77.共犯者
「まるで嵐のようでしたね」
向日葵はぼんやりとつぶやく。そのすぐ横で、乱れた髪を手で整えながらアリオが疲れたような息を吐いた。
時を遡ること数刻前。
朝食を終えた向日葵が庭の散歩をしていた最中のこと。
このところ、特別会話が弾むことはないのだが、アリオがつかず離れずな距離を維持していて、今日も今日とて、視界に端には彼女の姿があった。
どう声を掛けたものか迷いながら、花壇の前でしゃがみ込んでいると、小さくうめきがして、振り返った時には既に“出来上がって”いる。
「離れなさいよ」と騒ぐアリオなどお構いなしに、先ほどまで見る影もなかったヴェロニカが、彼女を胸の内に抱き頭をぐりぐりと肩に埋め押し付けていた。何度か見たことがある、いつもの充電だ。
向日葵はこれを、声をかける好機と思い、「乱暴すぎませんか?」と声をかけながら二人のそばへ寄った。
「ところでヴェロニカさん、授業の準備はどうですか?」
「それはつまり、課題を終えての催促ってことかな?」
「いえ、課題はまだ。少しずつ進めてますよ。ただ、ヴェロニカさんが忙しそうなので、それほど準備が大変なのかなと」
ヴェロニカの意識がそれた隙に、アリオが腕の中から抜け出した。すかさず向日葵を盾にして後ろに隠れる姿に、彼の瞳が僅かに揺らぐ。そこには郷愁の色があり、向日葵はその目に覚えがあった。
そう、それは、聖女を語るときのアスラとよく似たもの。
少女は気づかないフリをして、苦笑して見せる。
「私が口を挟むことじゃないとは思いますが、急に飛び付くと危ないので、やめた方がいいですよ」
倒れた拍子に打ちどころが悪かったら最悪だ。
向日葵の言葉の意図に、青年は「う、ご尤も……」と悪びれた。
その場にへたり込み、頬を掻きながらヴェロニカは続ける。
「……いえ、まあ、別件の頼まれごとが憂鬱でして。授業の準備は程々に進めてるよ」
「起きてもいない先のことに頭を悩ませて、勝手に気疲れしてるんじゃないわよ」
アリオが睨みながら言う。
何かがあった、と言うよりも、これから何かが起こるのか。向日葵は不思議そうに首を傾げて見せた。
それに気づいたヴェロニカは「個人的な諸用ですよ」と。
「苦手な手合いと行動を共にしなければいけないと思うだけで、今からもう生きた心地がしないだけで……何があるってわけじゃあないんです」
諦観じみた冷笑を浮かべる様子から、どれほどの心労なのかがありありと伝わってくる。
アリオは容赦なく彼を威嚇しているが、向日葵は少し哀れに思った。
「はあ、ええと、そう、それで、しばらくはまた館を空けますから、向日葵さん、その間アリオと仲良くしてあげてください」
「は?」
「えぇ?」
覇気がないながら告げられた言葉に、二人して疑問がもれる。アリオに至っては苛立ちも含んでいた。
「なんで私のことをあなたに頼まれなきゃいけな…………さては考えがあるってこれのことなの!?」
思わず掴みかかろうとしたのか、アリオが前に出るも、ヴェロニカの方が素早く彼女を抱擁で迎えた。アリオの舌打ちにも似た小さな悲鳴が漏れる。
向日葵は仲裁に入ろうか悩んだものの、向こう暫くは帰ってこれないような雰囲気のヴェロニカが可哀想で仕方がなく、結局何も言わずに静観した。
なんとなしに、向日葵は投げかける。
「お二人からも話を聞きたいんですが……」
戯れあっていた二人の視線が、少女へと向けられると同時に、意識の外から思いがけずに声をかけられた。
「やあ、向日葵」
「アスラさん?」
「話の腰を折って済まないが、ヴィーを借りても構わないかい? 急ぎの要件があってね」
ヴェロニカの顔が「とうとう来た!」と言うかのようにさっと表情をなくす。しかし、その様相とは裏腹に、アリオを抱く手が強まって、抱かれている彼女は苦しそうに呻いた。
鬱陶しそうに眉を寄せ、アスラはため息混じりにアリオとヴェロニカを引き剥がし、あっという間に、絶望を滲ませた青年を掴み引き摺ってゆく。
少し歩いたところでアスラは振り返り「そうだ」と。
「アリオ、秘密はもう探らなくて良い」
「なっ……」
「向日葵、私はしばらく外すことになるが、危ないことはするんじゃないぞ?」
「はい?」
それぞれに言いたいことだけ押し付けると、二人の返答を待つことなく、アスラは再びヴェロニカを引きずってはけていった。
こうして、残された向日葵は思わず声を漏らし、今に至る。
「隠し事とやら、アスラ様に話したの?」
「いいえ、それらしい話は何も」
「なら、そう言うことね……」
「どういうことですか?」
勝手に納得するアリオへ、向日葵は尋ねた。
情報の出どころが例の情報屋であることがアリオにはすぐにわかったが、このことを話していいのかが不明だったので「気にしないで、こっちに話」とやんわりはぐらかす。そうして、向日葵がそれを指摘するより前に、悪魔の下僕は畳み掛けた。
「次に教えてくれるって言ってたけど、結局何だったの?」
「それは……」
向日葵は言葉を区切り、考える。
いくつかの隠し事を想起して、その中から、自らが語らずとも、知られる可能性の高いものがどれか。
少女の脳内に、屋根裏部屋の情景が浮上した。
物的証拠は、見つけられて仕舞えば、言い逃れできない。
「私も、原理を詳しく理解してるわけじゃないんですが……ある人の手引きで、この半年間、家族と文通をしてたんです」
「手引き……?」
アリオの眉間に皺が寄る。
彼女とて、馬鹿ではない。手元にある情報から、そのカラクリになんとなく思い至ったのだ。額に手を当てて、深く息をついた。
「私たちは手のひらの上だったわけ……やってくれるじゃない……」
「やっぱり、何かあったんですか?」
言ってから、ヴェロニカの言葉を思い出し、何か起きるのか、と訂正した方が良いだろうかと、向日葵が考えていると、アリオはゆるく頭を振った。
「何も。多分、あなたとは関係ないから、気にするだけ無駄」
「……そうですか」
気になりつつも、それ以上を追求することはなかった。
それは、向日葵には今、別に聞きたいことがあったからだ。本当はヴェロニカからも話を聞けたらよかったのだが、アスラが連れていってしまったので仕方がない。
「アリオさん」
「な、なに? 改まって……」
「私も知りたいことがあるんです」
「だから、何?」
「もしかしたら、アリオさんはあんまり話したくないかもしれないんですけど、どうしても知りたくて」
「……勿体ぶらないで」
焦ったく思ったアリオの声音に苛立ちが混ざる。
向日葵にはアリオを傷つける意思はなかったので、焦りながら言葉に悩んだ。
その悩みは昨日アスラへ向けたのと同等で、でもやはり、飾ることなく真っ直ぐに告げる。
「ソレイユさんのお話を聞きたいんです」
沈黙。
アリオの表情は痛ましく凍りついて、向日葵は申し訳なく思いながらも、目を逸らさず、真摯に彼女の返答を待つ。
「どうして、そんなこと知りたがるの?」
「…………」
今度は向日葵が沈黙を返した。
けれどそれは、後ろめたさからではない。向日葵はどこか遠い目をして、言葉を選ぶ。
「隠し事、他にもあるんです。きっとこれは、私が言わなければ誰にも暴かれることはない。けど、アリオさんにならお教えしてもいいです」
「私になら?」
「私と彼女を、別人だと思ってくれてるから」
「そんなの……当たり前じゃない……あなたはソレイユ姉様じゃないんだから……」
向日葵は苦笑した。
彼女の主人は、そうは思っていないし、魔法使いの青年もまた、度々過去と重ねて少女を見る。そしてそのことに、なんの後ろめたさも抱かないのだ。
けれどアリオは、生まれ変わりを別物だと思い、時に拒絶し、勝手に類似点を探しては、そんな自分へ落胆する。
向日葵を、向日葵として見ようとしてくれているから、向日葵が自身の想いを託すならば、やはり彼女以外には、相応しい者はいないのだ。
向日葵がアリオの手を取り、彼女へ顔を寄せる。
アリオはびくりと肩を跳ねて、一瞬振り払いそうになったけれど、耳元で囁かれる少女の言葉に硬直した。
空いた片手を口元にそえ、更に内緒話をする様に、続きを口にする。
その言葉に、アリオの目は見開かれ、聞き終えた彼女はゆっくりと向日葵を見る。少女は寂しげな微笑で迎えた。
「それ、本当なの?」
向日葵は頷く。
「どうなるかわかってる?」
向日葵は少し悩んで、ゆるく頷く。
「どうして……?」
向日葵は思案するように目を伏せて、ゆっくりと口にした。
「まだ、どうするかはあまり考えてません。でもいずれ、そうしたいと思った時のために、出来るだけ知っておきたいんです。……協力してくれませんか?」
アリオの瞳がしっとりと滲んだ。
だが、雫が落ちることはなく、少女の言葉に肯定も否定もせず、ただ、慣れぬ手つきで儚い彼女を抱きしめた。
終わりへ向けてレッツゴー!と言う意気込みです。
 




