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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第四章 フィアレス
81/102

81.egoism

「向日葵ちゃん、旦那のこと好きじゃろ?」

「…………」


 梅宮から預かったリストの解答を渡して、それを一瞥した彼は開口一番に告げた。

 向日葵は目を伏せて沈黙を貫くが、それはなによりも雄弁なる解答であると言わざるを得ない。


「自覚はありゆうが。ほーん、つまり前の相談っちゅうのはそういうことだったがじゃ?」

「いえ、いいえ、断じてそれは違います。や、少しは確かにそういう面もあると思うけど、これはその、そういう対象として私を扱うのが彼だけだから、必然的に意識してしまうというだけで」


 あげつらう言葉が(かさ)むほど、梅宮は可笑そうにくくく、と笑みをこぼした。大笑いを堪えている様子に、向日葵はますます墓穴を掘ってしまった羞恥に包まれる。


 梅宮の部屋の場所を覚えた向日葵は、今度は空いた時間に一人で訪問した。

 足はまだ固定されているが、疲労がすっかり取れたようで、今はもう抜け目ない様子を取り戻している。そのためか、介助の必要がなく、ダヤンも平常の仕事に向かい席を外していた。

 ベッドの横の壁には松葉杖が立てかけられていて、ひょっとすると、もう杖を付けば歩けるのかもしれない。驚異的な回復速度だが、只人ではないというのだから、そうおかしな話でもないのだろう。


「嬢ちゃんの言うことにも一理あるき、無理もないじゃろ」

「とりあえず、核心的なことはアスラさんには言わないでください……」

「そこは旦那が出す追加報酬次第じゃ」

「そこをなんとか……とっておきのお話を提供しますので」

「ほお?」


 梅宮の目の色が明らかに変わる。アスラの言っていた、わかりやすい、という意味が良くわかり、向日葵は胸中で納得した。


「というよりも、元々この話を交えて、梅宮さんに相談に乗ってもらいたかったんです」

「まーた、相談かぁ……儂の仕事じゃないがじゃ」

「保護責任者の務めということで」

「前も言った通り、気の効いた助言はできんがよ」

「強いて言えば、いくつかお願いしたいことがあるので、それを守ってくれるだけで結構です」

「ふうん?」


 興味深げに、梅宮は思案する。

 一応、というように、今一度「契約上、この館に不徳な事はできんがよ?」と確認を取る。向日葵は頷いた。


「ほんなら、まずはその、とっておきっちゅうがを聞くかのう」

「梅宮さんは、劇場の化物(けもの)をご存じですか?」


 梅宮は苦笑をこぼし、「ああ」と。


人伝(ひとづて)に聞いたことがあるがよ」

「そこで観たことをお話しします」

「……生憎(あいにく)と、嬢ちゃんがここへ来がんかった場合の世界なら、儂もしっちょるき」

「いえ、演目についてではなく、劇場でのことです」

「これでも情報屋ぜお。基本的な噂話は知っちゅうよ」


 呆れたように返す梅宮へ、向日葵は含みを持った笑みを浮かべる。

 そうして、詳しい内容は省きながらも、魂の記憶についての話を聞かせた。

 梅宮も驚き、すぐに彼女の話を黙って聞き入れる。時折相槌のような息を漏らした。

 聴き終えた梅宮は、難しい顔で、小さく唸る。


「アリオさん……この館の赤い髪の女性にもこの話をしました」

「要するに向日葵ちゃん、協力者が欲しいっちゅうことがじゃ?」

「話が早くて助かります」

「……向日葵ちゃんはそれでええが?」


 アリオと同じような反応をするので、向日葵は苦笑した。


「ずっと悩んでるんです。私にはそこまでの理由があるのかどうか」


 少女自身が答えを決めあぐねていることに、梅宮はそれ以上何もいうことができなかった。ただ一つ、先日の「迷わないように」という言葉の意味を察する。


「でも、理由がわからなくとも、誰も持ち得なかった手段を、私だけが持っている……」

「手段を持っちゅう者の責任とでも思っちょるが?」

「そうすべき理由は、未だわかりませんが、純粋に、私が此処のみんなを大切に思っているから、悲しい思いを繰り返して欲しくないんです」

「それで悲しむ者が居ったとしても?」

「……難しいですね。でも、私が知らん振りをしたら、次はいつこの機会が訪れるのか? ひょっとしてその前に、みんなの方が壊れてしまうのではないか? 梅宮さんは、この場所が、本当に永遠にこのままでいられると思いますか?」


 投げられた問いに、緩く首を振った。

 正直に言えば、この場所はもう、ほとんど壊れているのだ。この館の主人とて、正常な悪魔とは程遠い。叶いもしない契約を継続して、彼自身が叶うはずもないと諦めながらも、それでも手を伸ばし続けている。全く非合理で、不条理で、悪魔的ではなく、その歪みはむしろ、極めて人間的なのだ。

 いずれ綻びは広がり、全てを瓦解させる。今は誰もその軋みに気づいてない。もしかすると、崩壊のその時まで、誰一人気づかないのかもしれない。なぜならその劣化は、実に緩やかで、途方もなく時間をかけて、少しずつ、波が岩肌を削るように、ゆっくりと、溶かすように、変化しているものだから。


 向日葵は儚げに、遠くを見つめて微笑する。

 そして、館の住人たち、一人一人を想起して、大切な思い出を反芻(はんすう)する。

 フェロメナは大事な家族、少し抜けてるけど、そこに癒されることもある。アヤメはとても気遣いの出来る素晴らしい人。ユウキは優しくて心温かく頼り甲斐がある。ダヤンは生真面目でいつも一生懸命なところに感心する。ルカはぶっきらぼうながら思いやりがあって気楽に過ごしやすい。レイラのパンは美味しいしマイペースな性格にいつも元気づけられる。レフは親切で話がある時は必ず仕事の手を止めてくれて礼儀正しい。オリガは言葉遣いが辛辣だけど、人心に敏感でさりげない配慮ができる。

 アリオはソレイユを知る中で唯一、向日葵を向日葵として見て、扱い、気難しいところはあるけれど、決して、悪意を持って向日葵を傷つけたりしない、心優しい人。

 ヴェロニカは向日葵の気持ちや意志を汲んで、尊重してくれる、丁寧で、親切で、繊細なところも多いけど、誠実な人。


 アスラは……。

 彼の顔を思い浮かべて、すぐにやめる。

 向日葵は口元に笑みを残したまま、目を伏せて呟いた。


「それに、悲しむかどうかを決めるのは、アスラさんです」


 梅宮は声に出さず「そりゃあそうじゃ」と肩をすくめた。

 向日葵は両手で自らの頬を、軽くペチンと叩き、それで気を取り直したのか、その目には揺るぎない決意の光が宿っている。それを見咎めた梅宮は苦笑した。


「勝手に話して、勝手に答えを出しちゅうが」

「知らないんですか? 相談って、殆どの場合答えが決まってるんですよ。ただ、誰かに聞いて欲しいだけだったりして」

「時は金なり。決まっちゅうならつべこべ言わんと動きぃ」

「言ったでしょう、幾つかお願いがあるんです」


 そうして向日葵は、上着の内ポケットから手紙を取り出し、梅宮へ差し出した。


「家族宛なら、この足じゃしばらく渡せんがよ」

「いえ、預かってて欲しいんです」


 受け取った封筒の宛名を見て、梅宮は「周到じゃのう」とぼやく。

 そのままそれを懐にしまうので、心得たということだろう。


「彼が迷わなければ、棄てて構いません。ただ、もし迷うようなら、判断材料は多い方が良いでしょうから。劇場の件も、その時までは秘密にしておいてください」

「ま、たいしたアドバイス出来んかったお詫びじゃ、嬢ちゃんのそんくらいの頼みは聞いちゅうよ」

「ありがとうございます」


 要件を終えたので、短く別れの言葉を告げてから席をたつ。

 扉に手をかけたところで「そうだ」と向日葵は振り返った。


「今度、館のみんなで写真を撮ることになったんです。梅宮さんも参加しませんか?」


 彼は呆れたように失笑し、「考えとく」とだけ応えた。


 少女が退室して暫く、梅宮が退屈そうに本を読みながら、片手間に、サイドテーブルに置いていた絡繰箱の蓋を閉めた。

 程なく、アスラがノックもなく部屋へと押し入る。


「おい、梅宮。向日葵と何を話していた?」

「旦那、過保護は良うないぜお」

「防音の小細工……会話が聞こえないのはこの箱の仕業か」

「流石旦那、お目が高い。顧客情報は守られるべきもんじゃき、よう使うがよ」


 それは持ち主のいる場所を内とし、壁を隔てた向こう側を外とすることで、箱の開閉状態で音を内と外で分断する遮音の魔法が宿っている呪物。

 梅宮は秘匿性の高い会話を行なう際は、この箱を利用することがある。今のように自分から動けない場合は特に重宝するのだ。


「まあいい、お前の生業(なりわい)を思えば妥当だ。それで、向日葵とは何を?」

「そうじゃ、この前の内緒話の駄賃に、旦那から頼まれてちょった件を聞いたがよ」

「ほう……?」


 にこやかに、梅宮は向日葵から返されたあのリストを取り出す。

 アスラは、そういうことかと得心し、落ち着きを取り戻した様子で「それで、向日葵はなんと?」と仔細を促した。

 梅宮は内心で「チョロいなあ」と思いながら、少女との約束通り、核心を避けて、ただリストの項目一つずつの解答を示した。

 聴き終えたアスラは、向日葵の好みから次はどう籠絡していくかを思案しているようで、楽しそうに考え込んでいる。

 この情報から、自分が意識されていると思わないらしい悪魔の様子に、梅宮は呆れた息をついた。まあ、直球に好意を示されているわけではないからこそ、当人にとっては盲点なのかもしれない。


 アスラのその様が、あまりに能天気に思えた梅宮は、苦い笑みを浮かべて、独り言のように、しかし確実に、この悪魔へ言葉を投げかけた。


「旦那は自己犠牲についてどう思う?」

「なんだ、藪から棒に」

「ちょっとした世間話じゃ。こう、一人で過ごすんも飽きてきちゅうき」

「私とお前は協力関係にあるだけで友人ではない。和気藹々と話すことはないだろう」

「さっき嬢ちゃんとそんな感じの話になったき、旦那の意見も聞いて見たいがじゃ」


 向日葵のことを出せば、アスラは「ふうん?」と言葉を飲み込む。

 梅宮も大概、仕事に対してわかりやすいが、アスラも自らの大切な存在に対しては非常にわかりやすい。


「なぜそんな話になった?」

「読んじゅう本にそういう展開があったき、意見交換じゃ」

「向日葵はなんて言っていたんだ?」

「くく、そがなことくらい自分で直接聞いた方が早いぜお」


 はぐらかされた気になって、一瞬むっとしたが、しかし、梅宮の言葉もその通りだ。むしろ、向日葵との話題を提供してくれたことは素直にありがたい。


「そんで、旦那はどう思う?」

「自己犠牲、だったな。全く愚か極まりない行為だろう」

「ほお。どうして?」

「その犠牲の上に立つ者のことを考慮していないからだ」


 アスラの言葉は、身に覚えがあるニュアンスで、ひょっとすると、聖女の死と重ねているのかもしれない。

 献身の末に命を賭した彼女は、しかしその儚い犠牲の末に、何も成すことはできなかった。

 仮に彼女の死の末に真に平和が築かれたとしても、彼らの胸中を支配するものに、違いはないだろう。

 ソレイユが自ら命を絶ったとは思っていないし、そんなことは良く理解しているが、理由はどうであれ、残された者の痛みは何より知っている。

 だからこそ、アスラは犠牲というものを、決して美談とは思えなかった。


 愚かと言いながら、侮蔑や軽蔑の感情はそこになく、痛切な悪魔の言に、梅宮は「なるほど」と相槌を打つ。


「儂は、当人がそれで良えが思っちゅうなら、別に構わんと思うがよ」

「勝手な言い分だな」

「そうじゃ。“自己”犠牲じゃき、勝手で上等。命の使い方も自分のことは自分にしか決められん。他人の心配なんて二の次じゃあ」


 言われて、アスラは初めて、自らこそが犠牲を払うか否かを考えた。けれどやはり、答えは否。

 大切な“彼女”が、危機に瀕していた時でさえ、きっとこの悪魔は、自らの命を賭してまで、彼女を救おうとはしない。

 アスラは自身の冷徹さに気づき、言葉に詰まった。


 そう、彼女が死んでも、また「次がある」のだ。自らが存続する限り、彼女とは何度でも巡り合えるから、大切にしているようでいて、その実冷めている。

 諦めている。

 この場所を作り上げた本来の目的は、きっと叶うまいと、諦めて、ただ、歪なままに現状を維持している。


 不意に、いつぞやの戯曲の話を思い出して、向けられた哀れみの目を思い出す。「あなた達はウラディミールとエストラゴンなのに」というその意味を、ようやく理解したように感じた。


「所詮私も、身勝手な悪魔ということか」


 小さな呟きは自らへ向けたもの。

 梅宮にも聞こえたが、彼は何も言わずに目を細めた。


 アスラが踵を返して部屋を後にしようとするので、梅宮はにっこりと笑みを作り、いつもの調子で投げかける。


「嬢ちゃんに会いに行くんなら、儂も写真撮影に参加したいき、伝えといて欲しいぜお」


 聞こえているはずだが、館の主人は無反応で、そのまま部屋を後にした。

長くなってきて昔のシーンとかと矛盾がないかビビりながら書いてます。

自然な変化の過程を経ずに思想が180度変わってたら申し訳ないです。

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