59.vanillas
いつも通り、アヤメとフェロメナに手伝われて、湯浴みを終えた向日葵。
煙草の残り香はすっかり消えて、甘いお菓子のような香りがする。向日葵は、まるで自分がデザートになったような気持ちになりながら、香りだけで胸焼けを起こした。
寝間着を纏い、今日は眠る時の邪魔にならぬように髪をおさげに編んで前に垂らす。
廊下へ出て歩みを進める先は自室ではない。
その部屋の前まで来ると、同行してくれた侍女二人は「おやすみなさいませ」と言って彼女を一人置き去った。
ノックをしなければ。
そう思うけれど、向日葵の手は扉を打ち付けない。緊張で固まった体は蝋のようで、今にも砕け落ちてしまいそうだ。
そうして数秒か、数分か、時間の流れさえもよくわからない、鼓動があまりにも早いから、体内時計も狂ってしまったのだ。とにかく長いのだか短いのだかもわからない間を扉の前で過ごしていると、ゆっくりと、扉が勝手に開くのだ。勿論、ひとりでに動くわけもない(この館ではそう言うこともあるけれど……)、扉の前にはここの主人が立っていて、少女へ微笑み、迎え入れた。
「あ……」
「向日葵、湯冷めしてしまうから、早くおいで」
「は、はい」
招かれて中へと入れば、当たり前だが扉を閉められる。
かちゃり、と鍵の閉まる音が響くと、怯える子羊のような少女は肩を跳ねさせた。
「バニラの香りがする。甘くて美味しそうだな」
「そうですか? 私はなんだか、自分からこんな匂いがするのは、気持ちが悪いです」
「ふふ、緊張しているな、向日葵」
照明を消した闇の中、小さなランプの火だけが二人を照らす頼り。
だが、アスラがそれさえも吹き消してしまうと、真っ暗な中に一人取り残されたように感じる。
向こうはこれも悪魔だからなのか、この闇の中でもよく見えるらしい。彼は向日葵を抱き寝台へと運んだ。
ベッドの上に降ろされてすぐそばの布団が軋むのがわかると、隣にアスラがいることが感じられる。
ここまで向日葵は全て彼任せで、まるで抗うことの出来ない自らの無力さを痛感した。
そして再び、彼の思うままに肩を抱かれて、ゆっくりとその身を横たえ、毛布をかけられる。
やっと暗闇に目が慣れてくると、隣で横になるアスラと目があった。
アスラの要求は、添い寝をすることだった。
向日葵が抜け出したことで失われた時間を、夜に埋め合わせたいのだという。
もちろん本当にただの添い寝なので、それ以上の行き過ぎた行為を強要することはない。
この点に関しては、劇場での演目で見た過去のアスラの様子からも信用できたので、ただ一緒に寝るだけで良いならば、と向日葵は承諾したのだ。
しかし、実際こうして体感してみると、何も起きないと分かっていても緊張する。
アスラは向日葵の寝顔を堪能したいのか、眠る様子はなくじっと向日葵を見つめているのだ。余計に眠り難い。
「アスラさん。そんなに見られたら寝辛いです」
「気にせず目を閉じればいい。なんなら目隠しをしてあげようか?」
「いりません」
アスラから目隠しをされる様を想像して、向日葵は引きながら答えた。
ふと、目隠しと言えば思い出す。
地下室でアスラが操っていた黒い影のような、羽のようなもの。
たしかにそこに存在していて、触ることができるのに、重さはなく、ざわざわというかぴりぴりというか、皮膚の表面にそんな感じの刺激が伝わる、よくわからない塊。
向日葵は、あれは何だったのか少しばかり気になって「ちょっと失礼します」と言ってアスラの背に手を回した。
あれは羽のように背中から伸びていたので、さては背中に何かあるのではと思い、ぺたぺたとその背を服越しに撫で回してみるも、特になんの変哲もない。
黙々と彼の体の触れていたことに気づき、ハッとしてアスラの表情をみると、照れたように目を逸らしていた。暗くてよく見えないが、ひょっとすると頬も少しばかり染まっているのかもしれない。
「ご、ごめんなさい。本当に失礼なことをしてしまいました……」
「いや。向日葵は急に大胆なことをするから、よく驚かされるが……キミに触れられるのは悪くない」
アスラがいつも、何かと距離が近いので、思わず不躾に触れてしまった。なんだかアスラの無遠慮さが伝染してしまったように感じられて、向日葵は自分の行動にがっかりしたのだった。
「それで、私の背に何かあったのかな?」
「地下室でのことが気になって。ほら、羽みたいなのがあったので」
「ああ、それは見た通り、私の羽だな」
「今は特に何もないみたいですけど」
「気になるか?」
アスラの手が向日葵の頬を撫でる。
指先から伝わる熱に緊張しながら、少女は頷いた。
「羽といっても、私のこれは体の一部じゃない。私が持つ……魔力とでも言うような力を操ることで自在に出すことができるものだ」
「なるほど……」
「羽はよく使っていたから慣れたものだが、並の悪魔には難しい芸当だ。特にこれを扱うことにおいて私の右に出るものはいないといっても過言ではないだろう」
誇らしげに自慢するアスラへ、申し訳ないが向日葵はやや眠気がさしてきた。
うとうとと微睡みながら、向日葵は返す。
「悪魔って、直接体に羽が生えてるんだと思いました」
「そう言う種も居るが、それらは羽が折れたら飛べなくなる。その点これはまず羽が折れる心配はない」
「じゃあ、アスラさんはどこにでも飛んで行けるんですね。いいなあ」
ふわふわとした少女の言葉は、深い意味などなく吐かれたものの、アスラの胸に突き刺さるようであった。
自らが彼女の自由を奪っていると言う罪悪感。やるせない気持ちに苛まれたアスラは、眠りかけている少女を抱き寄せ、自らの胸の内に閉じ込める。
完全に落ちかけていた向日葵はその感触により、瞼を上げては下ろしてを繰り返しながらも、アスラの腕の中からその顔を見上げた。
アスラがそれを見て、向日葵の頬を撫で、指を滑らせ、柔らかな唇へと触れる。
向日葵は大人しくしていて、抵抗しなかった。
それは、ほとんど彼女の意識はもう眠っているようなものだからで、ただ与えられている温度を享受しているだけだからだ。
応えなど返ってこないと分かっていながら、アスラは問う。
「何故、あの時キミからしてくれたのだい?」
返事をしようとしてなのだろう。触れる指先に温かな吐息が掛けられる。
薄く開いた口から漏れるそれと共に、くしゃくしゃにつぶれたような曖昧な言葉で「なんで、でしたかね」と辛うじて聞き取ることができた。
先ほどまで緊張で固まっていて、眠れそうもなかった彼女は、とはいえ、今日の疲労は大きかったようで睡魔に抗うことはなく、すやすやと寝息を立て始めている。
アスラは起こさぬように、けれど意識を確かめたくて、小さな声で彼女の名を呼ぶ。
勿論返事はないのだが。
「おやすみ、向日葵」
そう呟き、抱きしめたままに向日葵の額にキスをした。
しかし、眼前に無防備な彼女の姿があると、アスラはそっと顔を寄せて、彼女が地下室でしたように唇を食みたくなる。
息が混ざり合う距離まで近づいて止まり、滑り込ませたままの指で形を確かめるようになぞると、それがくすぐったかったのか、少女が「ん」と息を漏らすのだ。アスラはふっ、と頬を緩ませ、指の背を向日葵の口へ押し当てると、それを続けて自分の口へと当て、ちゅっ、と小さくキスを落とした。
間接的なそれで気が済んだのか、顔を離した彼は再び向日葵を抱き寄せて腕の中へと収めてしまう。
そして彼もまた疲れを癒すために、彼女の温もりを大切に感じながら、そっと瞼を閉じるのだった。
キスシーンと監禁シチュと添い寝シーンが大好きな兎角Arleです!!!!すごくイチャイチャしてて良いですね!!!!良い!!!!




