7.まるで泥水のお味
20/08/14 挿絵を足しました。
その頃、ヴェロニカは愛おしむように長い赤髪を櫛で梳いていた。
前に座らされた女性は、彼の手の動きを鬱陶しげに、けれど振り払うことはなく、為すがままを受け入れている。
これは二人の日課と言えるだろう。
ヴェロニカはアリオと言う名の彼女を、妹のように愛し、可愛がり、大切にしている。一方的で自己満足で、当人からはうんざりされていることは承知しているものの、この自責にも似た行為を止めることはできそうにない。
アリオは呆れ果てた。呆れて、物も言えなかった。
そんな代わり映えしない二人の朝を過ごしていると、控えめなノックが響き扉が開かれ、そこには白髪の男性の姿。
「ヴェロニカ様、矢張りこちらでしたか」
「ユウキさん? おはようございます」
何の用かと言いかけて、部屋の入り口に立つユウキの腕に抱かれた姿に全てを察する。
「ああ、うん……。再三兎にならないように言ったけど、フェロメナのことだからこうなる気はしていたよ」
このままではいつまでも首が繋がらない。縫い合わせる為にヴェロニカは渋々部屋を移す為席を立った。
するとアリオも席を立つ。
ヴェロニカは目を丸くした。
「アリオも手伝ってくれるのかい?」
「違う」
「じゃあ、何故?」
此処は彼女の部屋だ。ヴェロニカが普段押し掛けているだけで、アリオがヴェロニカについて行こうとすることはほとんどない。同じタイミングで席を立ったことで、てっきり一緒に来るのかと思ってしまっていた。
「嫌な感じがする。アスラ様、怒ってる……?」
「え、どうして? 向日葵さんがいるのに?」
「フェロメナのせいでしょうか?」
「知らない」
二人の疑問へ、不満げに言葉を呟くものの、彼女は誰より先に自室を後にして、ユウキが通ってきた道をなぞるように歩み始める。
彼女が素っ気ないことはいつものことなので、ヴェロニカはその姿を見送ってから、ユウキと共にフェロメナの治療に向かった。
アリオはこの館で最も古いアスラの眷属だ。もちろん、この館の始まりとなったひだまりの聖女とも面識はあり、彼女へは並々ならぬ感情を抱いていた。
アスラと深く結びついた眷属故に、ほかの使用人達とは異なり強い力を分け与えられている反面、主人の感情が直に伝わりやすい。
それは概ね、小鳥が囀るようにささやかで他愛なく、枯れ葉が落ちるように自然で、気にするまでもないものばかりなのだが、時折、大地震が起きたかのように唐突に、不快な感覚が流れてくる。
その度に彼女は主人へ不満を告げに行くのだが、今回は少し足取りが重たかった。
それは、あの聖女の生まれ変わりと顔を合わせる事が酷く苦手だからだ。
別に意地悪をしたいわけではないけれど、どうしても飲み込めない蟠りが、彼女に対しての態度へ出て、きつく当たってしまう。
昨日挨拶をした時も、愛想の良い笑みを向けてくれた向日葵へろくに言葉を発さず生意気な対応をとってしまった。
密かに反省していたので、彼女のいる場に行くのは実に気まずい。
加えて言えば、ピリピリと伝わる不快なノイズから、これから向かう場所の空気が重いだろうこともわかり、ため息をついた。
向日葵の部屋の前、扉は開け放たれたままであり、会話は筒抜け。
アスラの機嫌を損ねようなんて存在はこの館にいないだろうから、大した問題ではないのだろうが、だがしかし、もしこれをヴェロニカが聴いていたらアスラを叱っていたかもしれない。
どう見ても、無力な少女へ凄みを効かせて脅迫しているようにしか見えないから。
「アスラ様」
気乗りはしないけれど声をかけた。
無理やり泥水を飲まされ続けているような感覚を早くどうにかしたい。
アスラは振り返らずに告げた。
「……呼んでいないはずだが」
「気持ち悪いんです。どうにかしてください」
向日葵の視線が向いていることに気づく。そこにはこの悪魔と二人きりでなくなったことへの安堵が灯されていた。
「話が終わるまで我慢しろ」
「それでより酷くなったら嫌なんで、先にクールダウンしてください」
「アリオ」
ようやくアリオへと向けられた金の瞳は鋭い。しかし、眼光の鋭さなら彼女も負けてはいない。対抗するように目を細め睨み返した。
「その子に対してそんな態度をとるなんて、何を言われたのか想像つく」
「なら黙っていてくれ、この意識だけは矯正しなければならない! でなければまた……!」
「それで嫌われたら駄々を捏ねるのはアスラ様でしょうが」
そんなことになったら一層悪くなる。アリオは顔を歪めた。
アスラがアリオへの言葉へ対抗する為に立ち上がり向き合うと、眼前からのし掛かる恐ろしい悪魔の重圧から解放された向日葵は、そろりと手を上げ「あの」と。
二人の視線が刺さるけれど、この機を逃したら取り返しがつかない予感が向日葵を苛み、唾を飲んだ。
「お腹が、空きました」
間。
話題を強引に変えたことで、アスラもアリオも何を言っているのかと疑念の顔を向け言葉を失っている。言葉を挟まれなかったことで、向日葵は勢い付き続けた。
「お腹が空くのは、生きているから。だからきっと此処は紛れもなく現実、なのだと……その、とりあえず、着替えて食事をとっても?」
口にしてみるとこの張りぼての主張は無理がありすぎるように感じられる。
取り繕った笑みが徐々にぎこちなくなっていく自覚があったが、心なしかアスラの雰囲気が和らいでいて、困ったような微笑を返された。
「アリオ、向日葵の着替えの手伝いをしてやってくれ」
「はい」
険悪な空気は晴れ、部屋に入ったアリオが衣服の物色を始める。
アスラはその間に部屋を後にしようとして、扉の前で立ち止まった。
「すまない、向日葵。だがどうか、この再会が夢だなどと寂しいことは考えないでくれ」
何故? と返す隙もなく、彼は静かにこの場を去った。
哀願の言葉が胸に染み渡る向日葵に、アリオは選んだ数着のコーディネートを見せる。
「ええっと……自分で選んでも良いですか?」
「……ごめんなさい」
「いえ! とても素敵ですけど、私にはちょっと派手すぎる気がするしてしまい! その……こちらこそごめんなさい」
「気にしてない」
顔を背けたアリオは、しかしほんの少し恥ずかしがっているようであった。
挿絵機能に気付いて、インターネットお絵描きマンの端くれとして、追々描いてみようと思いました。1話から順に挿絵用意できたら楽しそうだなって思います。