6.夢の終わり
20/08/13 挿絵を足しました。
「向日葵!」
物音と悲鳴を聞いて駆けつけたアスラは、その表情に心配の色を滲ませていたけれど、部屋の中の事態を一瞥して眉間に皺を寄せた。
明確なる怒気を含んだ視線に射抜かれながらも、フェロメナは呑気に「取れちゃいました〜」と喚いている。
ちらりと向日葵の様子を確認し、まずはこの兎を引き離した方が良いと考えたアスラは、素っ頓狂な声音を上げ続けるその兎の身体と頭を持ち上げた。
その際ポツリと「機を与えるだけ無駄だったようだな」と。
「ああ、向日葵。支度には別の者をこさせよう。少し待っていてくれ」
そのまま一度部屋を後にしようとする彼の背へと、向日葵は手を伸ばした。
上着に触れ、柔らかく掴み、意識を引き寄せる。
「あの、それは……」
それ、と口をついて出た言葉に、我ながら酷い言いようだと、表情に影を落とした。
向日葵は言い直す。
「彼女は、一体?」
なんとか吐き出した言葉には様々な意味が絡みついていて、その縺れを一つ一つ丁寧に解いて応える必要があるだろう。
ただ一度、それ、と滑らせた口を思えば、今返すべきは、首が取れても平然としているこれは生き物なのか否か、という疑問が最たる意味をもっていると受け取ることが出来た。
「屍人だ」
ピシャリと告げたアスラ。正確にはヒトではなく兎だけれど、本質さえ伝われば問題ない。
向日葵は掴んでいた手を離し、そのまま自らの口元へ寄せ覆った。
「しびと……?」
鸚鵡返しの呟き。逡巡する向日葵をよそに、騒ぎを聞きつけて部屋の外で待機していた白髪の男性へと、手に持った兎を乱暴に押しつけ「ヴィーのところへ」と言いつけた。
先ほどからやけに静かだと思えば、気がつくとフェロメナの口元は塞がれている様だった。
しん、と静まり返る部屋。
凍りついたように立ち尽くす向日葵の手を取り、アスラはベッドへ移動させ座らせると、自らもまたその隣へと腰を下ろした。
「言いたいことはまとまったかな? 向日葵」
頬を撫でる春風の様に柔らかく問う。けれど向日葵は俯き弱々しく首を横に振るだけだった。
「では、私から今キミに必要だと思う話をしよう。此処で働く者たちについてだ」
向日葵は無言で目を閉じて見せた。
けれどそれは拒絶ではなく、これから語られるものへ向け、まるで貝殻の内側から聞こえる細波の音へ耳を傾ける様に、彼の話を聞き逃さないためのものであった。
言葉なき返答を肯定と受け取ったアスラは続ける。
「この館に暮らす者はごく一部を除き、皆屍人だ」
一拍の間を置く。
「キミを此処へ招く以上、キミには快適に過ごしてほしいと思い、こうして使用人を集めたわけだが、生者にはそれぞれ居るべき世界がある」
だから死者を迎えた。と彼は付け足した。
「私は生きてます」
苦笑しながら茶化す向日葵は、どうやらそうすることで気を紛らわそうとしているようだった。
アスラもまた笑みを残したままに苦い顔をした。
「キミは特別だ。許してくれなくてもいい」
「いいです。どうせ夢ですから」
「夢だって?」
「さっきの恐ろしい出来事も、この館も、あなたも、きっとただの長い夢。ちっとも現実的じゃないんですもの」
「嗚呼、それだけは止してくれ! 此処は私の館だ、劇場じゃない……!」
心底嘆くような彼の呟きを不思議に思う。しかしそれを問う間もなくアスラの指が向日葵の唇を撫で塞いだ。
「それ以上なにも言わなくていい。話の続きだ」
どこか苛立ちを含んだ声音と、口元に宛てがわれたままの指、金の月を思わせる瞳に射抜かれ、彼女は黙ることしかできなかった。
少し萎縮して向日葵は目を泳がせる。
「此処の死者は、魔法により器の腐敗を防ぎ、そこへ私の力で魂を定着させている。肉体はただの入れ物であり心臓を射抜かれても死ぬことはない……すでに死んでいるから、死にようがない、という方が正しい」
それが、首が落ちても口を聞くあの恐ろしい現象の仕組みだった。
屍人の器の調整や修理(治療とも言えるだろう)は魔法使いであるヴェロニカの役割。
魂の定着、即ちこの館の住人たちの命の権限は主人であるこの悪魔が持ち、彼の一存でその扱いを決めることができた。もちろん、彼らへ今度こそ永劫の眠りたる死を与えることもできるが、此処にいる多くはそれを望んではいないだろう。
だからこそ住人達は彼を主人と敬い尽くしてくれるのだ。
「私も気が立っていた。気絶していたとはいえ向日葵の眼前であのぼんくら女を怒りのままに処すのは良くなかったな。恐ろしい思いをさせてすまなかった」
口で謝辞を述べるものの、今なお何かがお気に召さないらしい彼の眼光は鋭く、恐ろしく思う。
アスラは彼女の畏怖の念に気づいていながらも、態度を崩すことはなく続けた。
「あの女に汚名返上の機を与えてやったがこのザマだ。首がまだ繋がり切っていないから形態変化するなと言っていたというのに……。処分しようかとも思ったが、アレでもかつてのキミが残した愛兎だから捨てるのは忍びないしな。百年ほど庭にでも埋めて這い出られないようにしておこう。向日葵もあんな女、思い出したくなどないだろう?」
同意を求められて肩が震えた。
今までの優しかった彼は一変し、否、その色は微々たるものだが残されて、向日葵へと向けられているのだが、暗い光をともなった眼から感じずにはいられない悪寒。
頬を撫でる温かさとの落差で風邪をひいてしまいそうだ。
「向日葵が望んでくれるなら、処分することもやぶさかではない。捨ててくれと言うなら喜んで廃棄しよう。そうだ、約束を破って成人前に攫ってしまった詫びに、向日葵の望む人間を一人、ぼんくらの代わりとして連れて来させようか。矢張り知り合いがいないのは不安だろうからな。それに、キミを知りキミが知るモノが共に在れば、キミは二度と此処を夢だなんて不愉快な冗談を思いついたりなどしないだろう? なあ?」
笑みを浮かべて再び彼は返答を求めてくる。
下ろされた手は少女の首筋を撫で、背筋が凍りつく。
彼女は思い知るほか無かった。
アスラは紛うことなき悪魔なのだと。
劇場大好き芸人、我慢できず此処でも劇場を披露する勢いです。きちんと作中で劇場のお話ができたらいいなと思います。劇場大好き!