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ひだまりと悪魔  作者: 兎角Arle
第一章 私の住みか
31/102

31.約束の日、午後

 散歩を終えた二人は、時間もちょうどいいことから昼食を摂った。


 よくもこう飽きもせず話していられる。と、向日葵はアスラに関心を示したものだけれど、長い時を生きてきたのだから、話題に尽きることはないのだろう。

 短い返事であれ、彼は少女から応えが返ってくることが嬉しいに違いない。散歩中は時折景色へ目を向けて話を切りながらも、アスラはずっと彼女へと話しかけていた。


 さて、食事を終えてすぐにティータイムというわけにもいかないだろう。

 また散歩へ行くと言うのも味気ないし、何より少し静かに過ごすのも悪くないと思い、向日葵は図書室で本を読むことを提案する。

 時間は幾らもある。互いにお気に入りの本を交換して読み、意見を交えることだってできるし、同じ本を一緒に読むでもいい。本は一人で楽しめるものだけれど、必ずしも一人で楽しまなければならないものではないのだから。


 アスラは提案を受け入れて、二人は図書室でティータイムまで時間を過ごすことにした。

 今回のところは詩集や絵本など短いものを数冊読み比べ、本を閉じたらその内容についての話を交えて過ごす。

 これがまた面白いもので、やはりどれだけ緻密に心情を描いた内容であっても、人と悪魔では時として感じ方や捉え方が、解釈が全く違うことがあるのだ。

 面白い、つまらないを置いておき、ここにはどう言った意味が含まれるのかだとか、この言葉は何を表しているのかなんかを真剣に話し合えることは非常に有意義であり、時は矢の如く飛び去る。

 最後には、そう、互いに好きな長編の本を交換して「次の約束の日までに読んでおこう」と新しい約束を交わしたのだ。


 本を持ち歩くのも大変なので、丁度良く通りかかったダヤンへ、部屋へのお遣いを頼む。

 さあ、待ちに待ったティータイムだ。

 そばを歩くアスラは読書によって多少気持ちの落ち着きを見せていたが、それにしても、どうしたって、楽しみなものは楽しみで、足取りが軽くなるのは仕方がない。彼が今日一番の上機嫌さを見せていることは明らかだった。

 それもそうだろう。なにせ向日葵が自らのために用意してくれた予定が待ち構えているのだから。


 訪れた厨房には人がおらず、向日葵はやや驚いた。

 広い厨房だ、一角だけでも使わせてもらえればいいと思ったが、どうやら気を利かせた三人はお茶菓子のみを並べたまま姿を晦ましたらしい。

 夕食の準備はいいのだろうか? そんな気持ちになりつつ、正直に言えば、ここでも二人きりになるとは思わなかったので、幾ばくか緊張する。


「アスラさんはどうぞ、掛けていてください」


 席へ促した向日葵は棚から珈琲の器具を取り出してエプロンをつけた。

 アスラは目を丸くしたのも束の間、にんまりと嬉しそうに笑むと言われた通り席へと掛ける。


「私のために淹れてくれるのか?」

「はい。珈琲を飲むのも作るのも好きなので、アスラさんにご紹介しようかと思って用意しました」


 言いながらやかんへ水を入れ湯を沸かし、今度は二杯分の豆をミルへ入れてハンドルを回して挽く。すると小気味良い音と共に珈琲の香りが広がり向日葵は笑みをこぼした。

 冷暗所に水を張って保管していたネルを取り出し水を絞って更に布で水気を取れば輪に通す。

 スタンドへ取り付けて固定したら、ネルの中へ挽いた豆を入れて平らにならすと、湯が沸き始めるのだ。

 沸騰したら火を止めて、お湯をカップ二客とサーバーへ注ぎ、最後にドリップポットへ残りのお湯を移してやる。

 ざっとであるが、サーバーは温まったのでお湯を捨て、ネルの下へセットすれば、ドリップポットを持ち挽いた珈琲へ向けて細い口から更に細く湯を回し注ぐ。

 蒸らす間に更に立ち上る香りに、ふっと息をつく向日葵へ、アスラは「慣れているな」と。


「家では毎日、家族全員の分を私が淹れてましたからね」


 そう話していると蒸らしが終わる。

 丁寧にお湯を回し入れ、それをニ、三回繰り返したら、滴が落ち切る前にネルの豆は捨ててしまう。

 サーバーの中で出来上がった珈琲を混ぜるように揺らし回転させることで味のムラをなくし、注いだ時に均等な濃さになる。

 カップの中のお湯を捨て珈琲を、今度は量が均等になるように交互に少しずつ注いでいく。

 二客のカップに、それぞれ一杯分の珈琲が入れば完成だ。


 ソーサーを持ちアスラの前に片方を差し出す。

 向日葵はやや自分の位置に悩んだものの、向かい側へ座ることにした。


「どうぞ、召し上がれ」

「ああ、いただこう」


 向日葵は自らのカップのハンドルを摘んだままに、されど口元には運ばず先に彼が飲むのをじっと見ていた。

 口に合うかどうかが気になり食い入るように見ていたものだから、一口飲み終えたアスラは、ニヤリと笑って「そんな情熱的に見つめられたら期待してしまうよ」と茶化した。


「ご、ごめんなさい。お口に合うか不安だったので……」


 恥ずかしさで目を逸らし、珈琲を口にする。

 そして彼の顔を直視できないままに「どうでした?」と問う。


「美味しいよ。軽い口当たりだが後味は上品で、これは珈琲の中では飲みやすいだろうな」

「そうなんです。これは祖父が、珈琲の苦手な人でも飲みやすいようにって選んだ豆なんです」

「向日葵の祖父君は焙煎もしているのか?」

「いえ、焙煎は知人に任せていましたが、祖父は喫茶店を営んでいるので、お店の独自ブレンドを何種類か用意したんですよ」


 淹れ方も祖父に教わったんです。そう向日葵は付け足して、卓に並んだクッキーに手を伸ばした。


「アスラさんもどうぞ、遠慮なく」

「ああ、ありがとう」


 アスラも手を伸ばすと、クッキーを摘んだ向日葵の手を包み込み、やや強くそれを引く。

 必然的に前のめりになる向日葵と同じように、アスラ自身もまた上体を前に傾けて口を開けた。

 彼は向日葵の手にあるクッキーをそうやって掠め取ると、満足したように少女の小さな手を解放する。


 いろいろ言いたいことがあったけれど、ひとまず彼女は不満げに「危ないです」と。


「せっかくの珈琲が零れたらどうするんですか」


 卓の揺れに呼応して揺らぐ液体を見下ろした。零れてはいない。ホッと息をつく。


「私への反応より珈琲の心配が先か……」


 残念そうに、けれど若干それさえも楽しんでいる節がある言葉へ、わざとツンと素っ気なく返すのだ。


「あなたの奇行にいちいち反応していたら疲労困憊になりますから」

「その時は私が責任を持ってキミを寝台まで運ぼう」

「そう言う問題じゃないです」


 呆れる向日葵だったけれど、彼女もまたそんな他愛のない応酬を楽しんでいるようでもあった。

 向日葵が再び珈琲を含むと、アスラは頬杖をついてその様子を見つめた。

 そして彼の空いた片手はチョコレートを摘み、その腕は前に伸ばされて少女の小さな口元で止まる。


「お返しだ」


「結構です」と言い掛けた時、薄く開いたその隙間に、甘い菓子が強引に滑り込む。

 彼の指は、唇に触れ、歯をかすめ、舌先にわずかに触れたところで、直ぐに菓子を手放し引っ込められた。

 驚きと恥ずかしさで、向日葵はチョコレートを味わう間もなく、ゴクリ、と飲み込んでしまい、喉をかすめていく甘さにむせ返る。珈琲を嚥下しそれを潤した。

 手を引いたアスラはといえば、体温で溶け指先に付着したチョコレートの跡を舐めとっている。

 その指はわずかだが向日葵の口内に触れていたのだ、少女はそれに思い至り顔を真っ赤にさせて俯く。

 対岸の悪魔はくつくつとその様子を含めて楽しそうに笑っていた。


 向日葵は仕返しに、熱の冷めぬ顔を覆いながら呟く。


「そんな意地悪するなら、もうアスラさんと一緒に過ごしてあげません」

「ふふ、すまない。向日葵にはまだ刺激が強かったかな」

「そうですよ、私まだ未成年なんですからね。大人が子供に手を出すのは犯罪なんだから」

「私はヒトではないから関係ないな」

「開き直らないでください」


「しかしだな、」とアスラは腕を組んで見せる。


「給餌というものは親鳥から雛鳥へ行われる自然な行為だ。大人から子供に、私からキミに行っても、他意はないと言えるのではないかな?」

「他意、なかったんですか?」

「さてね?」


 向日葵は目を細める。アスラの真似をするわけではないが、彼女もまた腕を組み、そっぽを向いた。


「いいでしょう。アスラさんから私への餌付けは他意がないのであればそういうことにしておきましょう。でも、最初私の手からクッキーを奪ったことはなんと言い訳するつもりですか?」

「向日葵が菓子を手に“どうぞ”と言ったから、受け取っただけさ」


 白々しい返しに、向日葵は面をくらってパチパチ目を瞬かせる。

 そして結局、大きな息をついて「本当に疲労困憊になってしまいそう」と自らの額に手を当て呟いた。

 アスラは愉快そうに笑い、戯けたように「部屋まで抱えてあげようか?」と言うものだから、「結構です、ご心配どうも」とキッパリ断る。

 そうして向日葵はカップを傾けると、気づけば飲み干してしまっていたらしい。口内を潤せなかった彼女はちらりとアスラの様子を伺ってから立ちあがり「おかわりを淹れますね」と。

 するとアスラは思い出したように告げる。


「そういえば、ほかの道具もあったろう? あれは使わないのか?」

「ああ、ええ。この作り方しか教わってなくて。今度サイフォンの使い方を教わるはずだったんですけど……」


 言葉途中で向日葵はピタリと止まり「うん?」と首を傾げる。


「違いますね? ああそうだ、それは今朝見た夢の中での話で……実際はそんな約束してなかったような……どっちだったかな」


 手を動かしながらの言葉。自然とアスラが視界から外れてしまう。見えないところから彼は重く呟いた。


「夢、か」


 ひやりと、瞬間、寒気がした。

 そういえば、この話題は彼へは禁句だったかもしれない。異様にも夢というものを彼は嫌っている。

 今、あの悪魔がどんな顔をしているのか恐ろしく、向日葵は顔を逸らしたまま珈琲の豆を挽くことに集中した。


「どんな夢を見た?」


 まさか話を広げられると思わず肩が跳ねる。幸い顔を合わせていないので、どうにか心を落ち着けて、「言っても怒りませんか?」と聞く。


「私が怒るような夢なのか?」

「いいえ、わかりません。でもあなたはこの手の話でやや冷静さを欠くように思えたので」


 沈黙。彼は長考しているのだろうか。

 挽き終えればとうとうアスラと顔を合わせなければならない。

 意を決して振り返ろうとした時、音もなく近づいていたらしいアスラが、向日葵の背後に立ち、彼女を閉じ込めるように両腕を伸ばし台に手をついた。


「私が恐ろしいかい?」

「……」

「なら、無理に顔を合わせなくていい」


 真後ろから降り注ぐ声、吐息。それは彼女を怖がらせないためか柔らかくしようとしているもののどこか冷たく、感情の色がうまく掴めない。

 緊張しながらも向日葵は問う。


「何故、そこまで嫌うんですか?」

「幾度も、キミを奪われた」

「アリオさんから聞きました。ケモノ、というのに拐われると」

「ああ」

「それは、アスラさんでも太刀打ちできない恐ろしいものなんですか?」


 返事がなく、静寂が支配する。

 束の間は、逸る鼓動により時をねじ曲げ永遠の皮を被っているみたいだった。

 どれほど経ったかわからない、本当は一分も経っていないかもしれないけれど、彼の号令で時は正しさを取り戻す。


「悪魔は夢を観ることができない」


 針を進めさせたのはそんな力ない言葉だった。

あとがきが日記みたいに長くなってたのに笑いました。初心に返って短めに。

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