8.記念すべき百万回目の邂逅
20/08/14 挿絵を足しました。
着替えの最中、向日葵はアリオからアスラの感情が伝わってくるという話を聞いた。
「気分の良いものではない」と言う彼女に、意図せず主人を怒らせてしまったことを謝罪した。
「アスラさんは何が気に入らなかったのでしょう……」
「ここを夢だと言うからでしょ」
「ええ、随分と気にしてましたね。でも、それってそこまで不快に思うことなのですか?」
それは他愛もない戯言のように思えた。例えば向日葵は自身の友人に同じことを言っても、きっと呆れや揶揄いしか返ってこないだろう。とても些細なことだ。
アリオは視線を落として、何かへ思いを馳せながら向日葵の疑問へと答えた。
「夢見がちな子はケモノに拐われる」
「ケモノ?」
「化物と書いて、ケモノ」
「はあ」
不思議な響きだ。どうして化物と書いてケモノと云うのかほんの少し興味が湧いたが、気にせずアリオは続ける。
「私もあまり詳しくない、でも、実際に何度か奪われてて、アスラ様は警戒してます。あなたに嫌われるのは嫌でも、失うのはもっと恐れてる」
話しているうちに着替えを終える。
「つまり、あれはアスラさんなりに心配していたと?」
「さあ。気に食わないのは確かでしょうけど」
そんなぶっきら棒な返答の後、二人は部屋を後にする。
薄靄は晴れなかったけれど、ぎこちないアリオの言動に向日葵は気を使ってそれ以上の言及をしなかった。
ダイニングルームには、大きく広いテーブルが一つ置かれて、四脚の椅子がある。ここで共に食事をするのは、アスラ、ヴェロニカ、アリオ、そして“彼女”だけ。そしてそれも、皆好き勝手な時間で摂るものだから、揃って食事をするということは夕食時くらいしかないだろう。
アスラはすでに席に掛けているけれど、食事に手をつけている様子はなく、彼女を待っていたことが窺える。
向日葵を連れてきたアリオは、せっかくなのでそのまま食事を摂ることにしたようで席に着く。
アスラの隣は気まずいけれど、かと言って対面に座るのも顔を合わせにくい。どうしたものかと惑う向日葵へ、アスラが言う。
「おいで」
示されたのは彼の隣。向こうの機嫌は回復したのかもしれないけれど、また地雷を踏んでしまったらと思うと足が竦んだ。
「あ〜、やっと終わったぁ」
固まった体をほぐすように肩を回しながら、そんな言葉を漏らしダイニングに入ってきたのはヴェロニカだった。
「あ、おはようございます。今朝は散々だったね、向日葵さん」
「おはようございます」
柔らかな気遣いに、向日葵の心が幾らか軽くなる。けれどそれも束の間で、アスラの向かい側にヴェロニカが掛けてしまうと、必然的に向日葵は先ほど示された席へ向かうこととなり、憂鬱になった。
しかしまあ、渋りすぎて二人きり残されてしまうのはもっと嫌なので、人が揃っている今のうちに済ませてしまった方が良いだろう。覚悟を決めて向日葵は席へと着いた。
そしてそのタイミングに合わせて、ヴェロニカが言う。
「フェロメナの首は縫い終わりました。今度は1週間くらい絶対安静で拘束しておいてます」
誰もその言葉に返答はせず、静寂がその場を包み込み、空気が重くなるのが肌で感じられた。
「えーっと、何かあった?」
和らいでいた空気が急速に凍りついたことで、ヴェロニカも気まずくなる。
向日葵が席についていたことで進めていた食事の手をアスラは止めると、ヴェロニカにではなく、向日葵へ向けて言葉を紡いだ。
「向日葵はどうしたい?」
「どう、とは?」
問いかけに心臓が跳ね、声が掠れた。
「部屋で言った通り、キミが望むならアレは捨てる」
「何故私に委ねるのです?」
気に入らないなら自分の意思で処分すれば良い。よく知りもしない相手の処遇を決定せねばならないなんて荷が重いだろう。
それにアスラは言っていた、この館の住人の命は彼が自由に扱えるのだと。
こちらに意見を求める理由がわからなかった。
「向日葵さん、アスラ様ではフェロメナに罰を与えることはできても、死をもたらすことはできないんですよ」
ヴェロニカがアスラの返答を奪うように口を開いた。
それはアスラの機嫌が再び損なわれたことで、微々たるものだがアリオが苦い顔をしていたからだ。
妹想い(血の繋がりは勿論ないのだが)のヴェロニカは、アリオのために二人の話へと加わった。
向日葵もそのお陰で、アスラではなくヴェロニカへ視線を移して話すことができて気が楽になる。
「それは何故?」
「それを説明する前に聞いておこうか。向日葵さんはご自分が何番目の生まれ変わりかという話は聞きました?」
きょとんとする向日葵。何を言われているのか分からず首を傾げる姿に、ヴェロニカは呆れた。
「アスラ様。何も知らない彼女に決定を迫るのはよくないですよ」
「ふん。一度に話しては負担がかかると言ったのはヴィーだろうが」
「そうやって都合のいいように情報を隠すのは、悪魔らしいといえばらしいですけど、ルーが聞いたら泣きますよ」
ルー、と言う名前にアスラは押し黙った。
なんの事なのかさっぱりわからない向日葵は、手遊び感覚で食卓に並ぶパンを千切り、ピーナッツバターを塗る。あとは口に運ぶだけだが、話の続きを静かに待った。
「昨日のティータイム、向日葵さんはアスラ様と契約した方の話を聞いたことは覚えてますよね」
「ええ、ソレイユさんのお話は聞きました。それが理由で私はここに連れてこられたと」
アスラはどうやら、向日葵に警戒されているらしいことには気がついていたので、説明はヴェロニカへ任せることにしたらしい。口を挟む様子はなく、食事を進めている。
「端的に言うとね、貴方はソレイユ様の百万回目の生まれ変わりなんです」
「……随分と切りが良いですね?」
「記念すべきかも」
ヴェロニカはおどけたように口にしてウィンクした。
「つまるところ、向日葵さんが来る以前から、この館では貴方と同じ魂を持つモノを連れてきては、今際の時まで共に過ごし、命尽きたならまた貴方を探して、それを繰り返してきた」
「さて、」とヴェロニカは区切る。
彼は綺麗な所作でバターを塗ったパンを一口食べた。つられて向日葵も、千切りっぱなしだったパン屑を一欠片、口へと放り込んだ。
「繰り返すうちに、此処にはいろんなものが増えたよ。リズベートは貴族令嬢だから使用人を欲しがったし、エリスは花が好きで庭を求めた。ヒナタは自分の機械人形を連れてきたいとせがんだし、ヘンリエッタは……まあいいかな」
思い出したものをそのまま告げていく。切りがないと思い留まり「こんな具合に」と。
「アスラ様は貴方の望みを叶えてきた。それは勿論、アスラ様が貴方を大切に思っていることも理由の一つだけれど、もう一つ大きな理由があるんだ」
「ヴィー」
「いいえアスラ様、僕は言いますよ。教えないのはフェアじゃない。陽さんとの盟約をお忘れですか」
また挙げられる新しい名前に、アスラは「忘れるわけがない」と唸り黙る。
そうして、ピーナッツバターでベタつく口内にお茶を注ぎ込み、向日葵はヴェロニカへ続きを催促した。
あんまり速いペースで更新すると鬱陶しいかと思って他の方の投稿ペースを参考に眺めたらめちゃめちゃ早くて慄きました。気にせず書けたら更新していく勇気が湧きました。