44.第七幕 陽
パッと視界が明るくなると、快活な女性が立つ。
はっきりと明瞭な彼女の意識は、その姿を知らない筈の向日葵でも、一目で誰なのかわかった。
アスラ達が楽しげに語っていた名前。
彼女の名は、
***
陽。
彼女は母親を早くに亡くし、父親は飲んだくれで、幼少期は、それは貧乏で酷い生活を送っていた。
陽の父は、彼女の母に似た端正な顔立ちを使って「物乞いでもしてこい!」と彼女を怒鳴りつけたものだ。
しかし、彼女も言われてばかりでは無い。その気性の荒さは父親譲りだったのだ。
「ふざけんじゃ無いこのくそじじい! 誰がそんな惨めったらしい真似するもんか!」
殴られたら殴り返すし、飛びついて噛み付いてやるような時もある。周囲からは騒々しい家だと大層迷惑がられていた。
とはいえ、彼女の言動は乱暴だったが、性根は腐っていなかった。むしろ心根は優しく、曲がったことが嫌いなのだ。
弱い者いじめをする者には掴みかかって年上相手だろうと説教を垂れ、殴られようと蹴られようと、自分の正義を曲げはしない、自分の父親に散々痛めつけられているから痛みには慣れていたし、暴力に頼るような輩なんて、本当は大したことはないことを幼いながらによく理解していた。
しかしまあ、殴られて痛いものは痛いし、腹立たしいものはどうあってもむかつくので、喧嘩っ早い彼女は自分からもよく手が出たし、その度に気が短い自分にほとほと呆れてしまうのだ。
当時、彼女の国で仙人と呼ばれた流浪の魔法使いがいた。
魔法使いと言っても、万能の魔法使いではなく、この世界でいうところの魔法使い。精霊の力を借りたりだとか、呪術的な儀式をしたりだとか、そう言うものである。
陽が十三の頃、その魔法使いの男が偶然通りかかり、多人数と喧嘩をする陽を見つけたのだが、一目見て魔法使いは気がついてしまう。
魔法使いが慌てて喧嘩の仲裁に入るや否や「この娘をいじめてはならない」と言うではないか。
「どうして?」と当然の疑問をぶつける子供達に、魔法使いは返した。
「この娘は、悪魔に呪われているからだよ」
勿論、それはアスラが残している契約であり、呪いとはまた違うのだが……ある側面から見れば呪いとも取れるかもしれないけれど。
魔法使いは、彼女とアスラの契約に気がついて、それが後々、災いをもたらすものだと考えたのだ。
喧嘩相手の子供達は気味悪がってその場を去り、残された陽は身に覚えのない話に、どうしたらいいのかと魔法使いへ問いかけた。
それは勝気な彼女には珍しくしおらしい姿で、まだ幼いこともあっただろうが、悪魔というのはこの世界では狡猾でおどろおどろしい、なかなかに凶悪なものなのだ。
魔法使いは哀れに思い、陽の身を引き取ると、旅をしながら彼女へ様々なことを学ばせた。
結局のところ、この仙人と呼ばれた彼でさえ、アスラの契約を解くことは出来なかったので、学をつけさせ彼女自身で危険から遠のいてもらうほか手立てがなかったのだ。
しかし、ある意味、あの酔っ払いの父親と喧嘩ばかりする貧乏生活から抜け出せ学びの場を与えてもらえて、陽は幸せだったと言えるだろう。
彼女は多くを学び身につけた。特に魔法の才には秀でていて、仙人でさえ目を見張るものがある。
おまけに、もともと清く正しく強かで、精神面でも更に成熟すると、魔法使いの師匠はとうとう「もうお前に教えられることはない。好きなように生きるといい」と一人前になった彼女を見送った。ちょうど二十歳を迎えた日のことだった。
彼女も立派な大人になり、一人で生きていく術も身につけた。
そんな彼女は一人立ちして何をしたかと言えば、これもまた彼女の破天荒さゆえ為せるのだろうが、所謂トレジャーハンターになったのだ。
その武勇伝で彼女の名は大陸中に知れ渡り、豪傑の魔法使いと呼ばれるようになる。
兎にも角にも、大胆不敵で奇想天外なのが、陽という女性なのだ。
アスラが彼女を見つけ出したのはちょうどその名が轟き始めた頃。
まだ陽と出会っていない彼に盟約という縛りはなく、すぐさま彼女を迎えようと使者を出した。
しかし、事もあろうに陽は、ようやくやってきた悪魔の呪いを打ち負かすべく、ことごとく館への招待を断り、こてんぱんに返り討ちにしてしまう。
そこからは追いかけっこの始まりだ。
彼女を迎えに行くヴェロニカやアヤメはそれはもう困り果てて、手荒な真似も出来ないしどうしたものかと悩み続けた。
そんな攻防が三年続いたある日。
彼女はそのお人好しでお節介な性分から首を突っ込んだ事件を追う中で、真相を暴かれては困る時の支配者の命で遣わされた暗殺者により、脇腹を刺され崖下へと突き落とされてしまう。
死んでも死にそうに無いタフな彼女も、流石にこの時ばかりは本気で死を覚悟したものだが、アスラ達が黙って見ているわけがない。
落ちる身体を受け止めて、館へと迎えたら、さあ、応急手当だ。
治療を済ませ意識が戻った陽は、そのあまりにも穏やかな景色に、ここが死後の世界なのかとしばらく呆けたもので、しかし、そんな時間も束の間。
その直後、目覚めを聞いてやってきたアスラに強く抱きしめられ強引なキスをされるのだが、陽は病み上がりとは思えない馬鹿力でその痴漢を蹴飛ばし距離を取った。
第一印象は最悪だ。
当時のアスラには、適当な距離感がわかっていなかったこともあるのだが、逃げ回っていた陽とやっと対面できたことでだいぶ我慢も限界だったこともあるのだろう。
ヴェロニカの仲裁も入り、話を聞いた陽。命を救われたことを理解すれば、本当にここは自分にとっては死後の世界に等しいのだ、と割り切って、ここでの第二の人生を謳歌することに意識を向けた。
しかしながら、盟約のまだ無いアスラとの交流は、本当に本当に、草臥れるわ、頭痛で寝込むのでは無いかと思うほど、彼女を悩ませる。
幸いにも彼女は魔法に精通しているし、並の女性よりも腕っ節に自信がある。加えてこのキッパリとした性格だ。押し切られて大変な目に合うようなヘマはしなかった。
しかしまあ、アスラをいなす度に陽は彼へ説教を垂れ、場合によっては手が出たりしながら、ほとほと呆れてしまった彼女は、アスラへ様々なルールづけを行うことにした。
流石は才ある魔法使い。精霊やら悪魔やらとの対話や交渉、扱い方には慣れているのだ。
恐らく、多くの生まれ変わりの中で、アスラという悪魔を、一匹の悪魔として最も適切に接していたのは、陽だっただろう。
加えて、このルール作りは、陽にとってなかなかに暇をつぶせる楽しい趣味にもなった。
だからこそ、飽きてここを出たいということは終ぞなく、死にそうも無い溌剌とした彼女は、それでもやっぱり時の流れには抗えない。
この場所をより快適にして、彼らのふわふわと浮遊する曖昧な価値観を明確にさせ、なんの決まりもない無法地帯に秩序を与えることに、死の間際まで尽力し考え続けていたという。
***
腕を組んで、うんうんと頷きながら蘇った意識は「と、こんな具合に」と。
「私の話は面白みもないわけ。お分かり? 好き勝手してるだけで、聞いてて愉快でもなんでもないでしょ」
向日葵はその勢いに気圧されながら、内心では、そんなことはない、とても波乱万丈奇々怪界で面白かった、なんて思った。
「でもまあ、あなたの様子を知れてよかった。私のやったことも無駄じゃなかったってよくわかる。ああでも、やっぱり生きてきた場所も違えば感覚なんてそれぞれだし、何か窮屈なルールがあればあなたも好き勝手変えて仕舞えばいいからね。アスラが断ることはないだろうし、私たちはもっと自分勝手でいていいんだから」
一頻り喋って満足したのか、ニカっと勝気な笑みを浮かべ、向日葵へ背を向ける。
そして、まるで大女優のようにクールに、美しく、片手を上げて「じゃあね!」と一言。
太陽を失ったように、パッと劇場は暗くなる。
余韻に浸る向日葵は思う。まるで嵐のようだった。
けれど彼女の嵐は災害のそれのように遺恨を残すようなものではない。なんというか、陽のことを思うと、自然と愉快で、笑みが溢れてきてしまう。
彼女の話をする時の、アスラ達の楽しそうな顔の意味がわかった気がした。
波乱万丈奇々怪界奇想天外吃驚仰天!助けての声が聞こえたら、それが敵でも味方でも助けそうな、型破りな人かも知れませんね、陽という魔法使いは。
某絵本発ヒーローアニメの口上でした。




