53.この出逢いと目醒めを祝して
「はあ……」
向日葵はため息をつく。
ドレスを身に纏い、髪を整えてメイクをして、綺麗になるほどに憂鬱さは増し、その都度息をついた。
「向日葵ちゃん、元気がないですねぇ?」
「体調がまだ優れませんか?」
支度を手伝うフェロメナとアヤメが心配そうに声をかけるものだから、向日葵は笑みを作って「いいえ」と返す。
目覚めから一週間。体力は言うほど落ちてはいないし、食欲も戻った。
しかし、さあ元気になったらいつもの穏やかな日々が待っている……と言うわけではない。
予てより約束だった歓迎パーティー、加えて回復祝いが待っているのだ。とうとうその日がやってきた。
予想を上回るドレスの煌びやかさや皆の張り切りよう、向日葵はその規模の大きさに圧倒され、もうすでに気疲れしているのだ。
オフショルダーで大胆に肩を露出させており、青藤色をしたマーメイドラインのドレスはしなやかな体の輪郭を演出して、女性的ではあるが、こうした服に慣れない向日葵には恥ずかしい。あまりにも冒険しすぎている。
髪型はアップスタイルで、左右で編んだおさげをピンで後ろにまとめ上げていて、あらわになっている肩を隠してくれるものは何もない。
フェロメナが綺麗に仕上げてくれているけれど、やや服に着られている感は否めないように、向日葵は感じた。
「以前アスラさんから、あまり肌を出さない方がいいと言われたから、これはあんまり良くないんじゃないかと思うんだけど……」
無防備にさらけ出されている肌を撫で、それとなく告げる。
アヤメは不思議そうに返した。
「まあ! ご主人様がそんなことを? では上着をご用意したほうが良いですわね」
「でしたらボレロが合うでしょうかね〜。何種類か出してみます〜!」
フェロメナが上着を持ってきてくれるようで、ひとまず安心した。
このまま結婚式でもさせられてしまうんじゃないかと思うくらいだ。
想像してみて、冗談じゃない、と息をついた。
「パーティーはお嫌いですか?」
アヤメが苦笑して言う。
向日葵は小さく首を振った。
「あの、ホームパーティーのようなものしか馴染みがないので、こうしたドレスアップとか、なんだか慣れなくて……準備だけで疲れちゃって」
「あら、お気を張らなくていいのですよ。身内だけの集まり、それも向日葵様が主役なのですもの、向日葵様が一番楽しいと思うように過ごして良いのですわ」
「なら、このドレスがとても恥ずかしいので着替えても?」
「それはダメです」
にっこり笑顔で即答されてしまった。
皆でこの日のためにわざわざ作ったドレスだ、着てもらいたいのだろう。
「心配しなくとも、よくお似合いですよ」
「鏡に写るのが自分じゃないみたいで変な気分です」
クスクスとアヤメは笑みをこぼしながら「私たちにはいつもそのように、輝いて見えてますのよ」と返した。
そうしてフェロメナがボレロを数着持って戻る。
その中から黒っぽい長袖のボレロを選び、袖を通して羽織れば、最後の仕上げだ。
気がつけば支度を始めてから1時間がすぎていて、通りで疲れるわけだと、またしても息をついた。
「ため息ばっかりついてると、幸せが逃げちゃいますよ、向日葵ちゃん」
「ううん……そうだよね……」
ため息ではなく、深呼吸を一つ。意を決して部屋の扉へ手をかけた。
フェロメナとアヤメは片付けが終わったら各々に準備をして、後から広間へと向かうらしいので向日葵は一人で向かわなければならない。
道中逃げ出してしまいそうだ。
侍女二人へ「また後で」と声をかけて廊下へと出ると、まるで彼女が逃げ出さないための見張りのように、案内係としてアリオが居た。
アリオは一瞬目を丸くしてから、すぐにいつもの仏頂面に戻り顔を背ける。
「行くよ」
「は、はい」
短い言葉に、思わず固くなって返してしまう。
アリオはそれをどう受け取ったのか、気を使ってくれたのかもしれない、小さく聞き取りづらい声で「綺麗ね」と呟いた。
「ありがとうございます」
やや照れまじりに向日葵が返したが、それ以降二人の間に言葉はなかった。
眠りから目覚めて、アリオがソレイユを特別に思う理由もよくわかったし、だからこそ彼女にとって向日葵との交流に複雑な心境を抱いていることは十分に理解できる。向日葵はそれを無理に改善しようとは思わなかった。
互いにとって、こうしたちょっと素っ気ないくらいが丁度いい距離感なのだと思う。
なので、アリオとの間に沈黙が生まれることに、あまり以前ほどの気まずさは無い。
さて、そうしてアリオの後に続いて歩いていたのだが、はて、彼女はどうにも広間へ遠回りをしているように思う。
向日葵がそのことを問いかけてみると、ちらりと目を向けてから「準備中だから時間稼ぎをしろと」とため息まじりにこぼした。
あれだけ以前から準備していたというのに、まだ広間の準備が終わっていないということに、向日葵は引きつった笑みを浮かべる。
これから向かう場所は一体どうなっていると言うのか。
こうして、何気なく館の景観に目を向けて、広間までの回り道をするのだが、皆広間の準備をしているのか、すれ違う影はない。
人の見当たらない館は、どこか寂しく思う。
「あ……」
不意に足を止めた向日葵。
数歩先を行くアリオも足を止めて振り返り、怪訝そうに目を向ける。
そこは階段の足元で、一見すると何の変哲もないのだが、向日葵は夢に見て知っていた。
大きな鏡の置かれた隠し部屋への、秘密の抜け道。
階段の裏側の壁には仕掛け扉があって、そこから地下室へ繋がる階段が続く。その先にはあの大きな鏡の間があって、サンが一人になりたい時によく使っていた場所だった。
向日葵の部屋からは、この隠し部屋の入り口は遠く、あまり注視することのない場所で、おそらく夢に見なければここに隠し扉があるなんて思いもしなかっただろう。
「どうかしたの?」
アリオの声にハッとして「なんでもないです」と返す。
あの先が少し気になったけれど、今は足を運ぶ余裕はない。また今度覗いてみようと思い、気を取り直してアリオの後を追った。
彼女も、少し不思議そうにしていたが、指摘することはなく、先へ進んだ。
すると、程なく広間の入り口にたどり着く。
ついにここまできてしまった、と向日葵は固唾を飲み、扉へと手をかける。
その様子をアリオは隣で見守った。
意を決して力を込め、扉を開けるとその先に。
「ようこそ。キミが来るのをずっと待っていたよ、向日葵」
部屋の中央に立つ悪魔は、少女を歓迎した。
キラキラと無数に輝く光は、いったい何が燃えているのか定かではなく、しかし部屋中を幻想的に照らし出していて、明るくも神秘的だ。これも魔法に違いない。
呆然と立ち尽くす彼女の背をアリオが押せば、向日葵もまた溢れる光へ埋れていくように一歩踏み入る。
扉が閉められると、アスラが向日葵の手を取って引き寄せた。腰に手を回され、ダンスでも踊らなければならないのかと思うほど密着すると、彼は自らの手に収まってる小さな手に口付けをした。
向日葵はこの現実感のない空間も相まって、ぼんやりとその行為を眺め「いつもこんなことを?」と。
「こんなこととは?」
「人前で抱き寄せてキスをしたりです」
ちらりと周りを見れば、アスラの後ろにはドレスコードを纏った館の住人たちが控えている。
各々が抱く感情は別で、和やかそうな目であったり、また始まったとばかりに呆れていたり、居た堪れずに目をそらしている者に気づけば、じわじわ恥ずかしさが後から押し寄せてくるのだ。
アスラの胸に手を置き、力を込めて離れようとするがびくともしない。
彼は腕の中の彼女が恥ずかしがっていることに気づいているが、愛しさのあまり腕を解いてやることはなかった。
そしてアスラは悪戯を思いついたように、にやりと笑み、質問へ言葉を返す。
「いつものことならば、もっと大胆なことをされても良いと?」
流石にこうしたアスラの返しにも慣れてっきたのか、人目があるからというのもあるかも知れないが、向日葵は恥ずかしさを通り越して冷ややかな目でアスラを見た。
相手にされないどころか、軽蔑するような眼差しを向けられる事は、彼も少しショックだったようで、渋々、向日葵を解放する。
自由を得た向日葵は、何事もなかったかのように微笑み、告げる。
「今日は私のためにこんなに素敵な場を用意してくださり、ありがとうございます」
「ああ、キミのためにあつらえた場だ。存分に楽しんでくれ給え」
アスラの微笑には名残惜しさが滲んでいるが、以降強引に触れることはない。
「それから」と、彼は咳払いをして言う。
「今日は一段と綺麗で、別人のようだな」
「私も自分じゃないみたいに思えて変な感じです」
「いや、キミはいつだって愛らしいが、今日は格別だ」
「それはどうも」
にこやかにそう返す。
まるで靡かない少女の様子に苦笑し、アスラは手を差し出した。
「ダンスはできませんが?」
「エスコートくらいはさせてくれ」
強引なのだか紳士的なのだか、向日葵は可笑しくなってクスリと笑み、彼の手に自らの手を重ねた。
向日葵はアスラに導かれるままに前へ出て、奥に集う住人たちに、先ほどと同じように挨拶をした。
いつのまにか離されていた手に気づき、彼へ目を向ければ、彼は微笑み無言で頷く。
自由に過ごしていいと言われたようで、向日葵はアスラへ小さく礼をしてから皆の輪に混じった。
更に奥には大きなテーブルに沢山の食事が並べられ、立食形式で好きなものを皿に取っていける。
サラダはもちろん、肉や魚、デザートも豊富で、レイラのこだわりかパンもバリエーションがある。ひょっとすると、一つ一つ違うパンなのかもしれない。
向日葵が館の主人の手を離れれば、皆も各々に自由に過ごし始める。
ルカはここぞとばかりに豪勢な食事をたらふく食べているし、レフとオリガは料理を口にして次はああしようこうしようと味の話をしている。レイラは相変わらず、自分のパンを食べて幸せそうにその説明を披露して、生真面目なダヤンがそれを聞きながらこちらも相変わらず給仕の仕事に徹していた。ユウキとアヤメはその様子を眺めながらグラスを片手に、年長者らしい穏やかな談笑を交わしている。フェロメナは向日葵のそばにぴったりくっつき、しきりに話しかけていて、向日葵も退屈はない。案内を終えたアリオといえば、部屋の入り口でいつもの仏頂面で皆の様子を眺め、ヴェロニカがその隣に寄り添うように並び立ち、時折食事を手にしてはそれを彼女へ差し出した。
ふと、アスラの姿が見当たらないことに気づく。
普段ならば、時折彼女へ声をかけては、彼女の機嫌を伺ってみたりするだろうが、それもなく忽然と消えた彼を不思議に思った。
なんだか、わざと行方を晦まして心配させることで彼のことで頭をいっぱいにさせよう、などと言う魂胆なのではないかとも思ったが、気になってしまってはそれを払い除けることは出来ない。
手の内で踊らされているようで癪だが、向日葵はアスラを探してそっと広間から出た。
入ってきた扉の前にはアリオたちがいるので、奥の窓からテラスへと出る。このテラスは以前、初めて来たときにお茶をした場所で、庭にそのままつながっている。
天はまだ明るく、庭先へ目をやれば草木の隙間からまばらな木漏れ日が散っている。
そよ風が頬を撫でると、何故だかその向かう先に目的の相手がいるように思えて、導かれるままに木陰へと踏み入る。
何処へも繋がっていないはずの箱庭は、けれど歩くほどに広がるかのように広大で、歩けども目的の相手は見当たらない。
奥へ、或いは外へ、なのか。ひたすらに少女は歩いた。だが、慣れない服での歩みは遅く、疲労も溜まって行く。あまり高くないとはいえ、でこぼこな道をヒールのある靴で歩き続ければ、肌を赤くし鈍い痛みを得るだろう。
何故そこまでして彼を探さねばならないのか。そんなことを思うと、特別理由もないこの行為が途端に馬鹿らしく思えて、向日葵は引き返そうとした。
しかし、視界の端に、今となっては見慣れてしまった悪魔の後ろ姿が見える。
何も植えられていない一画の前で、腕を組んで何事か思案している様子だ。
「何をしてるんですか、アスラさん」
「向日葵? キミこそパーティーを抜けてどうしたんだ?」
振り返ったアスラは驚きで目を丸め向日葵を見る。
彼女は近づこうかと思ったけれど、靴擦れで痛む足を動かすことを躊躇い、やや離れたままだが返事をした。
「先に質問したのはこっちですよ」
「嗚呼、少し、気がかりがあったんだが……」
そこで言葉を止めたアスラは、近づいてこない向日葵を不思議そうに眺めた。
「そばへ来てはくれないのか?」
「はあ、ええと、足を痛めてしまって」
「なに?」
彼は足早に向日葵の元へ駆け寄ると、膝をつき少女の足へ触れた。
「赤くなっているな」
「幸い、この辺りは柔らかい土と芝だけなので、脱いで引き返そうかと思ってましたっ!?」
言葉の途中で、アスラは向日葵を抱き上げ、驚きで息が詰まる。
「一緒に戻ろう」
「気がかりは放っておいていいんですか?」
「キミの方が大事だ」
「パーティーを抜け出しておいてよく言いますね」
微笑する彼にとっては、紛れもない本心なのだろうが、はぐらかされたような気持ちになり、ため息混じりに悪態をついた。
すると、アスラは思い至ったように問いかける。
「……もしや、向日葵は私を探してくれたのか?」
「ええ、そうですよ。広間にいなかったので、気になって探してました」
顔を逸らし、そっけない風に告げるも、彼女が探しに来てくれた事実が嬉しかったようで、アスラはふっと笑みを零し顔を寄せた。
距離が近づくことで向日葵は硬直し、思わずキスをされるような気がして息を止めたが、彼は動物がそうするように顔を寄せ頬擦りをしながら「探してくれてありがとう」と言った。
なんだかアスラが大型犬のように感じられて、緊張が解ければ彼の頭をぽんぽんと撫で「戻りましょう」と。
「私も黙って抜けて来たので、みんな心配してるかも」
「主役が抜けるのは感心しないな。しかし、このまま私が運んで構わないのかい?」
「足、痛いですし。素直に甘えさせてもらおうかと」
ははは! とアスラは盛大に笑ってから「向日葵は人を使うのが上手い」と揶揄した。
そして向日葵を抱く腕に少し力を入れて歩き出す。
そよ風が吹き二人の髪を僅かに揺らし、木漏れ日の道は歩くほどに陰ったり日に照らされたりしてチカチカする。
この距離感で会話が無くなってしまったことが、少し居心地が悪く、向日葵は庭の景色へ目を向けながら、思い出したように口を開いた。
「そういえば、気がかりってなんだったんですか?」
アスラからの返答がなく、不思議に思い顔を上げる。目が合うと、彼は歩みを止めた。
沈黙。
アスラは真剣な面差しで、少し目を細めてから「今日は」と。
「余計なことをキミが考える必要はない。パーティーを楽しんでいてくれ」
彼の笑みは秘密の影を含み、追求を許さなかった。
向日葵は悩み、けれどアスラが「今日は」と告げたと言うことは、明日以降ならば教えてくれるのかもしれない。そう考え、彼女は苦笑し「でしたら」と。
「私に余計なことを考えさせるような行動は、控えた方がいいですよ」
茶化す向日葵へアスラは困ったように力なく笑み息をついた。
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