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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第三章 hide-and-seek
57/102

57.ファーストキスは激情と共に

 階段の裏の仕掛け扉から、地下へと続く石段を、冥府の底にでも(いた)るかのように、どこまでも深く降りれば、(ひら)けた場所がある。

 淡く発光する鉱石が闇の中、足元を幽かに照らし、硬い石の地面は下駄の引き()る音をカランカランと響かせ、大きな空洞たるこの場所で反響した。

 これもまたずっと歩いた先に、大きな鏡がある。

 その表面を撫でれば鏡自体が輝きを帯び、まるで其処(そこ)に映る姿をとくと見よと言わんばかりである。


 幻想的な空間。

 御伽噺の鉱山の女王でも暮らしていそうだ。石のように眠る乙女の姿ならば、もしかしたら探せば見つかるやもしれないが、ここで一時を(しの)いでいる妖怪のような男の興味は、すっかり目の前の鏡に向いていた。

 異界を映す鏡とくらあ、そいつはいい商売道具になりそうだ。

 手頃な岩の出っ張りに腰掛けて、煙管(きせる)をぷかぷか吹かせながら、とっくに欠けている鏡のさらに一欠片くらい頂戴してもいいんじゃないか、などと思ったりして。


 吸い込んだ煙をふうっと吐き出して、今日は待ち人は訪れぬだろうと諦めた。

 この館へ忍んでひと月、身を潜めながらも住人たちの動きをよく見ていた。

 七日に一度、あの少女は館の主人の相手をするのだ。それはこの侵入者騒動が起こってからも変わらなかったため、この情報屋もすっかり分かりきっているのだ。


 幸い、鏡を見ていれば暇を潰せる。仮にこの場所に誰か降りてこようものならばどうしたって響く足音で気付けるだろう。もし誰かが来たのならそっと隠れる手立てはある。

 だから彼はぼうっと赤い片目で鏡面を眺めた。


 そうしていると、階上からスッと控えめな足音が響く。隠れようかとも思ったが、何故だか彼にはその相手が誰なのか手にとるようにわかるのだ。ざわめく空気を、煙と共に吹き散らすように息を吐き、視線を音の鳴る方へ投げる。

 見詰める先には幼い頃よりよく知る少女の姿。内心驚きながらも、梅宮はなんてことない風に告げる。


「こんにちは、嬢ちゃん。随分と早いお出ましで」

「これでも一晩じっくり考えましたよ」

「じゃが、よりにもよって今日来るがは思うとらんかったき、驚いちゅうよ」

「今日だから抜け出せたんですよ」


 向日葵は勝気に笑った。


 というのも、アスラの相手をする日というのは、皆、二人の邪魔をしないように滅多に出歩かないのだ。アスラだけを撒くことができれば、逃げ隠れることは容易である。

 とはいえ、彼女だけではこの館からは出られない以上、いつまでも逃げ(おお)せるわけもない。こんなことを思いつきはしても、実行する意味など、通常ならありはしないのだ。


 向日葵の笑みからどれだけのことを悟ったかは定かでは無いが、梅宮は得心しながら懐から缶の小箱を取り出して、そこに煙管(きせる)の灰を落とす。慣れた手つきでそれらを仕舞い立ち上がれば、少女へと手を差し伸べて「ほんなら」と、一言。


 しかし、梅宮が続きを口にしようとした刹那。向日葵の後ろの暗闇から、黒い、ざわざわとした影が伸びると、その小さな体を覆い引き寄せた。それはよくよく見れば羽のような形をしていて、突然のことに驚きで息を呑む彼女は、何が起きているのかもわからぬ内に、すっかり彼の腕の中に収まってしまう。

 顔を上げた先には、この館の主人の姿。アスラは冷たく鋭い目で、ただ眼前に(たたず)む浮世離れした男へ敵意を向けた。


「共に過ごす約束を破ったばかりか、他の男と密会だなんて、キミは酷いな」


 警戒の目を梅宮から外すことなく、アスラは静かに口にする。思わず向日葵が「何故?」とこぼすと、彼の失笑がすぐに(かぶ)さり、嘲笑するように答える。


「契約者の居場所は手に取るようにわかるさ。私から逃げられると本気で思っていたのだとしたら、向日葵は存外、間抜けなのだな」


「まさか、」と向日葵は口にするけれど、これ以上話すことはないというばかりに、アスラの手がその口を覆い、言葉を遮った。


 先ほどから悪魔の目に射止められたままの梅宮は、両目を伏せて、じっとその殺意にも似た敵意を受け止めている。

 一方、余裕さもまだ感じられるその様子に、アスラは見定めるためか、あるいは見下すためか、目を細め()め付けた。


「お前がこの館から持ち帰っていいのはお前の命だけだ。五体満足でありたいなら早々に立ち去るんだな」


 梅宮は抵抗をする気はないことを示すために両手を上げるも、いつもの調子で口をつく。


「嬢ちゃんの意思でついてくるがは勝手ぜお。儂は道案内をしちゅうだけじゃ」

「案内なら不要だ。彼女がお前についていくことはない。そうだろう、向日葵?」


 アスラは問いかけるものの、向日葵の口から手を離すことはない上に、ちらりとも視線を寄越さない。それどころか、梅宮から見えないように、伸びる影のような黒い羽の内側へ、少女を隠してしまうのだ。

 この場の誰も、向日葵が彼の問いへどう返したか知るところではなかった。


 アスラは向日葵の返答など聞いてすらいない癖に、それらしい間を置いてから言う。


「……そう言うことだから、早々にお引き取り願おうか」


 対する梅宮は、ゆっくりと両目を開けて、じぃっと二人の様子を(うかが)っている。

 そうすることで何かに気づいたらしい彼は、わずかに口の端を上げると、上げていた手を下ろし、悠然と、先ほどまで腰掛けていた場所に改めて座るのだ。腕を組み、片目だけを閉じると、いつもの調子でこう語りかける。


「儂は慈善事業家じゃあないぜお」


「何が言いたい?」とアスラは警戒を解くことなく返す。

 この状況で何かを要求しようというのなら、余程命知らずの大馬鹿者だと、アスラは思った。彼の退去のために、対価を支払ってやる義理など、この悪魔にはない。

 梅宮はたっぷりと余裕を含ませてやることで、弱みの尻尾を出さないようにしながら、応えた。


「嬢ちゃんとは昨日、一度会っちゅうが、そん時に道案内の対価を用意するように伝えちょったがよ。儂には、その対価がどうしても必要じゃき、回収させてもらおうか」


 勿論それは方便であったが、昨日の会話を知らないアスラにはわかるはずもない。

 わかりっこないだろうことをいいことに、今は黒い羽に覆われて見えなくなっている少女の姿を記憶の中から想起して、その小脇に抱えられていた茶封筒を指摘する。

 アスラがチラリと向日葵を見ると、たしかに抱え込むようにしっかりと、茶封筒が握られている。それはこの状況で力んでしまったからかやや皺が寄ってしまっていた。


「中身を改めさせてもらっても?」

「儂は構わんが」


 中身を知る由もない梅宮は、けれどその内容が本当は大したことがないことを予感しながら頷いた。

 アスラが空いた手を伸ばすと、向日葵はぎくりとして、強く反発する。

 これまでもどうにか抜け出せないかと()がいていたが、中身を見られたくない向日葵は一層強く抵抗して、とうとう口を覆う手に噛みついた。


 痛みで拘束が緩むと、向日葵はその腕の中から抜け出す。けれど囲うように伸びた羽からは逃れられない。抵抗を受けたことで傷ついた顔をするアスラを間近で見て、良心が痛んだ。

 しかし、だからといって全てを明け渡そうなどとは思わない。

 発言権を取り戻した向日葵は「やめてください」と拒絶の言葉を吐く。


「何か後ろめたいことでもあるのか?」

「個人的なものです。アスラさんには関係がありません」


 ピシャリと放った言葉へ、アスラは瞳に暗い色を宿し、彼女の細い片腕を掴み捻り上げた。

 だが、向日葵は残った手で尚も懸命に、封筒を放そうとしない。


「キミのことならば、私にだって関係あるさ」

「私に、プライバシーは無いと?」


 アスラは答えを明言せず、ただ呟くように「心配なんだ」と、掴んでいた腕を放し今度は少女の頬を柔らかく撫でた。

 向日葵は即座にその手を払い除け、一歩後ずさる。


「いいえ、あなたは私が心配なのではなく、自分が不安なだけでしょう?」


 向日葵は酷く腹を立ててアスラを睨んだ。彼がこのような行動を取る理由を、当たり障りない甘言とともに自分へ押し付けられたように思えて、憤りを覚えた。

 少女から注がれる炎は、アスラにも燃え移り火力をます。ぶつけられた言葉に、彼は眉間に皺を寄せ、怒りを滲ませて向日葵の両肩を掴んだ。

 静かに怒気(どき)を含んだ声が言う。


「私を(だま)し、こんなところに忍び込んだキミを、どう信じればいい?」


 熱のこもった彼女はそれに怖気(おじけ)付く事はなく、自分を少しでも大きく見せるためか(かかと)を浮かせた。

 そのままアスラの首の後ろへ片手を伸ばして引き寄せれば、喧嘩腰に告げる。


「私のことが信じられないなら別にそれで構いません。あなたを黙らせる方法ならいくらでもありますから」

「非力なキミに何が」


 そこでアスラの言葉は途切れた。

 驚きで目を丸くすれば、満月のような金の双眸(そうぼう)が目の前の少女の瞼を照らす。


 向日葵はアスラへ口づけをした。


 目を閉じた彼女が男の唇を()むように口を付ければ、情動が込み上げてくるのだ。彼もまた清らかな少女の唇を味わいたいと思い、微かに、薄く口を開けると、温もりはパッと離され引いていく。

 物足りない顔を向日葵へ向けると、瞼を押し上げた彼女の方はまだ、キツく怒気(どき)を含んだ鋭い視線でアスラを見上げた。


「約束を破って、(だま)すような真似をしてごめんなさい。でも、もう少しだけ私を信じて時間をください。もしこの約束を私が破った時は、煮るなり焼くなり好きにして構いませんから」


 離れようと、向日葵はアスラの体を押す。

 ペースを乱されたアスラは、それによって()しくも頭を冷やすことができ、けれど、心配だという気持ちに偽りはなく、彼女を解放していいものかを悩んだ。

 やや沈んだ様子で「どれだけ待てばいい?」と問う。


「すぐ済みますから、部屋に戻っていてください」

「すぐとはどれくらいだ? 私と向日葵で感覚が違っては困る。教えてくれ」


 呆れたように、向日葵は深く息を吐く。息を吐き出したら、彼女もまた少し落ち着きを取り戻せたようで、苦笑して「三十分くらいで終わりますよ」と。

 その笑みがよく効いたらしく、アスラは向日葵の拘束を解き、影のような黒い羽もふわりと煙のように空気へと溶けて消えた。

 けれど、まだこの場を去ろうとしないアスラへ、やや居心地の悪い向日葵は、そっと耳打ちする。


「部屋で待っててくれたら、後でアスラさんのお願いを一つ聞いてあげます」

「!」


 アスラはじっと向日葵を見た。うずうずとしながら問いを重ねる。


「なんでもか?」

「次第によっては、(おおむ)ね」

「ふうん?」


 向日葵から一歩下り、アスラはしげしげと彼女を見た。

 そして「どちらに転んでも、まあ悪くない」と零して、にっこりと笑みを浮かべる。悪魔の現金な様子に、向日葵が疲れたように引き攣った笑みを返せば、満足したように彼はさらに下り距離をとった。そしてチラリと、先ほどから黙ったままの和装の男へ目を向ける。


 いつの間にやら煙管(きせる)を吹かせてくつろいでいる梅宮。アスラが無言で圧を送れば、梅宮は肩を(すく)めて煙管(きせる)を仕舞った。

 思うところはあったが、ここで噛み付いてまた(こじ)れてしまっても仕様がない。アスラは猜疑(さいぎ)心を残したままに、重い足取りでその場を後にしたのだった。

書いては消してを繰り返し、「あー!もう無理ー!」と思いながらもなんとかかんとかまとまりました。口論で感情的になるあまり会話が支離滅裂になってないか不安です……。不安だ……。

ここで和解できなくて向日葵ちゃん監禁ルートとかも考えたんですけどハッピーになれない予感がしたので大変好みの展開ですがやめておきました。監禁ノーセンキューですね。はい。続きものんびり書きますね。

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