80.相談
アスラとの変わりない一日を終え翌日。
向日葵はアスラの案内で、顔馴染みの情報屋のお見舞いへ向かった。尤も、老人ではない本来の彼の顔には、然程馴染みはないけれど。
案内された部屋は、向日葵の部屋からは遠く離れた場所で、見張りと介助を兼ねてか、部屋の前にはダヤンが控えていた。恐らく、口を聞けないからこそ、余計な情報を与える心配が少ないが故の人選だろう。
ノックをすれば、覚えのある声が返ってくる。声音に苦痛の色はなく、アスラも言っていた通り、本当に足が折れただけで、それほど酷い状態では無いのかもしれない。
そのことに少しだけ安堵して、向日葵は入室した。
「いらっしゃい、向日葵ちゃん」
「ご無沙汰してます。思ったより元気そうで安心しました」
そう声をかけたものの、顔色はあまり良く無い。色々なことがあって、精神疲労が抜けていないのかもしれない。
梅宮はベッドの上で、上体を起こして本を読んでいたらしい。こちらに気づいて、サイドテーブルへ本を置いた。
右足を折ったようで、膝下をギプスが固定していて、左足の足首は捻挫程度なのか、包帯を巻かれている。
向日葵はベッドサイドの椅子に腰掛ける。半歩後ろにはアスラが付いていて、少々落ち着かない。
ありふれた世間話で間を繋いだ。
「アスラさんから聞きました。ものすごい体験をしたそうですね」
「なんじゃ、羨ましいが?」
「まさか! 梅宮さんもアスラさんも、なんでそう思うんですか……」
「向日葵は、自分で思っているよりもお転婆だからな」
「自分の関心のありゆうことに物怖じせんきのう」
前からも後ろからも言葉を返されて、少女は不服に唸った。
本当に二人は相性が良いらしい。厄介に思った向日葵は、拗ねたようにそっぽを向いて告げる。
「では、私はお転婆で物怖じしないそうなので好きに言わせてもらいます。アスラさん、部屋から出てってください」
「なぜ?」
「梅宮さんに内密なお話があるので」
「くく、向日葵ちゃん、内密っちゅうこと言って良いが?」
「私には言えないと? 何もこの男でなくともいいだろう」
「大切な……家族に関することですので」
向日葵の答えに、アスラは腕を組んで思案するように息をついた。梅宮は納得したらしく、しげしげと少女を見遣る。
赤い目をチラリと悪魔へ投げかけて、向日葵に気取られぬように、以前かわした契約の内容を手振りで示した。館にとって不利益となることはしない、という意味だ。
「はあ、わかった。おい、情報屋、また向日葵を連れ帰ろうとしたら、全身の骨を折ってやるからな」
「この足でどう連れてくがじゃ……」
「ふん、お前ならいくらでもやりようはあるのだろう。向日葵も、あまり不用意にそいつに近づくんじゃ無いぞ」
「ええと、ご心配どうも?」
苦笑混じりに返せば、アスラは後ろ髪を引かれながらも退室してくれた。
ふと、向日葵は、前もこんなことがあったなと思い返しながら、梅宮に向き直る。あの時は茶化されたので、今回も身構えてみるが、いたって真剣な様相で「それで?」と。
「大切な家族っちゅうのはどっちのことじゃ?」
「……どうしてそこまでわかるんですか」
「勘。悪いけどこう見えて結構限界ギリギリじゃき、あんまし気ぃ張れんぜお。手身近に頼むが」
やはりまだ疲れは取れていないらしい。そんな状態で話を持ちかけてしまったことに僅かな罪悪感を抱いていると、当の梅宮は「煙草も吸えんし」とぼやいた。禁煙続きにも参っているらしい。少し呆れる。
「ああは言いましたけど、梅宮さんから見てどうですかね?」
「どう?」
「私は、この館の人たちを大切に思っていると思いますか?」
「そりゃあ、向日葵ちゃんの主観によるもんじゃ……さては嬢ちゃん、ビジネスじゃのうて、相談しちゅうが? 儂に?」
「そうですよ。だって、こんな話、外の人にしか聞けないじゃ無いですか」
「はー……や、じゃが、儂はカウンセラーでも占い師でもないぜお」
気の抜けたようにごちる梅宮へ、それでも向日葵は背筋を正して真剣に向き合った。
その空気は梅宮も感じて、仕方がないと息をつく。
「まあ、表向き儂が向日葵ちゃんの保護責任者じゃき、園田の手前、相談くらいにはのっちゅうが……。気の利いたアドバイスはできんがよ?」
「それで十分です。ありがとうございます」
ほっとしたように柔らかく少女が笑むので、梅宮も微笑を返した。
「で、嬢ちゃんがここの住人をどう思っちゅうに見えるか、じゃったが?」
「はい」
「儂から見れば、大切にしちゅうよ。それが家族か友人かは嬢ちゃん次第じゃき、わからんが」
「ずっと一緒にいるから、情が湧いているとは思いませんか?」
「さあ?」
「さあって……」
まじめに問うていた向日葵は、投げやりに返されたと感じて不満を呈する。
梅宮は上体を倒し、腕を枕にして仰向けになった。
「向日葵ちゃん、それは単なる切っ掛けっちゅうもんじゃ。十数年一緒に過ごした親子が憎み合うこともあるき、何かしら情が湧くにしても、大切に思えるかは本人たち次第ぜお。向日葵ちゃんが、大切にしたいと思っちゅうなら、それに間違いはないと思うがじゃ」
横になったからか、言い終えた梅宮は欠伸をした。間の抜けた終わりに、関心を示していた向日葵もまた、脱力してクスリと笑む。
「気の利いたアドバイス、できるじゃないですか」
「儂は持論を語っただけじゃ」
「とても参考になりました」
「ほんなら良か。んで、なんでそんな相談したが?」
情報屋の細めた片目が、少女へと向けられる。それは、普段の抜け目ない空気を纏い、彼女から情報を引き出す姿勢であることがわかる。
「迷わないように、でしょうか」
「……マ、今はそれだけでええが」
疲れが出てきたのか、ぷっつりと緊張の糸が切れたらしい梅宮は、投げやりにそう返して、欠伸混じりに懐から一枚の紙を取り出し、向日葵に差し出した。
受け取って中を見てみると、なにやら「好みのタイプ」「マイブーム」などとリストアップされている。
「なんですかこれ?」
「旦那から頼まれちゅう、向日葵ちゃんから聞き出してほしい情報リスト」
「……なぜそれを私に見せるんですか?」
「相談の駄賃に回答頼むがじゃ。返事は後日でええが。儂は寝る」
「そんなおざなりな情報屋ってあります?」
「嬢ちゃんは良い子じゃき、適当な回答はせんじゃろ。ほんなら、おやすみ」
追い払うように手をひらひらと振りながら、梅宮が告げる。
向日葵は手にしたリストを折りたたみ、ポケットにしまってから、短くお礼を言って部屋を後にした。
適当な回答はしないという信頼を置かれていると、真摯に答えねばならない気がして、そんな自身の思考に気づいて苦笑する。
部屋の外には、アスラとダヤンが待っていて、アスラは平静を装いつつも、向日葵に何もなかったかと心配して見せた。
ただ少し相談をしただけであるとアスラを納得させ、ダヤンへは、梅宮が疲労で眠ってしまったことを伝えた。
梅宮の介抱はダヤンに任せて、アスラと二人、そろそろ夕食時なのでダイニングへと向かう。
「あの男が昔からの知り合いで話しやすいのはわかるが、少しは私を頼ってくれても良いんじゃないかな?」
いつもの張り合いに、向日葵は困ったように笑み、澄ました顔で「では」と。
「どうすればアスラさんは私と距離をおいてくれますかね?」
「待ってくれ、まさか梅宮にそれを相談したのか?」
「さあ?」
戯けて見せれば、それが冗談だとアスラにも伝わる。しかし微かな不安から、彼は自分の前髪を摘みいじりながらつぶやいた。
「まさかああいう色が好みなのか……? この色が重いから話しかけ難いなんてことも……?」
「見た目の印象はアスラさんも梅宮さんも大差ないですよ」
どっちも第一印象は近寄り難い。
拗ねたようにチラリと向日葵を見て、アスラは無言で真意を問う。
向日葵は一歩アスラへ近づき、彼の顔を見上げる。自分から近づいたけれど、距離が狭まったことで少し緊張した。
声が上ずらないように気をつけて、向日葵は言う。
「アスラさんの黒髪、とても綺麗で私は好きですよ」
「っ」
真っ向から「好き」と言われて息を呑む。前髪を弄っていた手を下ろしてアスラは嬉しそうに笑いながら向日葵の髪に指を絡めた。
少女はどきりとして、体を硬くするけれど、僅かにこうなる予感をしていたから、呼吸だけは落ち着いている。
絡めた彼女の髪を指の腹で撫でながら、彼は言う。
「私もキミが好きだよ」
甘い囁き。
誤解を招く表現は意図されたもので、本来なら恥ずかしさで真っ赤になりそうだったが、向日葵の熱はサッと引いていく。
それは、その甘さに却って引いてしまった、というわけではない。
仕様もない事実を突きつけられたことが、虚しく思えた。
だから曖昧に笑って「髪の色のことですよね?」と、向日葵は返す。
アスラは手応えのない向日葵の反応にふっと息をついて「まさか」と。
「言葉の通りだとも」
「相変わらずですね」
「そうさ、私のキミへの愛は変わらないとも」
向日葵は苦笑して、髪に絡めていたアスラの手を柔く掴み下ろす。
掴み返されるかとも思ったけれど、反応の乏しい向日葵の様子を見てか、気を遣って彼はそれ以上少女へ触れようとはしなかった。
僅かに物足りなさを抱くけれど、向日葵はそれを隠して「行きましょう」と止めていた足を動かした。
アスラと梅宮とヴェロニカの大冒険、番外編を書こうか迷いつつ向日葵ちゃんのお話にはさほど必要ないので全カットで進みました。
今秋の音系イベントでコラボ作品第二巻が出ます。
小説と音楽のセット作品です。プロモーションムービーを今回も作ったので、よかったら見てくださいね。
https://youtu.be/5RPjpALjqdE




