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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第二章 in the Black Theater
43/102

43.第六幕 サン

 どこからか幼子の泣き声が響く。

 なにゆえ泣くのかはわからない。ただ、幼子にはそれ以外必死に何かを訴える方法がないのだ。


 誰が泣いている?


 上手に当たるスポットライト。照らし映されるは幼い子供。

 彼女は回想する。自らもまた覚えていない、過去の記憶を。


***


 いくら契約という道導(みちしるべ)があれど、無数の異世界から彼女を探すことは、アスラでも難しいことだった。


 かつてこの館があった場所に棲んでいた先人の遺物である、異世界を覗き見る道具さえも、使い慣れるまでは苦労した。

 慣れてしまえば、彼女が成人するまでに生まれ変わりを見つけることができるようにはなったけれど、場合によっては、見つけるより先に命を落とすこともある。


 その時は奇跡とも言えたが、少女が受胎されてすぐに見つけることができた。

 彼らは彼女の誕生を、そして成長を心待ちにしたのだが、生まれた彼女は双子だった。

 無論、魂の見えるアスラにはそうであることはわかっていたけれど、彼女の産み落とされた国で、双子は忌子(いみこ)、産まれて間もなく火刑に処されることが決まる。

 彼は焦り、すぐさま赤子を連れ去った。

 もう一人の赤子は、別に助けてやる義理もない。アスラは矢張り悪魔というべきか、非情な部分も持ち合わせている。


 さて、しかし、赤ん坊を連れてくるようなことはこれまでなく、なんの準備もできていない。館の中は大混乱だ。

 子供の面倒を見たことがあり、知識も豊富なユウキがいてくれて助かったと心底思う。


 アスラは当初、彼女と同じ名前である「ソレイユ」と呼ぼうとしていたが、アリオがそれを大層嫌がり大喧嘩が勃発。生まれ変わりなのだから馴染みやすいだろうと言うアスラへ、主人であることなどお構いなしに罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせるアリオ。彼女は尊敬する聖女の名と思い出を塗り替えられたくなかった。もっと言えば汚される気さえして嫌悪した。仲裁に入ったヴェロニカの進言で、同じ意味の別の言葉で、幼子には「サン」という名が贈られる。


 この館で暮らす誰もが、サンを問題なく成長させられるか不安に思ったが、それは取り越し苦労と思うほど、彼女は可愛らしく健やかに成長した。

 というのも、ここには常に人目があるし、誰もがサンに構い優しく接したからだろう。危害を加えるものがいないことはもちろん、目を離した隙にどこか遠くへ行ってしまうほどの広さもない。しかし窮屈でもない。


 皆がサンへ親の気持ちになった。

 それはアスラも例外ではない。ただアスラは少しばかり苦悩した。彼女を一人の女性としてもみていたのだから、上手く、甘く、接することができないもどかしさにも灼かれたのだ。

 あまりにも、幼子は無垢過ぎた。アスラは彼女を穢したくなどない。ただ、愛したいのだから。


 幼いサンにはその内面が到底わかるはずもなく。否、歳を重ねても天真爛漫な彼女はきっと、大人になっても気づくはずがないだろう。サンにとって、館の住人たちは皆兄であり姉であり、親でもあったため、その意識は行動にももちろんにじみ出た。


 だが如何に無邪気であろうとも、流るゝ時にいつまでも気づかないほど鈍くはないだろう。

 サンは気づいた。

 歳を重ねて成熟してゆく自分と、尚も変わらぬ館の住人たち。自分も同じ流れにいるのだと思っていた彼女は、途方もない疎外感に苛まれた。

 ひょっとしたら、ある歳を迎えたらピタリと成長が止まるのかもしれないなんて考えもあったけれど、その不安をアスラやヴェロニカに吐露すれば、真実の蓋を開けてしまったようなもの。御伽噺の魔法の鏡のように、彼らは全てを隠さず話した。


 聖女のことも契約のことも、サンにはよくわからなかった。ここでずっと育ってきた彼女に一番重くのしかかったのは、いつまでも同じまま、ここにいることができないということ。

 そして彼女はここでは仲間外れ。

 その事実を思い知った頃から、サンはどこかぎこちなく、一人きりで過ごすことが増えたように思う。

 そんな時は決まって、館の隠し部屋にこっそり忍び込んで、姿見一つ分くらいの大きな欠けがある、それでも尚も大きい鏡の前に膝をつく。


 それは先人が作り置いて行った、世界を覗き見る魔法の道具だった。

 この破片を混ぜ込んで、浄玻璃(じょうはり)の鏡だとか魔法の鏡ができたのかもしれない。それくらい強大で、巨大な鏡は、だからこそ使い方が難しい。

 サンにできたことといえば、そっとその表面を撫でてやると、自分と同じ時を歩む同胞(どうほう)の姿を映し出す事くらいで、彼女はそれを眺めて憧れた。


 雛鳥はやがて羽を広げ巣立ってゆく。

 彼女は空に憧れた。

 その先に居る、同じ歌を知り同じ羽を持つ鳥達と羽ばたくことに強く焦がれた。

 しかし籠の鳥は羽ばたけない。彼女の足には細い鎖が絡み付いている。

 檻の隙間から見える格子模様の空をただ見据えて、歌うように鳴き声を上げることしかできない。


 とはいえ、涙がこぼれ落ちるほど悲観をしていない。サンは館の住人達を、家族を愛している。

 自らを縛る鎖と檻を愛おしみ、その乱暴な愛情から、仲間外れでもここに居て良いのだと感じられた。

 悲しいけれど、孤独に考えている時ほど、アスラ達の行いを素直に受け止めることができたのだ。


 彼女の死は、詩のように紡がれた物語の一節を思わせる。サンは毒を飲んだ。雪の降る季節だっただろうか。


「必ず帰ると約束するから、外の世界に行ってみたい」と願ったサンをアスラは説得し、部屋へと閉じ込めた。

 そして彼は哀願するように呟く。


「私の手の届かないところへ行かないでほしい」


 その時サンは悲しみを滲ませながらも頷いた。けれど、そのすぐ後に毒を飲み込んだのだ。


「何故?」と約束を破られた気持ちのアスラは問いかけたが、息絶えた体から返事などない。

 彼女の横に遺された手紙、それは遺書のようにも思えるが、サンにしてみれば書き置きという方が近いだろうか。


“サンはいつでもそばにいます”


 一言だけ記された紙切れ。その心意はアスラ達の知る由もない。


***


 サンは、死がもたらす生まれ変わりがどんなものか分かっていなかったのだ。

 あまりにも彼らが、彼女の魂を大切にするものだから、死と別れへの不安と恐怖を一切持ち合わせていない。むしろ美しい物のようにさえ思う。

 たとえ魂が館への帰り道を見失っても、アスラ達が迎えにきてくれることを信じていた。


 だからあの遺書は、ちょっと庭の散歩に行ってきます、と同程度の意味しかない。

 不安がるだろうアスラへ向けた細やかな約束。


「アスラは凄いから、サンがどんなに変わっても、サンがどこに行ってしまっても、手が届かないなんてことないのよ。だから、サンは安心して外を見に行こうと思えたの」


 生前、成熟していた彼女の姿は此処では幼く。サンよりも先に語りかけてきた記憶達もそうであるように、きっと本人にとって望むべき姿が映される。

 サンは、何も知らない無邪気な子供でいたかったのだろう。


 彼女は無垢な幼子だった。

 どれだけ成長しようとも、館の住人は皆彼女にとって兄であり姉であり親なので、いつまでだって子供の気持ちでいたのだ。


 幼いサンは向日葵に駆け寄ってその手を取る。


「ちゃんと皆はサンを見つけてくれたわ。サンはちゃんと皆のそばに帰れたの。そしてこの場所で思い出してくれたおかげで、サンも外の世界を知ることができた!」


 はしゃぐように飛び跳ねながら少女は語る。


 屈託のないサンの様子が、向日葵にとっては不気味に思えた。

 向日葵を通して、蘇った彼女の意識は、向日葵の中を経由しているからこそ、その心が否応に伝わり、問答無用で理解させられるのだが、その価値観は向日葵と相いれない。

 サンの考えを、理解したくない。


 まるで死の間際彼女が飲み込んだ毒に、向日葵自身も蝕まれていくようだった。

 サンの思考は偏っている。

 あの館で育ったのだから、あの館のことしか知らないのも無理はない。異なる価値観。毒され、染められた倫理観。

 触れた指先から意識を徐々に侵略されていくようで、身震いして鳥肌を立てた。けれど、手を振り払うことはできない。

 強すぎるサンの残光は向日葵の視界を眩ませた。


「自分をしっかり持って」


 声と共に柔らかな感触が向日葵の背を撫でさすった。

 目を向けると、服を着た黒猫。語り部だ。


「これはあなたの一部だけれど、あなたじゃない。これは劇。あなたはいまゲストであって、キャストじゃない」


 語り部の言葉に促され、向日葵は繋がれた手を離す。

 サンは不思議そうに目を丸めて「どうして?」と。


「サンはサンだよ。生まれ変わっても変わらない。あなたもサンなんだよ?」


 向日葵は俯き首を横に振る。

 代弁するかのように、黒猫は目を細めて、どこか慈しむように、憐むように、刺のある言葉を吐いた。


「変わらないものほど、歪なものはございませんよ」

「アスラもヴェロニカもアリオも、皆皆変わらないよ?」

「ええ、とても歪ですね」


 サンは素直な子供だった。

 語り部の言葉を受け止めて、眉を下げて向日葵を見る。


「あなたがサンじゃないなら、サンはどこにいるの? 皆のそばにいられないの?」


 震える声で呟いて、とうとう幼子は泣き出した。

 涙を流して、帰りたい、帰りたいと泣きじゃくるサンの頭を、恐る恐るというように向日葵は撫でた。


「ごめんね」


 向日葵の呟きが届くことはない。

 気がつけば空虚を撫でている。何もなかったかのように、記憶の再生は終わって、彼女は観客席から舞台を見ていた。


「今のは?」


 疑問を黒猫へ投げかけると、申し訳なさそうに眉を下げた語り部が言う。


「夢はどこまでも自由で、夢見る君は何者にもなれる。ですがそれは、自己の喪失とも言えるかもしれません。あなたがああなりたいと望んでいれば、あなたはそれを手にできた」

「望んでいないです。でも、全然体がいうことを聞いてくれなくて……怖かった……」

「あの子の意識が強すぎて、塗り替えられかけたのでしょう。洗脳、或いは支配、乗っ取り、そういう類のものと捉えていいかもしれません」


 語り部は自嘲気味に告げる。

 向日葵は自らの体を抱いた。


「まだ、あんなことが続くんですか?」

「自分が何者かという重石(おもし)を手放さないで。登場人物に感情移入をしすぎないで。大丈夫、あれらはあなたの一部であって、あなたじゃない。あなたが入れ込みすぎなければ、あなたの意識が負けることは決してありませんよ」

「あと……どれくらい続くんでしょう? もしかして、こんなのを百万回全部続けるとか言いませんよね……?」


 ふふ、と黒猫は可愛らしく笑った。


「知らないこと、思いつかないことを夢見ることはできません。あなたが鍵を持っている……名を知る者達でなければ、そもそも想起することもないでしょう」


 その言葉に向日葵は、あとどれくらいあるのか数えてみた。

 そんなに多くないことにほっと息をつく。

 あまりに長い道のりならば、すぐにでも帰ってしまおうかと思ったけれど、果てにある最も気になる人物について、見てみたいのだ。

 深呼吸をして、決意を固めるために向日葵は自分の頬を叩いた。


「次の演目をお願いします」

「宜しいのですか?」

「怖いけど、知りたいんです。自分がこんな目にあったきっかけを観る権利くらいはあるでしょう?」

「そうですか。では、」


 劇場は暗くなる。

 暗黒は夢を見るのにうってつけの幕だ。

 場面転換の曲が鳴り響けば、次のシーンへ映り変わるだろう。

 少女は胸の前で手を握り締め、心の中で「私は向日葵だ」と呟いた。

お布団でゴロゴロしながらお話書いてたらこんな時間でした。慌ててROUDOUの準備が始まります。遅刻しないように応援お願いします!

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