60.手紙
翌朝。
場所は変わって狭い路地。
老人に扮した男が歩いていると、その行方を阻む人影がある。
「その封筒を渡してください」
梅宮の前に立ちはだかるのは、悪魔に使える魔法使いの青年、ヴェロニカだった。
あの時、地下室を後にしたアスラは、部屋へ戻る前にヴェロニカへと声をかけていたのだ。
向日葵が嘘をつくとは信じがたかったが、もしかすると、彼女の意思など関係なくこの男に攫われるやもしれない。約束通り、向日葵が無事だったとしても、彼女の手から渡った封筒を回収するようにと、あらかじめ命じていたのだ。
封筒の中身がわからない以上、それを外に放出してはならない。
彼女を疑いたくはないが、巡り巡って自分たちの首を絞めることになるやもしれない。芽は若いうちに摘まなければ。彼らは向日葵を、あの館での平穏を、失いたくなかった。
そんなところだろう。と、何もかもお見通しなのか、梅宮は大して驚いた様子はなく、寧ろこれは好機である。
ニヤリとした笑みを向けられたヴェロニカは、悪寒がした。
「丁度ええ。坊主、魔法使いなんじゃろう?」
「は……?」
梅宮の意図が読めず、呆気に取られるヴェロニカ。
その様子などお構いなしに、梅宮は封筒の端を、今にも千切らんとばかりに握った。
「ちょ、ちょっと! 貴方は何をやってるんですか!?」
「中身が気になっちょるんは儂もお前さんもおんなじじゃあ。ほんなら、ここで一緒に見ればええがよ」
「僕を貴方の巻き添えで共犯者にしないでください! 貴方の倫理観はどうなってるんだ!」
「バレなきゃ構わんき。お前さんとこの旦那もどうせ回収したら中改めるんじゃから、変わりゃせんよ」
反論ができずに唸りを上げるヴェロニカをよそに、とうとうビリビリと封筒を破いていく。
青年は絶対に中を見ない、と意思表示か、両手で顔を覆い「あぁぁ……」と言葉にならない声を漏らすのだ。
その抵抗虚しく、梅宮は口を開く。
「拝啓、お祖父様」
「読み上げないでください!」
「いかがお過ごしでしょうか? 沢山の心配をかけてしまいごめんなさい。私は元気です」
「って、え? これって、ただの手紙……?」
「のようじゃ」
拝啓、お祖父様
いかがお過ごしでしょうか? 沢山の心配をかけてしまいごめんなさい。私は元気です。
私が今過ごしている場所は、どこよりも穏やかで、幸福で、安全が保障されていて、きっと世界で一番平和な場所です。
故あって帰ることが出来ませんが、私は健やかに過ごしていますので、どうか安心してください。
むしろ私は、私を探すあまり、あなた方がお体を悪くしないかがとても心配で、皆さんの身を案じています。
私のことは忘れて……いいえ、私を忘れないで欲しい。でも、探すことはやめて、末永く健康にお過ごし下さい。
それが、私が皆さんへお願いしたいことです。
(中略)
……届くかは分かりませんが、また手紙を書こうと思います。
それでは、どうかお元気で。
かしこ
こうして結局、二人して内容を全部読んでしまう。
梅宮は手紙を封筒へ戻してから、ヴェロニカに差し出して「回収、するがか?」と。
視線を落としたヴェロニカは、ビリビリに破れた封筒を、魔法で何事もなかったように綺麗に直してから、差し出された手を押し返した。
「大した内容ではなかったみたいだし、僕が怒られるだけで済むならその方が良さげだ」
「ほーが」
向日葵とそれなりに交流のある梅宮には、実のところ、この封筒の中身がそんな大したことない内容であることは、容易に予想できていた。
だからこそ、あの地下室でも、アスラに対して中を改めても構わないと言ったし、ヴェロニカへもまた一緒に見てしまえと言えるのだ。……地下室ではまさか、向日葵があそこまで食い下がるとは思わず彼も驚いたものだけれど。
突っ返された封筒を手に、梅宮は「ほんなら、儂はこれで」と口にして一歩下がった。
ヴェロニカは端へ寄り、道を開ける。
「ああ、そうじゃ。何か入用じゃったらいつでも聞きにきい。嬢ちゃんの手前、安くしちゅうき」
「聞きに来いって……貴方はいつもどこで何をしてるのかわからないのに、どうしろと?」
「商売事には耳がええがよ。”梅宮林太郎を探してる“なんて風に尋ねりゃあこっちから向かうき。そうじゃなければ、園田んジジイの珈琲でも煽っちゅう」
「はあ、まあ、必要に迫られたら、一考しましょう」
あまりこの、妖怪のようなよくわからない男と関わりたくないと、ヴェロニカは思った。どうにも反りが合わないのだ。それはおそらくアスラも同じではないだろうか……? 否、アスラならば利害さえ一致すれば関係ないのかもしれない。
そうして適当な別れの言葉を口にして、二人は別々の道を行く。
梅宮は喫茶店へ、ヴェロニカは館へ。
互いにそれを見送ることも、引き止めることもしなかった。
梅宮はいつだかのように、まだ開いていない店の前で店主を待つ。こういうことは良くあって、朝一番で珈琲が欲しい時や、何かこの店に用がある時は概ねこうして営業前から待つのだ。
程なくして、この店の主人がやってくる。
この封筒を読んで老人がどうするのか、それなりに長い付き合いの梅宮はよくわかっていた。
予想した通り、彼は安堵の微笑をこぼしてから、多くを語らない情報屋からこれ以上を聞き出そうとはせずに「珈琲、飲んでいくだろう?」と。
「嬢ちゃん連れ帰れなかったけどええがか?」
「元々、安否の確認だけ頼んでたんだから十分だよ」
「ああでも、昨日までのツケは払ってくれよ」と店主は笑ってまだ営業時間を迎えない店を開けた。
「お前さんの息子らへの言い訳考えるの手伝っちゃるき、チャラにしてくれんかのう」
「いい方便が浮かんだらね」
そんなこんなで、二人は喫茶店で珈琲を飲みながら、少女が戻らぬ適当な理由つけを考えることになるのだった。
さて、一人館へと戻った魔法使いはといえば。
一体何があったのか、妙に上機嫌な悪魔の様子に若干引きながらも、封筒を回収“出来なかった”と法螺を吹く。
しかし機嫌の良さが幸いしてか、それを叱責されることはなかった。
一応、中は確認して、憂うような内容では無いことを伝えたが、浮ついた館の主人にはもはや然したる問題では無いようだ。適当に話は流されて、ヴェロニカは安心するような、不気味に思うような、なんとも言えない気分になる。
一仕事終え、緊張が解けたせいか、どっと気疲れに襲われる。
ふらふらと、彼もまた自らの気付けをのために愛しい妹の面影を求めるのだった。
なんとかかんとか書けました。果たしてこれは女性向け恋愛ものなのかよくわかりませんがイチャイチャしてる男女を書くのは楽しいです。ワーイ!




