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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第二章 in the Black Theater
52/102

52.終幕 目醒め

 (いま)だ向日葵が目覚めぬ館。

 アスラはずっと彼女のそばで夜明けを待った。

 ヴェロニカが情報屋を探しに行ってから、時計の短針はようやく二週して、まだそれほどしか経っていないのかと息をつく。


 程なくして戻ったヴェロニカは、けれど表情から収穫はなかったことが窺える。

 向日葵の故郷の様相が元に戻ったことで、喫茶店はまだしばらくは休業中だ。朝一番にくるという情報屋の梅宮は、わざわざ足を運んでいないということか、店の前で待っても会うことはできなかった。もちろん、あの掴みどころのない老人が何処にいるかなど検討もつかず、探しようがない。

 店の営業が再開すれば或いは……とも思うが、何にせよ、再び待つことしかできない現状に深く息を吐いた。


 夢を終えて尚、眠り続ける向日葵。

 それは、長い記憶の旅をしているからだろうか。

 数多の夢を一夜に観ることもできるだろう。なればこそ、その刹那に得た膨大な情報を処理することに、夢を見る以上の時間を費やす必要もあるのやもしれない。

 少女のこの華奢で小さな体躯(たいく)を、あらゆる情報が駆け巡り、意識を再構築させようと蠢いている。

 その巡りを外から認識することはできない。

 しかし、じきに目覚めるだろう。

 向日葵はこの場所へ返りたがっているのだから。


 砂時計が反転して、さらさらと砂の粒が落ちるように、少しずつ、少女の意識が器めがけて落ちてくるのだ。緩やかに光を感じる。

 降り積もり満たされて行く程に、感覚は明瞭になり、光の次にぬくもりが伝わる。続けて香り、気持ちが安らぐ何かの花の香りが鼻腔をくすぐる。そして音。自らの内を駆け回る脈の音は騒がしく、別の音を探ると規則的な針の音に気づく。誰かが息を吐く音。身体の外側の音に興味が湧けば、騒がしかった血潮の叫びなどもう気にならない。

 重い緞帳(どんちょう)を押し上げようと力を込めれば、ピクピクと瞼が動く。けれどまだ開くことは叶わない。身体の外側から光を感じながらも、薄闇に包まれたままの少女の視界は、懸命に、外界を取り込もうと足掻き、薄く口を開いて呼気を漏らす。


 外側。向日葵のわずかな動きに気付いた誰かが音を発する。違う、それは声。言葉。重すぎない深みのある声が鼓膜を震わせている。言葉の意味はまだ飲み込めない。

 ゆっくり、ゆっくりと先ほどの言葉を思い出して一文字ずつ形を思い描けば、その連なりの意味をようやく理解する。

背中に腕が回されて上体を起こされると、自らの体の重さを自覚する。そうして再び、名を呼ばれた。


「向日葵」


 目覚めを迎えてくれる人がいることは、なんと素晴らしいことだろう。

 徐々に閉じていた瞼が開き、光と色の刺激を受け取る。生まれ変わったような感覚にも苛まれながら、ぼやけた輪郭はまだ世界を抽象的に象る。


「おはよう」


 さらに声をかけられて、焦点が合った。


「おはよう、ございます。アスラ」


 ぼんやりしたままの掠れた返事は、気がつけば呼び捨てになっている。アスラは気付きながらも言及はせず、むしろそうして呼んでもらった方が親しく感じられて嬉しい。

 何より、彼女が目覚めてくれたことが……戻ってくることを選んでくれたことが最大級の幸福であった。


 安堵した彼は表情を緩め、泣き出しそうなのを耐えながら笑み、恐る恐る、というように少女を柔らかく包み込み抱きしめた。

 折ってしまわないように、優しく、力を込めないように気を使いながら、寝台へ身を乗り出して。向日葵の肩へ顔を埋めれば、僅かに抱く腕の力が強くなる。

 苦しくはないけれど、寝起きの少女の力では決して振り解くことはできない。


 アスラが漏らす声は耳元で響く。


「心配した。目覚めてくれてよかった」


 まだ寝ぼけた向日葵には、それが頭の中に直接響いてくるように思えてクラクラする。

 再び目を閉じて息を深く吸うと、アスラの匂いが胸をいっぱいにした。

 包まれるぬくもりを、目を閉じたまま受け入れて感じていると、次第にその温度が遠のいてゆく。

 身体は支えられたままに、抱かれた腕からは解放されたのだと分かると、目を開けて彼の顔を見た。


 再び目を閉じたことで、また眠ってしまったのかと不安げな顔がある。少々意地悪かも知れないが、おかしくて頬が緩んだ。


「とても長い夢を観ていました」


 彼は空いた手を頬へ添え、指で彼女の目元を撫でながら返す。


「だろうな」


 アスラの苦笑へ微笑を返す。

 夢の内容を尋ねる事はせず、悪魔はただ自分へ向けられている笑みを、いつまでも見つめ受け止め続けた。


 そうしていると、彼の中で思わずキスをしてしまいたくなる衝動が生まれる。彼は彼女を愛しているから。

 顔を寄せて、頬や額、鼻頭に落としてやろうかと画策していたのも束の間、容態を診にきたユウキが目覚めた向日葵に気付き、嬉しそうにそばへとやってきた。

 アスラは残念そうに苦笑するが、喜ぶユウキとまだぼぅっとしている向日葵は気づかなかった。


「向日葵様! お目覚めになられたのですね!」

「皆さんにもご心配おかけしましたね」


 向日葵が体重を前に向け、自らの力で上体を維持すると、アスラは背に回していた腕を離し、その場を退いた。


「ユウキ、早速だが向日葵の容態の確認をしてくれ」

「そうですね。では、失礼して」


 アスラと場所を変わったユウキが向日葵の脈を測るために手を取る。

 向日葵は苦笑して「ただ寝ていただけなのに大袈裟な」とこぼした。

 思えば点滴までつけられている。

 四日間ずっと意識がなかったのだと伝えれば、向日葵自身も大層驚き、通りで身体のあちこちが固まったように重たいわけだと納得して、大人しくユウキから診察を受けた。

 まるでお医者さんみたいだなあと思いながら、検査が終わり、その頃には、何処からか話を聞きつけた館の住人たちが、彼女の様子を部屋の外からこっそり眺めて、各々に安心した顔を見せていた。


「健康状態に問題はないですし、意識もはっきりしていますね。多少体力と筋力が落ちていると思うので、毎日軽い運動をすればすぐ良くなるかと」


 何事もなくほっと息をつくと、部屋の外でアヤメに抑えられていたフェロメナが我慢の限界と言うように、わんわんと泣きながら向日葵へ飛びつき抱きしめた。


「わああん! 向日葵ちゃん、な、なんともなくて安心しましたぁ〜! うぅ……」

「心配かけてごめんね、フェロメナ」


 大きな声に向日葵は目をパチパチさせて、ようやく調子が戻ってきたように思う。すっきりとした思考は、嬉し泣きの止まらないフェロメナを(なだ)めるために、手を背に回しトントンとリズムを刻んだ。


 フェロメナが飛び込んだ事で、今まで遠慮していた他の者たちも部屋に入ってくる。

 みんな彼女を心配してくれていた。向日葵にしてみればただ眠っていただけなので、こうして目覚めを迎えられるとなんだか気恥ずかしい。


「ずっと眠っていてお腹が減ってない? パンなら丁度焼けたところなの!」と、レイラが言う。

 それをレフが止め「いきなりパンは消化によくないですよ」と告げた。


「いつ起きてもいいように、ゼリーを用意してたから、必要なら持ってくる」


 オリガが続けてそう言うので、向日葵は考える。

 何日も食べていないとなると、それはもう空腹なのだろうけれど、あまりにお腹が空っぽすぎてそれさえも感じないのかもしれない。


 向日葵は「後でいただきますね」と返して「お水を頂いてもいいですか?」と。

 先に喉の渇きを潤す水分が欲しい。

 そう思っていると、部屋に置いてあった水差しから伏せていたグラスへ水を注いだダヤンが無言で差し出す。


「ありがとうございます、ダヤンさん」


 ニッコリ笑みを返すダヤンの表情には、安堵の色が滲んでいた。

 受け取って一口だけ水を飲む。いきなりたくさん飲んだら気分が悪くなってしまうだろうから。

 その間にルカが無言で花瓶の花を入れ替えて、晴れやかな顔で声をかけずに部屋を後にする。心配してくれていたのだろうけど、それを出さないのは彼らしい。


 そうしていると、アスラが「ほら、お前たちは仕事に戻れ」と呆れまじりに告げた。

 みんなが「それじゃあ」と向日葵へ声をかけて去っていく中で、部屋の隅でユウキとアヤメが点滴を外すか否かの話をしていた。

 結局、あと少しで取り替えだったことから、そのタイミングで外すことが決まる。

 アヤメはそのことを向日葵へ伝え「遅くなりましたが、向日葵様がお目覚めになられて本当に良かったですわ」とお辞儀した。

 ユウキとアヤメも「点滴がなくなる頃にまた来ます」と言って、いまだ向日葵の膝にひっついたままだったフェロメナを引き剥がす。しかしどうやらフェロメナは安心からか彼女の膝の上ですやすやと眠っていたようで、寝ぼけながら二人に連れられ部屋を出ていった。


 部屋にアスラだけが残ると、先程の賑わいは何処へやら。静寂が包み込む。


「アスラさんは行かないんですか?」


 向日葵の言葉に、アスラは目を丸くして、すぐ不満そうに顔を歪めた。


「さっきは呼び捨てだった」

「え、あ。すみません。気付きませんでした」

「キミから他人行儀にそう呼ばれると寂しいな」

「はあ」


 向日葵は淡白な相槌を打ったあとに「でも」と。


「私とアスラさんは、そこまで親しくないですし、良いんじゃないですかね」


 アスラは向日葵のそばへ寄りながら、明らかに機嫌が悪そうに「向日葵はつれないな」とヘソを曲げた。

 結局、向日葵がそこまで親身になってくれていないことは諦めて、アスラは彼女の髪に指を絡めて、最初の問いに戻る。


「向日葵を一人にするわけがないだろう」

「熱を出した子供じゃあるまいし、一人で平気ですよ」

「私が心配なんだ」


 彼の手は少女の頬を撫で、沈んだ瞳でこう続ける。


「きっと私はこれから先、キミが眠るたびにこうして不安に駆られるんだろう」


 向日葵は真剣な面差しでアスラを見て、言う。


「私が劇場へ行くことは、もうありませんよ」

「何故だ?」


 向日葵は苦笑した。夢へ乱入したのは彼らだと言うのに、と心の中で思ったが、何より夢を受け入れなかったのは自分自身である。


「どんな美しい夢よりも、私は現実での目覚めを望んだからです。夢を願わないモノは、あの場所にはもう辿り着けないから」

「向日葵は、私たちのことを望んでくれたのか?」


 きょとんとして、目をまあるくする。そしてすぐ失笑して、向日葵は可笑しそうに笑いを漏らした。アスラは何故彼女が吹き出したのか分からず怪訝そうにする。


「いいえ、私は何も、アスラさんたちを望んだわけじゃありませんよ。些か都合よく解釈しすぎですね」

「では何故、目覚めようと思った? キミにとって家族と過ごす方が幸せならば、覚める必要などなかっただろう?」

「自分に都合がよければなんでも飲み込めるわけではないでしょう。単純に私は、豆腐ハンバーグじゃなくて、普通のハンバーグが食べたかっただけですよ」


 今度はアスラが目を丸くして、「ハンバーグ?」と首を傾げた。


「空腹なのか?」

「ええと、ものの例えです」


「随分とセンスに欠ける例えだな」と、アスラは失笑した。

 向日葵は内心で、「これはあなたの大好きな人が考えたものですよ」と思ったが、それを伝えてはやらなかった。

 だってそれは、誰も知らない、彼女だけの思い出だから。


 そこでふと、ソレイユから貰った呪文を思い出す。

 その言葉を思いながらじっとアスラを見つめると、彼は「うん?」と不思議そうに返した。

 魂の記憶を見たことを、彼に全て話すこともできるのだが、向日葵は思い悩んだ。

 なんだか墓を暴くような気持ちになったからだ。


 何より、あの呪文を唱える覚悟が、今の向日葵にはやっぱりない。

 目覚めれば少しは決心がつくかと思ったけれど、やっぱり、彼らにそれを伝えてやるだけの情を今は抱けなかった。


「例えばですけど、私がもしソレイユさんになれるとしたら、アスラさんは私とソレイユさん、どちらを選びますか?」


 少し意地の悪い質問をしてみると、案の定、アスラは苦笑する。


「向日葵が、無理に向日葵らしさを損なう必要はない。どんな人格であっても、キミはキミだ」


 ああなんと、アスラの返事もずるいではないか、と向日葵も苦笑した。まるで答えになっていない。

 それでも向日葵は、それで納得したフリをして「そうですか」と返した。


 そしてアスラは咳払いをして「しかしだな」と。


「やはり向日葵は、私のことをそう悪くないと思っているんじゃないかな?」

「なんでしょうか、藪から棒に」

「選んで欲しいから、選ばせたのだろう?」

「いいえ、別に」

「では何故そんな質問を?」


 向日葵は数秒言葉に迷ってから「なんとなく」と返した。

 アスラはそれを都合よく受け取って、そう、なんとなく選ばせたいのは無意識に好んでいてもらえてるからだと思い機嫌を良くした。


 そこで閉じられていたドアからノックの音が響く。

 返事をする前に開けられた扉の先には、ヴェロニカとアリオの姿。アリオは見るからに不機嫌そうで、髪も随分と乱れてることから、ヴェロニカの充電に付き合っていたんだろうことが伺えた。

 そしてアリオは乱暴にヴェロニカの背を押して部屋へ押し込むと、扉を閉めて向日葵に声をかけずにその場を去る。

 ヴェロニカは苦笑して頭を掻いた。


「騒がしくてごめんなさい。おはよう、向日葵さん。目覚めてくれて本当によかった」

「ヴェロニカさんにもご心配をおかけしました。それから、夢の中ではすっかり忘れちゃってごめんなさい」

「覚えてるの?」

「はい。少しだけですけど」


 あの後見た演目の濃さに、だいぶ薄れてしまった。

 薄っぺらな幸福の夢。

 きっと彼の乱入がなければ、向日葵は今も眠っていたか、ひょっとしたら目覚めを望まなかったかもしれない。


「貴方の夢が崩壊してから、目覚めまでに随分と時間が掛かったから、失敗したんじゃないかって本当に不安だったんだ……何事もなさそうでよかった……!」


 ヴェロニカは穏やかに笑んだ。

 言葉には心底安堵の色がにじんでいて、向日葵は少しばかり、追加の演目にかまけていたことを申し訳なく思った。


「寝坊しちゃってごめんなさい。きっともう、劇場に行くことはないでしょうから、安心してください」


 向日葵はアスラへ告げたように、もう夢を望んでいないことをヴェロニカにも伝え、彼を安心させた。


 ほっとしたヴェロニカは「アリオもすごく心配してたんだよ」とこぼす。


「でもお見舞いとか恥ずかしがっちゃうからさ、元気になったら向日葵さんの方から声をかけてくれたらうれしいな」


 向日葵はクスリと笑って「わかりました」と答えた。


 演目の中で、ソレイユを慕うアリオの気持ちがよく伝わってきていたので、彼女が生まれ変わりへ対して複雑な気持ちを抱くことはよく理解できた。

 けれど、だから距離を置こうなどとは思わない。

 向日葵は向日葵の距離感で、アリオと仲良くできたらいいと思う。


 そんなことを考えている横で、アスラが「そうだ」と。


「ヴィー、早速パーティーの準備をしよう!」

「すぐにですか?」

「誕生日兼歓迎会に加えて、向日葵の目覚め祝いだ!」


 向日葵がぼんやりと、そんな話をしていたなあと思い出している横で、ヴェロニカが返す。


「いつでもできるように用意はしておきますが、向日葵さんの食事のこともあるのでもう少し様子を見た方がいいですよ。いきなり豪勢な食事を出しても食べれないでしょう」

「ふむ。なるほど、それもそうか」


 アスラが向日葵へ向き直る。

 初めて会った日のように、彼女の手を取り、空いた手を胸に当てて告げる。


「時間は幾らでもある。私たちはキミが元気になる時をいつまでも待っているよ、向日葵」

「ふふ、皆さん本当に大袈裟ですね。このくらい二、三日で良くなりますよ」


 花が咲くような笑顔で、少女は笑った。

お絵かきタノシイイイイってしてました。「シノニムの少女」と言うタイトルで向日葵ちゃんの絵を描いてました。

さて、とうとうニ章も終わりですね。結末の予想が立ち始めたのですがまだもう少し向日葵ちゃんには回り道が必要な気もします。次回から第三章!どうなるかドキドキです!

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