなって。あの子がソレイユ様を目覚めさせたくないっていうなら、僕もそれに同調するよ」
「お前は、相変わらずだな」
「単純な話です。僕が縋ったのは、唯一の居場所なんですよ。ソレイユ様があまりに暖かかったからあの頃があるべき場所なんだとずっと勘違いしてたんだ。改めて思えば、僕を救った本当の光はアリオだから、あの子の隣が、僕が居たい場所。まあ、あの子の拠り所がソレイユ様だったから、あながちあの方の側が居場所というのも、間違いではないけれど」
「……ともあれその意志は、私が尚もソレイユを選ぶとしたら、止めるという表明か?」
「いいえ。あくまでもこれは僕の気持ちです。この件に関して、選択権はアスラ様にありますから。……妹へ害を成すのであれば別ですが」
ふっ、と笑みを浮かべてヴェロニカが付け足した一言に、アスラも息が抜ける。
正直なところ、フェロメナとアヤメの話を聞いて、その上でヴェロニカからもソレイユを選ぶことに否定的な意見を向けられて、気が重くなっていたのだ。
いつも通りに努めようとするヴェロニカに、アスラは胸の内で感謝したが、言葉にはしなかった。
代わりに「ヴィーと真っ向から争うのは御免被るな」と失笑する。
魔法使いは困ったように笑いながら「その呼び方、いい加減やめてください」と返した。
「古馴染みとして、真剣に向き合おうとする貴方へ助言するなら……いいえ、殆ど僕の想像に過ぎないけれど、ソレイユ様も向日葵さんも、アスラ様が心から選んだ答えであれば、喜んで受け入れてくれると思いますよ」
「どうかな。私はどちらを選んでも責められるような気がするよ」
「利己的な悪魔らしい発想ですね」
「そうだな……私は悪魔だ。悪意には慣れている。いっそ、糾弾してくれた方が気楽だと思うくらいだ」
「尚の事、ソレイユ様は責めませんよ。アスラ様はもう、十分自分を責めてるんだから。向日葵さんはどうか知らないけど……うーん、そういう辛気臭いところを責めるかもれませんね」
少女に対していい加減なヴェロニカの想像へ、アスラが呆れる。
「お前の中で向日葵はどういう印象なんだ……」
「少なくとも、清廉潔白なお嬢様ではないでしょう。賢しいし、きっぱりしてる」
言われて確かに、アスラは呆れたままに笑み、「なるほどな」と。
ヴェロニカは「でしょう?」と揶揄うような笑みを返した。
集中更新してるからかブクマが増えてわー!うれしい!という気持ちです。ありがとうございます。
流行りの縦長カラー漫画の背景を描くという仕事を始めました。難しいけどやりがいもやりごたえもあり勉強にもなります。でもめちゃめちゃ忙しい。
ひだまりの続きも隙間時間にぼちぼち進めていきたいです。




