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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第二章 in the Black Theater
40/102

40.第三幕 ルー

 月明かりに照らされて、光る石を辿る兄妹のように。

 少女は魂の記憶を遡っている。


 舞台に映写されるのは誰の夢?

 古い映画を見るように、見知らぬ物語が再生される。


***


 ルーの親は成金だった。

 彼女が生まれる頃にはすでに裕福で、ルーは生まれてこのかた金銭で苦労することは一度もなかったと言える。

 病で母親を早くに亡くし、父親は彼女へ二人分の愛を注ごうと、それはそれは大切に、悪い言い方をすれば彼女は大層甘やかされて育ったのだ。


 彼女は幼い時分よりお洒落が好きで、毎年季節ごとに新しい服を買ったりしていて、ある時、アウトドアファッションを楽しむために父親の趣味である狩猟について行ったことがある。


 狩りなど無縁の彼女がその時目の当たりにしたのは、罠にかかって動けなくなっている一羽の兎。

 その兎を捕まえて食べてしまおうと語る父親に、まだ幼いルーは愕然として「可哀想!」「そんなのひどい!」「パパの人でなし!」と泣きながら怒り出したもので、怪我を負った兎は彼女に連れられて屋敷でその治療をすることになった。


 ルーは兎を気に入って、フェロメナと名付けて飼うことにした。

 フェロメナは彼女の家族の一員となった。


 蝶よ花よと育てられたルーは、可愛い見た目とは裏腹に、わがままな性格から友達は少なく、自然とフェロメナと、一人と一羽で過ごすことが多くなる。

 彼女に友人はほとんどいなかったが、愛する家族はいたし、彼女は決して孤独でも、不幸せでもなかった。

 フェロメナもルーに大層懐いていて、ルーが家にいる時はいつだってそばへと擦り寄った。


 そんな日々が終わったのは、彼女がその世界での成人、齢十六を迎えた日。

 朝目が覚めたら成人の儀式を行うために、お気に入りのドレスを着て飾り付け、流行りのお化粧もバッチリ決める。

 長い準備を終えたなら、愛する兎を抱き上げて額にそっとキスをする。


「フェロメナ、私今日から大人の女になるのよ? すごいでしょう!」


 その頃のフェロメナは、その意味がよくわからなかったし、言葉だって交わせやしないから、ただ音もなくルーを見て、温もりを感じていた。

 ほんの少し、彼女はこれから出かけてしまうのだなということは悟って、少しでも引き留められないかと抱かれる手へ体重を預けて甘えてみたりするのだ。

 ルーは微笑みながらフェロメナを下ろし部屋を出た。


 今度は父親の頬へ親愛のキスをして、外で待つ車に乗り込む。

 成人の儀式はその国の宗教施設で行われ、新成人たちは祝福をいただく。それを終えれば晴れて大人の仲間入りなのだ。


 儀式を終えたルーは帰宅のための車を探して、施設を出てすぐの広場を歩く。

 そこでは毎日、成人を迎えた人へ祝福の花を贈るボランティアがいて、彼女も他の人に倣って一輪受け取った。

 紫の波打つ髪が美しい、柔和な女性から花を渡されたルー。

 しかし、花の棘が綺麗に取れていなかったらしく、彼女は指を切ってしまう。


 地に落ちる花と、切り口から広がる血。

 花を渡した女性は驚いて何度も謝るものだから、ルーも責める気にならず「もういいわ」と告げた。

 せめて傷の手当てをしたいと言う女性の勢いに押されて、ドレスに血がついたら困るもの、と自分に言い訳をしながらルーは女性についていって、治療のできる場所へと向かった。


 ええ、観客席に座るお客人には、ルーを連れてく女性が誰かがわかっている事でしょう。

 ルーは例に倣って、悪魔の館に拐われました。


 最初こそ、ルーは戸惑っていたけれど、アスラや館の住人たちは彼女に親切だったので、彼女も気を良くして数日を過ごした。

 アスラたちが、帰郷を意識させないようにしていたと言うことも多少はあるが、ルーとしてはひょっとすると、帰りたいと言えば帰してもらえるのではと思うくらいには楽観的だったのかもしれない。


 ルーが消えた彼女の故郷では、彼女の父親は真っ青になって愛娘を探し続け、フェロメナは帰りを待ち続けた。

 当時ただの兎だったフェロメナの知るところではないが、ルーを探し続けることが原因で、彼女の父親は病に臥せた。

 フェロメナの世話をできるものがとうとういなくなれば、一羽の兎はふと、薄く開いた窓の隙間から外に出ることを思いつく。


 ルーに拾われて以来、久しい外を跳び回り、兎は主人を探した。

 フェロメナにとってルーは、母のように暖かく、姉のように頼りになり、友のように親しい、唯一の家族だったので、ただ一心に、また頭を撫でて欲しいと願った。


 もしかするとあのナーサリーライムのように、兎は異界に繋がる抜け道を見つける才能があるのかもしれない。

 彼女が見つけた兎の穴に飛び込めば、その長い耳は望む主人の楽しげな声を探り当てることができた。

 その響きを辿って跳んで行けば、視界がパッと明るくなる。ずうっと下へ潜ったら、反対側に出たみたいに。

 しかしただの兎にその落下が耐えられるだろうか?

 フェロメナはその空気に触れると共に、喉の奥を鳴らして庭の片隅に転がった。


 すぐに息を引き取った方が楽だったかもしれない。ゆっくり体の感覚が失われていくフェロメナを最初に見つけたのは庭師。

 彼がアスラへそのことを報告しようと摘み上げると、ちょうど散歩へと出ていたルーが目の当たりにして激怒した。

 ルーは粗末に摘み上げられた兎の様子から、庭師の少年がフェロメナを苛めたのだと思ったのだ。


 兎の体を奪い取り、彼女は服が乱れることも気にせずに駆け出して、泣き出しそうに瞳を潤ませて、家族を助けて欲しいとアスラたちへ懇願した。


 その頃にはもうすでに兎の体が冷たく重くなっていることに、強く抱いて息をあげていたルーが気付くはずもなく。アスラはそれに気づきながらも、彼女の願いを叶えるために蘇らせた。


 初めは人の姿を得た兎に驚き警戒したものだけれど、二人はすぐに打ち解けた。

 フェロメナと言葉を交わし、対等に関わるうちに、しかしルーの中では変化が生じていくことになる。


 それは一滴の雫のように細やかなものだったが、波打ち広がる波紋は止められない。

 時がたち、年を重ねていくほどにネジが緩むように零れ落ちる量は増してゆき、意識するものは大きく存在感を持つようになる。


 ルーはこの場所に連れてこられた自身と、彼女に拾われ彼女のそばで過ごすことになったフェロメナを重ねるようになった。


 ともすれば、フェロメナは果たして幸せだったのだろうか?

 老いるほどに、あの兎には別の幸せもあったのではないかと思うのだ。そう思うほどに、ルーには彼女を拾ったことへの義務感が募る。

 そしてまた、アスラにもルーの生活を保証する責任があるのだと思う。彼はその義務をよく果たしている。

 ルーはこの館で過ごせて幸福だった。


 死の淵に立つ頃。体を起こすこともできず寝たきりの老女のそばに、付きっきりの悪魔。

 ルーはアスラと繋がった手の暖かさを感じながら思い巡らせた。


「ねえアスラ、あなたはあなたの身勝手で私を連れてきたけれど、私もおんなじ。私の身勝手でフェロメナをここに連れてきてしまったね」

「あれは勝手についてきただけだったろう」


 苦笑するアスラへ、ルーは笑みを残したまま「いいえ」と。


「他の道もあることを、示してあげられなかったの。あの子を拾った私には、あの子を幸せにする義務と責任があったのにね」


 自責の念を抱えて、目を閉じるルー。

 まさかこのまま事切れやしまいだろうかと、不安げに、けれど微笑みを絶やさずアスラはその瞼を撫で、まだ眠らないで欲しいと乞うように返すのだ。


「フェロメナはキミといられて幸せだと言っていただろう。その言葉を疑うのかい?」

「ええそう、言ってくれた。安心したわ、でも、ねえ」


 彼の乞いに応えるように、薄く瞼を押し上げて、アスラを見る。


「本当にそれが幸せだったかしら?」


 アスラは言葉を失った。

 その答えを彼は持ち合わせていない。その様子に気付いてか、ルーは続けようとした言葉を飲み込んで、終ぞそれを彼に投げかけることはなかった。


“ねえ、アスラは私が幸せだったと思う?”


「フェロメナのことをお願い。大事にしてあげて」


 代わりとして彼女の口をついたのは、そんな願いだった。


***


 向日葵を通して蘇ったルーの記憶と意識は安堵した。

 あの多くに縛られている悪魔へ、また一つ呪いをかけてしまうような言葉を吐くことがなくてよかった。


 その失われて誰にも知られなかった声を、向日葵は確かに聞いた。

 そして向日葵もまた、彼女が飲み込んだ言葉を彼へ告げていなくて良かったと思う。


 だって、そんなのずるいだろう。

 ルーは確かに幸福だったのに、気まぐれのように、アスラには到底与えることのできない幸福の方が良かったのではないかと、投げかけるなんて。

 あまりにもむごいだろう。


 意識の深層で向日葵とルーは向かい合っているようだった。

 ルーはニッコリ笑って、話を最後まで聴いてくれたことになのか、また別のことへ向けてなのか、一言「ありがとう」と言ったように思う。

「それは何に対して?」と向日葵も返すのだが、暗闇に彼女の意識は溶けて、もう言葉が返ってくることはない。


 どこからか劇場象った旋律が聞こえると、彼女は記憶をさらに遡る旅路へと戻るのだ。

ふと聴いた音楽の歌詞がアスラと親和性が高くて一人でのたうち回っていました。

音楽大好きマンなので、このシーンにはこんなメロディが流れてる!とかよく考えてます。

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