22.サプライズにはまだ早い
美容エステさながらに、さまざまな手を加えられた向日葵は、艶やかになった見目とは裏腹にどっと気疲れしていた。
身に纏う衣服とヘアアレンジはフェロメナが行い、それを目の当たりにしたアヤメは彼女の能力に感嘆したものだ。
髪はゆるく編まれ、その根本と毛先の結び目には、花のようにあしらわれたレースリボンのクリップがお揃いで飾られている。
濃い色をした膝上丈のワンピースは脚を露わにししているため、暗い色のタイツを合わせ、さらにフリルの付いた白いペチコートを潜ませる。全体的に暗い色の中から、ちらりと覗く白のフリルが、印象を和らげ可愛らしさを引き出していた。
エーラインのワンピースは上半身の輪郭を隠すため、締まりをだすために胸の下にリボンベルトをつけてやる。すると胸の形が強調されて女性らしさがきわ立つのだ。
しかしそれは、決して性的な印象が強調されているわけではなく、むしろエレガントな美しさを演出していた。
普段と異なる服を着ただけで、年齢が二、三歳増したように思える。
極め付けに前髪の片側をピンで止めれば、顔がよく見えることで利発に見えるようになる。
僅かばかりのメイクは色付きのリップ。自然で透明感のある赤のグロスからもまた、ほのかに薔薇の香りが漂う。
自分にこんなポテンシャルがあったことに、向日葵は鏡を見て感激をしながらも、全くに別人へと変わり果てた自らへの違和感もあった。
そうこうしていれば、もうすぐ昼食の時間。
若干早いが、支度を終えた向日葵は、後の片付けを侍女二人へ任せて、一人ダイニングへと足を運んだ。
というのも、いつもアスラが彼女が来るのを必ず待っているからだ。これまで待たせてばかりだったので申し訳なく思い、今度こそは間に合うように行きたかった。
案の定ダイニングにはまだ誰も来ていない。食事の用意もまだである。
席にはつかず窓の外を眺めると、自らの姿がうっすらと反射して見える。
鏡で見たときにも思ったが、別人のような代わり映え。思わず不敵な笑みを浮かべて、舞台に上がるキャストのように胸を張って堂々と立ってみると、強気な女性に見えて来る。ほんの少し面白い。
すぐに可笑しくなって吹き出してしまい、いつもの自分の顔に戻るので、少々ちぐはぐだ。
扉が開く音が聞こえて振り向く。
「ひまわ……り?」
入ってきた彼は、視線が交わるとその動きを止めた。
目を丸くして、微かに開いたままの口から紡がれる。
「着替えたのか?」
「ちょっと埃をかぶってしまったので」
向日葵ははにかんだ笑顔を向けた。
なんの感想もないことから似合っていないのではという不安もありつつ、触れられないならばそれはそれで意識しなくて済む。多少恥ずかしいけれど、向日葵は笑顔を崩すことはしなかった。
アスラはゆっくりと彼女の前へ足を運ぶ。
「ヴィーと話すのに、物置にでも行ったのか? もっと綺麗な場所もあるだろうに」
「ふふっ、アスラさん、フェロメナとおんなじこと言うんですね。埃は自分の不注意なので、ヴェロニカさんは関係ないですよ」
「あの兎と同じに見られるのは少し不愉快だな」
歩みが止まる。
手を伸ばせば向日葵に触れることができる距離へと入ったからだ。
右手の指で、向かい合う少女の頬を軽く撫で、「前髪を留めていると、顔がよく見えて良いな」とこぼす。
そして続けて「似合っているよ」と囁いた。
向日葵はやわく彼の手を包み自らから引き剥がすと「それはどうも」と。
アスラはやたらと触れてくるので、驚きでいつも一瞬硬直してしまう。すると頭の中で以前アリオからされた忠告を思い出し、彼の思うままにさせてはならないとようやく回避行動を取れるのだ。常に後手に回ってしまうのは痛いが、まだしばらくは、この悪魔のスキンシップには慣れず、すぐに対応できそうにはないだろう。
「普段と違うカンジのコーディネートだったので、似合ってなかったらどうしようかと思いました」
「向日葵はなにを着ても似合うさ」
「アスラさん、やっぱりフェロメナと気が合うんじゃないですか?」
「断じてそれはない」
談笑をしていると、レフとオリガが静かに料理を運んでくる。
夕食は人数分揃って用意されるが昼食はいつもアスラと向日葵、二人の分だけ用意される。
それは二人がいつも凡そ決まった時間に食事を摂ってくれるからで、後の二人は食べたくなったら声をかけたり、厨房で勝手に食べ物を漁って済ませることがあるからだ。因みに朝食はそれぞれ起きる時間に合わせて用意されているため、寝坊しない限りは朝昼はアスラと二人での食事となる。
アスラは向日葵の手を取り、席へとエスコートする。
数日過ごしてわかってきたが、どうやらダイニングの席は、明確に決められたわけではないにせよ、なんとなくそれぞれの定位置が決まっているようだった。
アスラの隣が彼女の場所。
二人だけなので向かい合った方が広々すると思うのだけれど、食事がそこに用意されるものだから、わざわざ向かいへ移すのも手間だろう。
向日葵が席に着けば、アスラも隣へと腰を下ろす。
あまり隣を意識しないように、食事へ目を向けた。
否応に食事は二人で取るものだから、普段なら午前中はなにをしていたのかや、誰と過ごしたのかをアスラは尋ねてくるのだが、不思議と今日は静かだ。
ちらりと彼の様子を伺うと、向こうもまた落ち着かない様子で、浮き足立っているように時折向日葵の方を伺っていた。
「アスラさんどうかしました?」
向日葵から声をかけてみると、彼はパッと顔を明るくし食事の手を止め「どうとは?」と。
「いえ、なんだかそわそわしてるみたいなので」
「そ、そう見えるかい?」
「はい」
「ああ、なんというか、この後なにが待っているのか楽しみで仕様がなくてな!」
「はあ。面白いことでもあるんですか?」
「さあ?」
鼻歌でも聞こえてきそうな上機嫌振りに向日葵は首を傾げた。
アスラは余程「この後」が楽しみなようで向日葵の不思議そうな視線には気がついていない。
そして独り言のように嬉々として続ける。
「いやまさかこれでサプライズが終わりなどということはあるまい。おっとこれは失言だったな、なんでもない。私はなにも気づいていないぞ!」
これ、とはどれのことだろうか? そしてサプライズ?
向日葵は彼の言葉に一層訳が分からなくなったが、すぐに今朝のことを思い出した。
そういえば、ヴェロニカが彼へそんな方便を吐いていた。
成る程。アスラはどうやら、粧し込んだ向日葵がサプライズの一環なのだと思っているらしい。
館からの脱出を疑われていないことには安心するけれど、なんの用意もしていないのに過度な期待を持たれるのは新たな不安を巻き起こす。
なにか突発的にでも用意した方がいいのだろうかと頭を悩ませていると、ダイニングの扉が開く。
そこには今最も文句を呈したい相手が立っていた。ヴェロニカだ。
もっと別の方便はなかったのかと問い詰めたいけれど、アスラがいる前でそんなことは言えないし、それ以上に彼自身、今朝の面影が薄れて少し窶れて見え、かえって心配になる。
まさかあの話が彼のストレスになったのではとハラハラしていると、部屋を一瞥した彼は小さく「ここにも、いない……」とこぼした。
「ヴェロニカさん、どうされたんですか?」
気になって声をかけてみると、彼はヨロヨロとテーブルへ近づき、空いた向かい側にぺたりと項垂れた。
「アリオが僕から逃げる……充電が足りない……もう三日も会ってない……」
「アリオも馬鹿だな。買い出し後のお前が鬱陶しいからといつも逃げ隠れるが、かえってそれが鬱陶しさに拍車をかけてるんだからな」
「アスラ様! アリオはどこです!? 居場所わかるよね!?」
凄まじい剣幕で向日葵がびくりと肩を震わせると、それに呼応してアスラがヴェロニカへ冷ややかな目を向けた。
ほんの少し機嫌を損ねながらも悪魔は「今は庭の、金木犀のあたりだろう」と告げる。
すると魔法使いは音もなく、まるで最初から錯覚だったかのように聞き終えた瞬間に姿を消した。
魔法で移動したのだろう。
普段と違う彼の必死な様相に、今のは全て幻覚だと言われたら信じてしまいそうだ。
おすおずと聞く。
「今のは?」
「言っただろう、アレは気の触れたシスコンだ」
「アリオさんとヴェロニカさんはご兄妹なんですか!?」
あまり似ていないので驚きで声を上げる。
アスラは無言で首を横に振り否定した。
「亡くなった腹違いの妹とアリオがよく似ているのだと。ヴィーの故郷は滅んでいてな、帰る場所も頼れるモノもない中で、アリオに出会ったものだから、妹に重ねて拠り所にしてるだけだ」
「それにしても、あそこまで取り乱すものなんですか……?」
「失った経験があるからこそ、また手をすり抜けてしまうことが恐ろしいのさ」
そう言って微笑む彼もまた、何処か痛みを滲ませているようだった。
そういえばアリオも以前言っていた。
彼は、彼女が奪われることを恐れている。
嫌われることよりも、見失ってしまうことの方が、悠久を生きる彼らにとっては不安なことなのかもしれない。
アスラはじっと向日葵を見つめている。けれどそれは彼女のもっと内側にあるものを見ているようで、ひょっとすると、魂なるものを見て感傷に浸っているのかも知れない。
彼とて、愛する人を失ったのだから。
ヴェロニカの乱入によって、和やかな空気は一変し、無言で食事を続けることとなった。
食べ終わる頃には、アスラの方は気持ちの切り替えができているようで、すっかりこの後を楽しみに息巻いている。しかし向日葵はそんなに早く気持ちを切り替えることはできなかった。
食事を終えて席を立ち、「ではまた、夕食の時に」とアスラへ告げると、彼は驚きで硬直する。
この後すぐに何かが待っていると思っていたらしい。もちろん実際なんの用意もしていないが。
しょぼくれたように肩を落としたのも束の間、夕食の時に何かあるのやもしれないと再び意気込んだアスラは「ああ、また」と返した。
こういう時は考えていることがわかりやすくて面白い。向日葵はクスクスと思わず笑みをこぼしてしまう。けれどそのおかげで、重く考えていた思考が少しだけ軽くなった。
アスラと別れた向日葵は、庭へ向かう。
もうすでにいないかもしれないけれど、あの剣幕のヴェロニカに迫られるアリオのことが少し心配だった。
途中浴室の片付けを終えたアヤメとフェロメナへ、庭へ散歩に行くことを伝えてから、彼女は一人、陽が照らす外へと足を踏み出した。
センスのあるサブタイトルが思い浮かばないので毎回苦悩しています。タスケテェ……。
それはそれとして最近こもりすぎて体重が増える一方なのでこれも助けて欲しいです。ままならない……。




