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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第二章 in the Black Theater
37/102

37.第二幕 夢見るお姫様

 サイフォンの液体が上下する様を見るのは面白い。

 透明な液体が沸き、粉の入った上層に移動したら、混ぜて煮続ける。雑味が出る前に火を止めれば、緩やかに抽出された黒い液体が下のフラスコへと落ちてくる。

 手間はかかるが、この液体の、色が変わって移動する様子はある種の(いこ)いだ。


 まだ教わりたての向日葵は、混ぜたあと上手く泡が残らなかったり、フラスコへ抽出後、残された豆の形が綺麗なドーム状にならなかったり、悪戦苦闘している。

 ずっと物置にしまっていて、久々に使ったというのに、祖父は身に染みて覚えているのか、美しく美味しい出来栄えで、早く向日葵も追いつきたいと思った。


 しかし、このサイフォンの抽出過程を見ていると、ぼんやり思うところがある。

 まるで向日葵そのものではないだろうか?

 透明だった彼女は異世界で味と色をつけ、再び元のフラスコに戻ってきたものの、前と同じではないのだ。

 そこにはかつてなかった色や芳香(かおり)、珈琲ならではの苦味がある。

 いかに忘れていようとも、彼女の中に蓄積された変化は残り続けているのだ。


 無論、それを今の彼女自身が自覚することはないけれど、しかしぼんやりサイフォンを見ていると、やや込み上げてくるものが感じられた。


 どうにもうまく淹れられない姿へ、祖父は微笑ましく告げる。


「持って帰って、家でも練習するかい?」


 向日葵はその申し出に嬉しそうに顔を明るくしたが、けれどすぐ、勢いを削いで「ううん」と。


「お爺ちゃんから教わりたいから、ここに置いといて。家でも失敗したら、買い置きした豆がなくなっちゃうかもしれないから」


 苦笑する少女に、祖父は「そんなに失敗しないと思うよ」と笑った。


 営業時間となり、常連客がパタパタと訪れると、向日葵は後片付けをしてカウンター席へと移った。

 ヴェロニカは一足先に、言葉なく小さなお辞儀だけをして店を出て、残された梅宮は向日葵の隣へ並び座り「園田、カレー追加じゃ」と食事を注文した。


「梅宮さん、随分話し込んでましたけど、あの人とどんな会話をしてたんですか?」

「ははあ、そん話は高いがよ、嬢ちゃん」

「梅さん、僕の孫にそういう商売引っ掛けんのはやめてくれよ」

「冗談やき、真面目に受けんくてええ」


 けらけらと笑う梅宮に、やれやれと呆れ笑いを浮かべた祖父へ、テーブル席へかけた他の客からも注文が入る。

 店主が用意のために奥へと行くと、梅宮は頬杖をついて向日葵を見た。


「嬢ちゃん、今幸せか?」

「藪から棒ですね。よくわかりませんけど普通ですよ」

「そが、普通か。ところで、こりゃあある例え話なんけど」


 梅宮はそう前置きをして、目を閉じて語る。


 お姫様が眠りにつくお話。

 辛い現実に打ちひしがれて、夢の中でお姫様は幸せに暮らすのだ。

 けれど、お姫様が捨てた現実では彼女の目覚めをいつまでも待っている人が居るのだという。


「もし嬢ちゃんなら、幸せ捨てて戻りたい思うがか?」

「はあ。なんだかそんなお話、聞いたことがありますね。メリーバットエンドというんでしたっけ?」


 当人が幸せであるならば、周りがどれだけ悲しみに暮れていても、幸せに違いないのだという結末を、そう呼ぶらしい。


「あーあー、いかん、勝手にそこでエンドにせんがよ。そういう話じゃないき。嬢ちゃんなら、どうするか聞いとんがじゃ」

「うーん。わかりませんけど……夢、なんですよね? 夢の中だけで幸せって、なんだか寂しくないですか?」

「現実が悲惨でも戻るが?」

「そうですね……。目覚めを待ってくれる人が居るのなら、その人たちのためにも目覚めたいです。それに、そんな素敵な人たちがいるなら、辛い日々でも頑張れる気がしますね」

「ほーが。んなら、自ずと道は見えるがよ」


 話を聞いていたらしい祖父が、カレーを運びながら「勝手だねえ」とぼやいた。

「なにが?」と向日葵が問う。


「目覚めを待つ人たちだよ」

「どうして?」

「現実に苦しんでいることを知っていて、それから逃れる穏やかな寝顔を見てなお、目覚めて欲しいなんて思うのは勝手じゃないかな? 僕だったら、少し寂しいけど、いつまでも健やかに眠っていて欲しいと思うよ」

「ああ……本当。それもそうだね」

「かー! わかっとらんがのう! こがん話はお姫様の気持ちい考えるもんやき、待ち人のことはほっといてええがよ!」


 老人は喚き、店主の手からカレーを奪うとガツガツと食し始めた。なんとも威勢のいい食べっぷりだ。

 向日葵と祖父はクスリとよく似た顔で笑み、梅宮の言葉に「そうでした」とこぼした。

 そうして祖父もまた、待っている人が居るならば目覚めたいよね、と返すのだ。

 梅宮は素っ気なく相槌を打ち、カレーを平らげたら「代金はツケとき」と残して店を出た。


 この後常連客が増える時間になる。

 彼はあまり賑わう店内を好まないのだ。なんだかのらりくらりとしていて、妖怪ぬらりひょんみたいだと思った。

 向日葵も席を立つ。


「私もそろそろ行くね。朝早くからありがとう」

「明日も休みだろう、サイフォンは出しとくからいつでも練習しにおいで」

「うん、じゃあ、ばいばい。お爺ちゃん」

「ああ、気をつけて行っておいで」


 店を出た向日葵は、いくつかの気になることを思い浮かべた。

 出自不明の不気味な本のこともだが、梅宮の話もまだまだ気がかりだ。

 しかし彼女はそのどちらも意識の外へ払い除け、大切な家族を探すことにした。


 それは、逃げ出した兎のちょこ探し。

 張り紙などもしているけれど、連絡は来ない。だいぶ日は経ってしまっているが、何処かに密かに隠れて暮らしているかもしれないと思い、いそうな場所を手当たり次第に探す。

 もちろん、そんな方法で見つけ出せるとは思っていない。ただ、乱雑な思考を紛らわせるための(てい)のいい理由づけだった。


 足は家から遠のいて、見慣れぬ景色に迷い込む。

 直感で「こっちの道かな」と、悩まず決めていくけれど、微かな既視感に彼女の鼓動は早くなる。


 あの茂みは知っている。以前その裏に回り込んで、兎の体を抱き上げようとしたときに、足元が、……。


「だいじょうぶ?」


 柔らかい青年の声が聞こえて肩を震わせた。

 物凄い形相でその先を見ると、今朝会った金髪の青年、ヴェロニカが心配そうに向日葵を見ている。


「あ、あなたは、ヴェロニカさん」

「くルしそう、だけど。どうカした?」

「……声、出るんですね?」

「え?」


 カタコトだけれど彼が何を言ってるのかがわかる。そのことを伝えると、彼は目を丸くした。

 そして何事か考える素振りをして、「いまなら」と呟く。

 ヴェロニカはどこからか取り出した水筒のカップへ紅茶を注ぎ「どうぞ」と差し出した。


「いき、あがっテるから、よかったら」

「いえ、あの」

「ぼくの、こえ、ええと……つかれて、かれただけ、で。おちゃ、いつももってルから、すこしなら、あげる」


 目の前に突き出されたお茶と、柔和な彼の笑顔に、せっかくの厚意を無下にはできない。


 普段の彼女であったなら、会ったばかりの人間からこうして何かを受け取るなんて危険なことは決してしないが、揺らぐ彼女の心は彼のことをよく知っていた。

 得体の知れない安心感が彼女を支配して、警戒心を削ぎ落とし、差し出されたカップを手に取る。

 冷たい温度を指で感じて、これはアイスティーなんだなと思う。歩き回って体が温まっていたので丁度良い。


「い、いただきます」


 微笑んで、少女が紅茶に口をつける。


 瞬間、見知らぬ……否、忘れていた思い出が染み込むように彼女に中へと広がった。


 世界がこうなってしまう前の正しい姿。兎を追って落ちた彼女が不思議な館で過ごした数日。そこで突きつけられた悲しい現実。


 それは彼の魔法による記憶の再生。

 花の名を冠する魔法使いたちの(ほとん)どが扱うことのできるささやかな魔法。

 それぞれが得意とする媒体を介して、己が記憶を他者へと伝えるというものだ。

 この紅茶は、ヴェロニカの記憶を含有した魔法の紅茶だった。


 それは彼女を目覚めさせる処方箋になるか、ひょっとすると逆に、二度と眠りから目覚めなくなる毒にもなるかも知れないけれど、ヴェロニカは、自らの言葉を受け入れるようになった彼女ならば、きっと目覚めてくれることを確信したのだ。


「嫌……やだ……こんなのおかしい……!」


 記憶を飲み込んだ衝撃で、彼女はその場に崩れ落ち頭を抱えた。


 否定したい。今のは幻覚だと言いたい。

 でも心のどこかで、夢を見続けることは間違いだとわかっていた。夢の節々に残る歪な現実のピースが何を意味しているのか、わかってしまったから。

 混濁する意識の中、店を出る前に梅宮からされた例え話を思い出す。


 夢を見ているお姫様は向日葵だ。


 そして向日葵は自ら言った。

 目覚めを待つ人が居るならば、目覚めたいと。

 だから彼女は目覚めなければならない。

 彼女の返りを待つ者たちが居るあの館で。


 世界は暗転する。

 瞬きの内にこの世界から彼女の夢は消失した。

物凄い勢いで書いてます!!全然書き溜めてないので真面目にスパパパパーーーって書いてます!!!すごく筆が乗っている!!異世界ものなのに現実に来ちゃってまいったね、次回からちゃんと旅立ちます。あでゅ!

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