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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第二章 in the Black Theater
39/102

39.戯曲 ゴドーを待ちながら

 一本の木の下でウラディミールとエストラゴンはゴドーを待ち続けている。


 彼女が劇作家のカーチャだった頃、なかなか考えさせられて面白い話だから読んでみろと言われた戯曲だ。

 最後まで読んでも、結局ゴドーは来なかった。

 二人の浮浪者は自死を謀るがそれさえもうまくいかずに、ずっと、ずっと、幕の降りた後も尚、何者かさえ分からないゴドーを待ち続ける。

 永遠の想起。


 果たしてそれの何が面白いのか、アスラにはわからなかった。

 待つのが嫌なら探せば良い、自分がそうして彼女を探すように。

 カーチャはそういったアスラに可哀想な目を向けて「ああ、アスラは気付いていないんだね」と言った。

 そして、こう続けるのだ。


「あなた達はウラディミールとエストラゴンなのに」


 彼らは待ち続けている。

 誰かの訪れではなく、その流れにピリオドを打つ展開を。

 カーチャはアスラに、そう示した。


 遂にアスラにはその意味がわからないまま。なぜならば、アスラは永遠を苦としないからだったけれど、その様を側から見ていると、人間の、それもカーチャの感覚で言うならば酷く哀れに思えるのだ。


 アスラは自分を可哀想だとは思っていない。

 それに対して哀れみを向けるのはこれもまた身勝手だろう。彼女はそれ以上を追求はしなかった。


 向日葵を待ちながら。

 彼女の目覚めを待ちながら、アスラはそんな会話を思い出していた。

 生まれ変わりの訪れを待つ時もそうだ。この話を思い出す。

 その度に「彼女は必ず此処へ来る」と強く信じた。

 彼女は戯曲の、正体不明のゴドーではないのだから。


 仮に一度繋いだ手を離してしまったとしても、また探り当てて繋げば良いと、アスラは思うだろう。

 本当に、そんな彼は可哀想だと思う。


 アスラは眠ったきり目覚めない向日葵のそばに付きっきりで過ごしていた。

 体感は錆び付いたように鈍く遅く進むのに、過ぎてしまえばこの二日間が瞬幻だったかのように短く思う。

 絵本の御伽噺のように、口付けて目覚めてくれるならば、嫌われる覚悟で何度でも啄むだろう。そんなことで起きやしないことを悪魔はよく知っていた。

 彼は言葉なく、時折彼女の顔に触れ、かかった髪を払ってやったりなんかして、呼吸を確かめるように、鼓動を確かめるように、その細い体躯(たいく)に指を這わせる。

 昼夜なく、飲まず食わずで彼女を見守り続けていた。


 今回は幾許(いくばく)か彼の中で光明があった。

 ヴェロニカが向日葵の故郷の変異に気付き、様子を見に行ったのだ。

 ただ目覚めを待つだけより何かアクションを起こせているのだという事実は、わずかばかりだが気持ちが軽くなるように思う。


 時を止めたかのような音のない部屋。

 その静寂を破ったのは、バタバタとこちらに向かってくる騒々しい足音。力強く響くドアの音と共に、アスラが期待を寄せていた魔法使いが戻ってきた。


「向日葵さんは!?」

「……見ての通りだ」


 アスラは瞳だけでヴェロニカを見た。

 そこには、出向いた先で何があったのかと問う意思も込められている。


 ヴェロニカは上がると息を整えながらも「どうして」と呟き膝から崩れた。


「何があった?」


 顔を向け尋ねるアスラへ、ヴェロニカはあの演目の出来事を全て話した。

 向日葵の意識は失われて、世界も正しさを取り戻した。そう、向日葵が行方不明となっている世界線へと戻ったのだ。

 それを見届けたヴェロニカは、果たして向日葵が目覚めたのだろうと急いで戻ってきたと言うわけだ。


 話を聞き終えたアスラは、苦虫を噛み潰したように「だとすると」と。


「まだ向日葵は劇場にいるということか……!? くそ! 今度こそ手の出しようが無いじゃないか……」

「すみません、僕も(いささ)か軽率でした……もっと慎重に行動するべきだった……」


 自責するヴェロニカをアスラは責めなかった。

 慰めの言葉もかけはしなかったが、もし自分が出向いていたとしても同じことをしたように思え、何もいう気が起きなかった。

 むしろ、アスラだったらもっと強引に向日葵を連れ戻そうとしたはずで、ヴェロニカはよくやってくれた方である。


 アスラは独り言のように「待つしかないのか」とこぼすも、すぐに「いや、」と。


「その話に出てきた情報屋は何か知らないのか?」


 ヴェロニカはハッとする。


「確かにあの人なら僕たちよりも詳しい様子だし、何かわかるかも……」


 世界像が元に戻ったことで、てっきり向日葵も目覚めたものだと飛んで戻ってきたためすっかり忘れていた。

 そういえばあの老人は、彼女の祖父から彼女の捜索を依頼されていたと言っていた。向こうもこうなった今、この場所を探しているかもしれない。


 その気がかりもアスラへと報告したら、それを含めて接触した方が都合がいいだろうという結論に至った。

 裏でこそこそとなにか謀略されたらたまったものではない。監視も含め、梅宮という老人へ会いに行った方が良い。


 一縷(いちる)の希望があることで、彼らは俯かずにいられた。

 ヴェロニカは再び、梅宮を探して早速に館を出る。アスラはそれを見送らず、眠る少女のそばを離れようとはしなかった。


 人がいなくなれば、再び音を失う空間。穏やかな寝顔をそっと撫で、温かさを感じれば安堵の微笑をこぼす。


「向日葵、キミは今どんな夢を観ている?」


 その言葉へ、幽かに瞼が動いたように思えたのは、期待から来る思い過ごしなのだろうか?

途方もない不条理の中に身を置いて、それを諦観のような、当たり前のようにしているのはなんだか少し可哀想ですよね。何も変わらないとして、諦めることも足掻くことも、人によってどちらが哀れか異なるでしょうが、カーチャはきっと前者へ死人のような哀れみを向けたのだと思います。

やっべ、真面目な話しちゃった。ウッカリウッカリ!

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