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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第二章 in the Black Theater
35/102

35.序幕 目覚め

 目が覚めると、見慣れた天井が目についた。

 長い夢を見ていたのか、とてつもない浮遊間が支配する。夢の内容は思い出せない。

 微かな違和感。

 毎日見ている光景なはずなのに、少女の中で懐かしさが込み上げてきた。


 一人で身支度を終え、制服に袖を通す。

 部屋を出て朝食のパンを自ら食べる分だけトースターへと入れ、朝の慌ただしい時間には買い置きしてある小包装のレギュラー珈琲で自分の分の珈琲を用意する。


 ふと、空になったケージに目が止まり、ぼんやりと眺める。

 数日前、十八の誕生日を迎えた日、学校から帰宅した後、飼っていた兎のちょこが逃げ出してしまったのだ。

 後を追って探したけれど、とうとう見つけることができないまま帰ってきた。

 少し寂しく思う。


 トースターのタイマーが鳴り、焼きたてのパンを皿へ載せる。アプリコットジャムを食べたいと思って冷蔵庫を見ると、ちょうど切らしているらしい。昨日口にしたような気がしたけれど、もう残っていなかったのだろうか?

 仕方なく目についたマーマレードを選び取り、朝食を済ませた。


 まだどこか夢心地が抜けないままに学校へ向かう。

 心ここに有らずというように、授業中もずっとどこか遠い空の果てを見ていて、とはいえ彼女はもともとそういうぼんやりした性格だったから、友人たちは特別それを不思議に思うことはなく、また何か考えてるんだなーとその様子を見守っていた。


 学校を終えて帰路へ着き、岐路で友人と別れてから、家に直行する前に祖父の営む喫茶店へと足を運んだ。

 そういえば明日は休日。やっとサイフォンの使い方を教えてもらえるのだ!

 もしかしたらもう準備が整っているかもしれない、約束は明日だけれど、教えてもらえたらラッキーだと思い、店の戸を開けた。


「おう、こんにちは向日葵ちゃん」

「マスター、お孫さんが来たみたいだよ」


「こんにちは」そう常連客に挨拶をしていると、カウンターの奥から祖父が驚いたように出てくる。


「ありゃ? 約束は今日だったかい?」

「ううん。明日が待ちきれなくて来ちゃった! 準備まだなら、お爺ちゃんの珈琲だけ飲んで帰るよ」

「ああ、そうだったか。悪いけどまだ物置から出してなくてなあ」

「そっか」


 残念そうに苦笑して、彼女はカウンターの席へ掛ける。

 すぐに珈琲の入ったカップが差し出された。


 カップとソーサーは不揃いで、これは彼女専用のものだった。

 開店当時その祝いに贈られた、総手書きの有田焼、五客組カップアンドソーサーの中の一つで、アメリカンサイズの大きめのカップは、しかし軽く口に当たる縁の部分も薄く飲みやすい。ハンドルも大きく指を掛けやすく、とても気に入っていた。

 ソーサーのみが割れてしまい、お客には出せなくなったそれへ、彼女は代わりにカップが割れてしまった別のソーサーをあてがった。

 ソーサーは真っ黒い色に花模様のあしらわれた、螺鈿(らでん)のものだ。美しい細工故に捨ててしまうなどもったいない。

 カップもソーサーもそれはそれは美しいが、どうしたって不揃いで不格好に並んでしまっているため、やはりお客には出せない。

 必然的に、これは身内である彼女専用のマイカップとして使われるようになったのだ。


 少女としてはこの不揃いさこそが味があって好きなので、気にした様子はなかった。

 そしてお気に入りのカップを持ち、祖父の珈琲を口にする。


「今日はハワイコナ珈琲かな」

「正解」


 この老人は、自分の孫娘へ試すようにいつも仕入れたての珈琲を振る舞う。時にはストレート珈琲でもあれば、ある時は全く新しいブレンドを出して来たりする。

 今回は当てることができて、少女はふふんと得意げに笑った。

 正解したからといって何があるわけでもないが、彼女はこのささやかなクイズを好んでいる。


 すぐ飲み干して家に帰るのがなんだかもったいなくて思えたので、彼女は鞄の中から本を取り出した。

 図書室で借りて来た新しい本。

 来週までに読まなくてはいけない約束なのだ。

 開いた時に、何か物足りなさを感じる。紙をそっと指で撫でて、不思議に思って本を閉じ、裏を見たり表紙を確認したりするのだが、やっぱりこの本には何か欠けている気がする。


「相変わらず、本を読むのも好きなようだね。また新しい本だ」

「来週までに読み終わろうと思って……」


 カウンター越しに笑いかけるも、彼女の中に生まれた不審感からどこかぎこちない。

 祖父はそれを見て「どうかした?」と。


「……うーん、多分気のせいかな。なんでもないよ」


 彼女は本にそれ以上目を通すことはなく、再び鞄の奥へ押し込むと、珈琲を飲み「ご馳走様」といって立ち上がった。


「もう帰るんだ?」

「うん。明日もまた来るし、なんだか早くお父さんとお母さんに会いたくなったから」

「そうかい。明日はちゃんと準備して待ってるから、いつでもおいで」

「ありがとう、お爺ちゃん。お代ここに置いとくね」


 伝票の上に小銭を置き、鞄を片手に店を出る。

 祖父は「気をつけて帰るんだよ」とその姿を見送った。


 街灯がつき始める夕刻。

 彼女は一人、家路へと着いて路地を歩く。人の通りが少ない道ではあるが、この辺りには慣れているので、特別周囲に警戒することなく、のほほんと、無防備に歩いていると、物陰から何者かに手を掴まれ大きく肩を跳ねさせた。

 しかしその怯えも束の間。掴んできた相手を見て、見知った姿にほっと息をついた。


「梅宮さん、こんな時間に会うなんて珍しいですね」


 視線の先には和服を着た老人がいる。彼は祖父の店に毎朝訪れる常連客だ。彼女も何度か顔を合わせたことがある。

 ハイカラというか、浮世離れしたという言葉が似つかわしい彼は、色のあせた髪を奇抜にも紫のグラデーションで染めている。

 いつも必ず片目を閉じているはずの梅宮は、その時は赤い両目をバッチリ見開いて、彼女を見とがめていた。

 不思議に思って「梅宮さん?」と再び声を掛ける。


「嬢ちゃん、お前さん一体何しちょったが?」


 訛りの混じった言葉を吐きながら、彼は掴んでいた手を離し、いつものように片目を閉じた。

「はあ」と間の抜けた声をこぼしてから返す。


「学校帰りに祖父の店で珈琲を飲んでましたが」

「成る程のう……」

「私に何か?」


 小首を傾げて問うてみると、梅宮は片目のみで彼女を見て「なんも」と呟いた。


「なんもないき、引き止めて悪かったが」


 呟いて両目を閉じる。

 不思議なことに彼は目を閉じていてもまるでものが見えてるように動けるのだ。

 慣れもあるのだろうけれど、その様は鮮やかである。

 そうして去っていこうとする梅宮へ、少女は「また明日」と投げかけた。

 ゆらり振り返り、老人は再び片目を開ける。


「明日もおるがか?」

「祖父にサイフォンを教えてもらう約束なんです。朝から店に行くと思うので、また明日」

「ほーが。ほんなら、また明日」


 梅宮は片手をひらひらと振りながら、穏やかな声で別れを告げる。

 向こうはすでに背を向け歩いているが、その丸い老人特有の背中に小さくお辞儀をして、彼女もまた帰宅の途へついた。


 共働きの両親が帰る前に、彼女は三人分の夕食を作る。

 昨日も作ったはずなのに、どうしてだろうか、えらく久しぶりに料理を作る気がするのだ。

 冷蔵庫の中身を確認してメニューを決めたら、出来る限り、一汁三菜(いちじゅうさんさい)で作る。そうじゃないこともあるけれど、朝食や昼食が割と気ままな分、夕食はしっかり食べて欲しいし、彼女もまたしっかり摂りたいのだ。


 おかずを作り終え、お米が炊ければ、完成だ。炊飯器の軽快な音が鳴り響けば、普段ならすぐに一人お先に頂いてしまうのだが、その日はなんとなく、両親の帰りを待った。

 頭の片隅に、夕食は皆で揃って食べる決まりなのだという、誰かの言葉が蘇る。

 誰の言葉だったか? 最近読んだ本の中のセリフだったかもしれない。

 もしかして、鞄の中にある本だっただろうか。

 彼女は家族を待つ間、本の続きを読むことにした。


「なに、この本?」


 途中まで読んだはず。

 (しおり)を挟んでいたページを開くのだが、読み終わっている部分以降の文字が消えている。

 以前読んだ時には間違いなく次の行が存在していたはず、けれどまるで最初から印刷されていなかったかのように、真っ白い紙の色だけがそこにある。

 奇妙に思ってページを捲るも、その先も全て白紙で綴じられていて、乱調本にも程があるだろう。


 あまりの不気味さに、彼女は本を閉じた。喫茶店でそうしたように、今度は隠すような気持ちで鞄の中にそれを押し込む。捨てる気になどなれなかった。

 彼女は違和感の正体に気づく。

 確かにこれは“図書室”で借りた本なのだが、それは学校の図書室でではないのだ!

 なぜなら学校の備品としての印も押されていなければ、貸出記録も付いていない。

 では、これは一体何処で借りた本なのだ?

 彼女は頭を抱えて唸りを上げた。


 何かを忘れている。

 そのことに気づいて恐ろしくなった。


 ふと、先ほど出会った梅宮のことを思い出す。彼の普段見ない様相と、意味深な言葉は、ひょっとすると何か知っているのかもしれない。


 明日、会って追求しなければ。


 今日一日、どこかふわふわとしていた彼女の意識が目覚めたかのようだった。

 冷水を浴びせられ、覚醒した向日葵。

 決意を胸に、落ち着くために深く息を吸うと、丁度よく両親が帰宅した。


 三人で摂る食事。

 時期も相待って、話題は向日葵の進路の話になる。それをやんわりと(かわ)しながら夜を過ごし、気づけば眠りの時間となる。

 迅る気持ちか、夢さえも見ず眠りこけた向日葵は、翌朝すっきりと目覚めると、待ちに待った休日、バタバタと着替えを済ませて、朝一番に祖父の店へと向かった。


 母が「まだ開店まで時間あるでしょう!?」と止めたけれど、向日葵の様子を見て、余程珈琲の淹れ方を教わることが楽しみなのかと思ったようで苦笑して肩を竦めた。


 昨日の夕刻歩いた道を遡るように、祖父の店へ向かう。母の言った通り、開店時間までまだだいぶ余裕があるのだが、あの人はいつだって朝一番に来るのだ。店の前で待っていよう。


 先の角を曲がれば祖父の店の前へ出る。

 駆け足でそこを曲がると、店の前には見慣れた紫の髪の老人と、その横に見知らぬ金髪の青年が立っていた。

ここから新章。訛った新キャラ梅宮林太郎の登場ですね。

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