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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第一章 私の住みか
34/102

34.花開くキミを待つ

「それで?」


 アスラは一言、ヴェロニカに問う。

 目を向ければ何を問うてるのかわかるだろう。ヴェロニカはふっと笑みをこぼして「心配ないよ」と。


「ちゃんと向日葵さんの家族の様子は見てきました。向日葵さんを探して疲労が溜まって熱が出ただけみたいです」

「そうか」


 何事もなかったことに、向日葵に変わってアスラが胸を撫で下ろした。


 大事ないのなら話しても良かったのでは、と思う者も居るだろう。しかし、程度の問題ではない。一度目を許せば二度目、三度目と、欲は増してゆく。

 ましてや、向日葵は聡い少女だ。何事もないからと家族の安否を伝え続けて、もし仮に不幸があった時、それを不自然に隠したところで気づいてしまう。嘘をつくのは最も悪手だ。いつかは必ず暴かれてしまうのに、その場しのぎで嘘をつくなどできない。

 彼らは向日葵と良好な関係でありたいのだから。


 そんな、彼女へ誠実であるが故に、真実を伝えることはできなかった。


「ただ、少し気になることが……」


 家族のこととは別に、何か気がかりがあるらしいヴェロニカは、けれどさして真剣味はなく不思議そうに呟いた。

「ほう?」と、アスラも続きを促すように相槌を打つ。


「午前中に必ず店に来るのだと言う常連客と鉢合わせたんですが、ソレがどうも、ヒトではないように思えたんです。あ、いや、ヒトのような気もするけど、なんだろう、浮世離れって言葉がしっくりくるような……」

「それはただの奇人ではないのか?」

「そうかもしれないから言葉に困るんだけども……。赤い目が、やけに印象的で、この人は人間じゃないのかもしれないとぼんやり思っただけです」


 苦笑するヴェロニカへと「用心に越したことはない」とアスラは腕を組んだ。


 以前にも数回、悪魔に拐われた姫君を連れ戻すかの如く、この場所を突き止め訪れた者たちがいた。無論全て返り討ちにしてやったのだが、無用な(いさか)いをこの場で起こしたくはない。

 不穏分子には気をつけているのだ。

 向日葵の家族へ監視まがいなことをしているのもまた、そんな事態を避けるためである。とはいえ彼女の世界に魔法はないし、異世界という突飛な発想など思いもしないだろうから、若干気を抜いていたけれど。


 だが、彼らがそうであるように、また別の意図をもって異世界を渡り歩く何者かはいるだろうし、もしかするとその目的に彼女が当てはまることだってないとは言い切れない。

 アスラはその、“浮世離れした常連客”について、頭の片隅に留めておくことにした。


 報告が終われば、この場に留まる理由もない。

 アスラにとっては向日葵の様子が何よりも心配で、気が気じゃないのだ。ヴェロニカはあまり過度に干渉しすぎてもかえって良くないと止めたのだが、アスラは耐えきれず向日葵の元へと向かった。

 何一つ注ぐ言葉がないとしても、そばにいることくらいは許されてもいいはずだろう。

 孤独な少女を、孤独なままで居させたくなどないのだ。


 部屋の前に行きノックをして名前を呼ぶ。返事はない。それもまた仕方がないことだと思い、息を吐く。扉へ手をかけてみると、押しても引いてもつっかえる。どうやら鍵をかけたらしい。


 それは向日葵の心を体現していた。

 明確なる拒絶と篭り塞ぎ込む姿は(まゆ)のよう。果たしてそれが開け放たれた時、中から出るのは美しい翅か、それとも毒々しい模様だろうか。無理に開いたら中身が溶け出てしまうかもしれない。

 この大きな(から)の中、彼女は何を想っているのだろう?

 今はまだ開けることのできないその表面を撫でるように扉へ触れる。


「向日葵、私は幾らでも待つよ。此処にいてくれる限り、いつまでだって待っていられる。キミが咲きたいと思うまで蕾のままで構わない。……そうだな、パーティーの準備をして、ずっと待っていよう。キミが花開く時を」


 私はずっと此処にいるから。そう、呟くように最後に告げる。


 細い言葉は中にいる少女に聞こえているだろうか。仮に届いていなくても、それでもいいのだ。これはアスラが自らへも向けた言葉。無理にその塞ぐ心をこじ開けはしないという戒め。


 悲しいものをただあるがままに悲しんで良いのだ。無理に明るく振る舞う必要はない。もし誰かの胸を借りたくなったなら、その役目を買って出よう。

 彼が今此処にいる理由はそれだけで十全で、それ以上の欲をかいてはならない。


 とうとう返事が与えられないままに、夕食の時間となる。

 今度ははっきりとした声で、夕食だから出ておいでと声をかけてみるけれど、音沙汰はない。

 余程出てきたくないのだろうと思ったアスラは、言及することはなく彼もまた食事を抜いて扉の前を離れることはしなかった。


 廊下で一晩を明かし、朝食を告げるノックを数回。それにもやはり返事がない。身支度にきたアヤメとフェロメナも心配そうに向日葵へ声をかけるのだが、うんともすんとも言わないのだ。


 若干の不審感を覚える。

 直接衝突したアスラやヴェロニカへ、憤りを覚え返事がないことはあるかもしれないけれど、関係のないであろう彼女たちにまで無視を決め込むほど、向日葵は幼稚には思えない。

 或いはまだ眠っているのかもしれないけれど……。


「眠り……?」


 はたと、嫌な予感がした。

 僅かに擦り剥いた傷に今初めて気づいたように思える。しかし放置しすぎたその傷は、知らぬうちに化膿して、気づいてしまった今となってはじくじくと痛みを増していく。


 なりふり構う暇もなく、アスラは向日葵が閉ざしていた鍵などなかったかのように扉を開ける。

 この館は彼の一部にも等しいから、合鍵など彼には不要だった。


 羽化する前の(さなぎ)の中、少女はシーツの海に溺れている。

 うつ伏せの状態に、彼は青ざめて駆け寄ると、呼吸を確認する。

 薄く呼吸をしていて、脈もある。ただ“眠っているだけ”のようでかすかに安心するが、張り付いた憂いは晴らすことができない。

 彼女の赤い目元を指でなぞりながら名前を呼び、肩を抱き揺すりながら目覚めを乞う。

 閉じた瞼は開かれない。


 こうなることを避けられなかったことに、アスラは無力な自分へ憤りを覚えて顔を歪めた。

 未だ目覚めぬ向日葵の体を仰向けに寝かせ立ち上がると、片手で自らの顔を覆い、深い、深い息を吐いて、扉の前で事態を眺めていた侍女へと声をかけた。


「アヤメ、まだ息がある。準備をしてくれ」

「かしこまりました」


 アヤメはいつもの丁寧なお辞儀も忘れて、慌ただしく廊下を駆けていった。

 この事態を飲み込めないフェロメナは恐る恐る、アスラへとより「向日葵ちゃん、よくないんですか?」と。


「最悪だ……! くそっ! そばにいたのにまた何もできなかった……!」


 劇場(げきじょう)化物(けもの)

 彼女はアレに拐われたのだ。

 この話をした一週間前に、彼女はソレを恐れていたものだから、すっかり連れ去られるはずがないと思い込んでいたが、間違いだった。

 劇場への恐れも、忌避(きひ)も、関係ない。全ては“彼女が夢を見たいか”の一点のみが重要だったのだ。


 これを初めて目の当たりにするフェロメナは、眠り続ける向日葵とアスラの様相に、何が起きているのか理解が追い付かずに気持ちもついてこず、呆然とする。

 そしてなんとか絞り出す言葉。


「私に、できることはありますか?」


 数秒の沈黙の末、アスラは部屋の外へ向かう。

 ついてこようとするフェロメナを手で制した。


「眠りやすいよう、向日葵の着替えを頼む」

「は、はい!」


 出来ることを与えられたフェロメナは意気込み返事をすると、アスラはそれになんの反応も寄越さぬままに、部屋の外へ出て扉を閉めた。


 外に出れば、崩れるようにその場に蹲る。

 アヤメが戻るよりも先に、不満げな表情のアリオが早足で詰め寄るも、落ち込むアスラの様子から察しがつく。

 アリオは彼への文句の言葉を飲み込み目を伏せた。そしてアスラの隣に並び立ち、その背中を壁へと凭れさせる。


 遅れてヴェロニカもやってくる。

 何事か、声をかけようと口を開くが、結局彼も口を噤む。

 そしてアリオがそうしたように、彼もアスラのそばへと並び立った。


 言葉なく寄り添う二人に感化され、いつまでも蹲ってはいられない。再び深い息を吐けば、アスラは立ち上がり、視線を落としたままに「すまない」とこぼした。


「いいよ。もう慣れましたし」

「……あの子、また拐われたのね」

「ああ」


 再び沈黙が支配する。

 色もなくした世界になってしまったように、彼らの表情は暗く、愚鈍な時の流れの重さを増す。

 ゆっくりと扉が開けられる音が響き、目を向ければ、着替えを終わらせたことをフェロメナが伝えた。


 早足で向日葵のもとへ向かうアスラは、病院で愛する者の目覚めを待つ恋人の姿そのものだ。

 彼の後を追うように、ヴェロニカが部屋へ入り少女の姿を一瞥した。アリオは外で待っている。それはひょっとすると、この光景を見たくないからかもしれない。部屋の隅佇むフェロメナは、やっと気持ちが追いついてきたようで、泣き出しそうなところを我慢して鼻をすすっていた。


 アヤメが点滴の器具とユウキを連れて戻ると、慣れた手つきでユウキが向日葵へと装着していく。

 ユウキが点滴を取り付けている間に、このことを皆にも伝えたことをアヤメは報告した。


 向日葵はまだ呼吸している。

 まだ、ここで生きている。

 失っていない。

 目覚めないまま亡くなることももちろんある。それでも今はまだ眠っているだけなのだ。希望を捨て切ることはできない。

 だから彼らは、出来るだけ彼女の命を長引かせ、目覚めを待ち続けるのだろう。


 ずっと返りを待ってるよ。


 彼女の耳元で、そう呟いた。

次回から三章!劇場編!

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