47.第十幕 凍てつく心、溶かすひだまり
一人の少女は悪魔と二人で旅に出て、その道すがら、仲間が加わり三人になる。
ソレイユの願いを、アスラとアリオは叶える。それはまるで聖女を守る剣と盾。
彼女の威光は増してゆく。あたたかに、柔らかくも、明確に。
北の大地を訪れた三人は、寒さに耐えながら街を目指していた。
天気は荒れ、雪は吹雪、なんとか見つけた洞窟の奥で暖を取る。一向に止まぬ天気。食糧も少なくなってゆく。
洞窟で二日を過ごし、ふと天気を確認しようとソレイユが外を見ると、遠くで何かがきらりと光ったように思えた。
目を凝らすも雪でよく見えない。身を乗り出したソレイユの首根っこを掴み、アスラは「そんなに前に出たら飛ばされるぞ」と引っ張った。
「アスラ、少しついてきてくれませんか?」
「嫌だ。止しておけ。……なんて言っても、キミは聞かないんだろうな」
呆れるアスラを他所に彼女は続ける。
「あそこで、何か光ったんです。もしかしたら、遭難者かもしれません」
心配そうに語るソレイユを引き摺りながら奥へと戻り、アスラは火の番をしているアリオにソレイユを差し出した。
「キミが出ても風で飛ばされるだけだ。アリオ、ソレイユを見張っていてくれ」
「姉様、アスラ様に任せましょ」
アリオはそういってソレイユの手を取った。アリオが微笑んでくれたので、ソレイユも口元に笑みを作り「わかりました」と。
「遭難者でしたら、必ず、ここに連れてきてくださいね。それから、お気をつけて、アスラ」
「誰に言っている。キミこそ勝手についてこようとするんじゃないぞ」
「姉様に危険なことはさせない。いいから早く行ってきてくださいアスラ様」
アリオが追い払うように手をひらひらと揺らすと、アスラはムッとしてそっぽを向いた。そうしてそのまま洞窟の外へと出て行った。
残されたソレイユとアリオは、ぴったりとくっついて火を囲んでいた。
人肌が一番暖を取るのに向いているというのもあるが、アリオはそうで無くてもソレイユにはいつでもくっついていたいくらい懐いていたのだ。
それを見るたびアスラは「見た目でも鬱陶しい引っ付き虫」と形容してソレイユからアリオを引き剥がそうとしていた。
ソレイユはなんだか、妹や従兄弟が彼女と一緒に遊びたがって、腕を引っ張ってきた時のことを思い出し微笑ましく思う。
それに、こうしてぴったりくっついて誰かの温もりを感じられることが、ソレイユにとってはとても幸せなことだ。アスラはこんなに露骨にくっつこうとはしないので、アリオといると、たくさん、忘れていた楽しい思い出を蘇らせてもらえて、嬉しかった。
さて、アリオはアスラとすでに主従の身のこともあり、アスラ自身が気づいていない淡い感情にいち早く気づいていた。
それがどうにも気に入らなくて、大切な姉を取られないようにしていた節もある。記憶のないアリオにはソレイユしか頼れる存在も、大切にしたい相手もいなかったから。
火を眺めながら他愛のない話をしていると、程なくアスラが戻ってくる。
大きな荷物のように肩に抱えているのは金髪の青年で、もう一方に手には白い兎が掴まれている。
「兎……」
抱えられてる人間より先に、アリオは兎に興味を示す。
「巣穴を見つけたから捕まえてきた」とアスラは言いながら、青年を火のそばへ下ろす。
全身が凍り付いているかのようで、呼吸も不確か、髪や睫毛は固まって、肌も真っ青。一見死んでいるようにさえ見える青年を示して「魂はまだそこにある」と告げた。
「心音も呼吸も、よくわかりませんね。でも、生きているのでしょうか?」
「屍人の類でなければな」
「なら、体を温めなければいけませんね。アリオ、毛布をお願いします」
アリオは頷き、自分たちが使っていた毛布を全て集めて青年へと掛けた。
その間にアスラは離れた場所で兎の血抜きをする。
ソレイユは青年の体を摩り、人肌で温めようと身を寄せた。
「か、は……」
詰め物が取れたように、金髪の青年の呼気が漏れる。生きていることがわかり、一層摩る手を早めた。
青年は数回咽せると、ぜえぜえと息をして、すぐ呼吸が整っていく。相変わらず瞼は凍りついたままで、目覚める気配はしない。
しかし、目覚める気配はしないが、意識はあったらしい。青年の口から呟きが漏れた。
「どうして……」
「目が、覚めましたか? あなたは、吹雪の中で倒れていたのです。私たちは、それを見つけて、介抱を」
「余計なお世話だよ」
青年は感情の色のない声でソレイユの言葉を遮った。
「僕はもう、眠りたかったんだ。放って置いてよ」
「だから、あなたは、目を開けないのですか?」
「生きていても何も感じない。大事なものも失って、知への探究心も今となっては無意味で無価値だ。世界のどこを眺めても、僕は一人で、孤独で、混じれない。だから、もう、全部やめたいんだ」
「何も感じないなんて、言わないで。あなたの、凍てつく瞼を見れば、あなたが、傷つき、涙を流していたことがわかります。あなたは、何も感じなくなんてない」
「わからない……わからないよ……。僕に、どうしろって言うんだ」
抑揚のない声を聞き、アスラもアリオも、この仕様もない死にたがりに呆れ果て、言葉が出なかった。
けれど、ソレイユは壊れ掛けの彼を見捨てない。頬を包み、温かい指でそっと青年の瞼に触れる。
「目を開けて、世界を見てください。あなたが、そうして眼を閉じている限り、あなたの世界に映るのは、暗く悲しいものだけです。だからどうか、目を開けて、降り注ぐ光を、その瞳で感じてください。それはきっと、あなたの凍える心を溶かしてくれます」
呼応するように、まだ尚壊れ物の青年は虚に霞んだ目をゆっくりと開ける。
焚き火の眩しさに少し目を細め、覗き込み微笑んでいる少女が見えると「貴方は女神様?」と青年はぼやいた。
ソレイユは首を振り否定する。
「私はソレイユ。おはようございます、はじめまして。あなたのお名前は?」
「ヴェロニカ」
「素敵なお名前、お花から取ったのでしょうか」
ヴェロニカはぼんやりと、ソレイユの笑みを見上げて、微々たるものだが、先ほどの言葉にあった降り注ぐ光を見たような気がした。けれど、彼を回復させ心を打ち震えさせるような影響力は、やはりなかった。
もっと、もっと強い光で照らして欲しい。
縋るように、ソレイユの顔に向けて伸ばされた手を、アリオが掴む。
さっきからソレイユが、どこの誰ともわからぬ相手に構っていて、少し不貞腐れているのだ。
「姉様、体が冷えてる。この人をあたためるの代わるから、火に当たっててください」
「私は平気ですよ」
場所を変わろうとアリオがソレイユの隣へ来ると、ヴェロニカの視界にその姿が映る。
彼は目を見開き、一瞬で生気を取り戻した様子で、がばり、と起き上がった。
そしてアリオの肩を掴んで顔を覗き込む。
「モネ……?」
「は?」
「その赤い髪に黄色い目、モネでしょう!? 僕だ、ヴェロニカだよ!」
「知らないっ、離して!」
アリオの言葉を聞かず、ヴェロニカは彼女を抱きしめると、肩に顔を埋めてボロボロと涙を零し、ついには大声を上げて泣き喚いた。
「や、やっと! 知ってる人に会えた! うっ、うぅ……! モネぇ……生きててくれてありがとぉ!!」
「ちょっと! 耳元でうるっさい! 退いてよ!」
引き剥がそうと抵抗するとヴェロニカはアリオの頭の後ろに手を回し自らの胸に埋めてくる。
青年の胸にすっぽりとおさまってしまったアリオは言葉も紡げずもがいた。
「ヴェロニカさん!? アリオが苦しそうですから、放してあげてください」
「ははっ。放っておけソレイユ。その程度でアリオは死なない」
さっき追い払われた意趣返しになったのか、アスラは愉快そうにアリオの様子を眺めて助ける気はなさそうだった。
ヴェロニカは泣き続けて、疲れ果てて、ぱったり眠りこけると、ようやくその下敷きになっていたアリオは隙間から脱出する。
アスラに恨みがましい視線を向けながら、すでに出来上がっている食事を受け取った。
ソレイユが苦笑を溢し、ふとつぶやいた。
「ヴェロニカさんは、アリオが記憶を失う前の知り合い、なのでしょうか?」
「アリオはこの男に何か思うところはないのか?」
「全くなんとも思わない。暑苦しい」
そんなことを話しながら食事を済ませ、三人も床に着いた。とはいえ見張り番でアスラはほとんど起きているのだが。
翌日、尚も吹雪が晴れない中、皆が目を覚ます。
ヴェロニカは初めて言葉を交わした時の空洞は感じられず、今の柔和で穏やかな空気を纏っていて、まるで別人のような様相にソレイユは驚いた。
落ち着きを取り戻したヴェロニカは、自らが異界の魔法使いであることや、故郷を滅ぼされ、当て所なく彷徨い続けて、その末に心を病んでしまったことを話した。
「お恥ずかしながら」と恥じるヴェロニカを、アリオはソレイユの背に隠れてキッと睨みつける。
ヴェロニカは申し訳なさそうにしながらも、しかしアリオにだけは特別な情のこもった目を向けているようだった。
ヴェロニカは、目を開け世界を見ろと言ってくれたソレイユに感謝と尊敬を示し、また妹のように思えてならないアリオが敬う相手は、自分にとっても敬う相手なのだと、聖女と悪魔を「ソレイユ様、アスラ様」と呼ぶようになった。
そしてもう二度と取り戻した光を失いたくない彼は跪き、自分もその旅に同行させて欲しいと懇願した。
アリオは心底反発したが、吹雪く天気を彼が魔法で払い退けてみせると、これは便利だと思ったアスラが快く受け入れるのだ。もちろんアリオはやっぱり嫌なので、ソレイユの背に隠れながら男二人を睨みつけた。
人が増えて賑やかになる旅路。ソレイユはとても幸福だった。
長かったので分割することにしました。続きはまた明日お昼頃にでも上げます。




