21.湯浴み
向日葵が部屋に戻ると、フェロメナとアヤメが温かく迎え入れた。
アヤメは丁寧に礼をして、改めて自己紹介をしてくれる。
「改めまして、私はアヤメと申します。向日葵様の身の回りのお世話をさせていただきます。何かございましたらなんなりとお言いつけくださいませ」
「よろしくお願いします、アヤメさん」
ニッコリと上品に笑う彼女の横でフェロメナが「きゃー!」と悲鳴を上げた。
何事かと思う間もなく、彼女は向日葵へ詰め寄ると頭部へと手を伸ばしながら「汚れています!」と。
「せっかくの髪に埃がついちゃってますよぉ! どうしちゃったんですか向日葵ちゃん!?」
「あ、これは……」
屋根裏部屋でのことは隠しておきたかったので言葉に詰まった。
また一人で黄昏たくなった時に、自分だけの秘密の部屋が欲しかったのだ。
その沈黙をどう受け取ったか、フェロメナはわなわなと「ヴェロニカ様ですか?」と問い詰める。
「お二人で話すにしてももっと綺麗な場所を選んで欲しいものです〜! まったく、困ったものですね!」
「違うよ、これはヴェロニカさんと別れた後に自分でちょっと……あんまり使ってない部屋に入っちゃったからその時だよ」
「そうなんですか? でも〜、向日葵ちゃんはどうしてそんなところに入っちゃったんです?」
やはり追求されてしまうか、と向日葵は笑顔を貼り付けたまま思い悩む。
そこで、先ほどユウキから、言わなければ伝わらない、と言われた言葉を思い出した。
「えーと、内緒です」
「えー!? なんでですかぁ?」
食い下がるフェロメナを、アヤメがそっと諌めた。
「フェロメナ、向日葵様にも秘密の一つや二つを持つ権利はありますよ。それ以上はおよしなさい」
「でも気になりますもの〜」
「貴方は相変わらずですのね。いい、フェロメナ? 秘密は美しいヒトに付き物な、アクセサリーでもあるのですよ、よろしくて?」
「そうなんですか?」
「そうですとも。ね、向日葵様」
「え? う、ううん……分かりませんが、ミステリアスさが魅力とされることもありますし、そういうこともある? のかも?」
話のボールを投げられると思わず、歯切れの悪い返事になる。けれど向日葵も加わったことで、フェロメナは「そういうものなんですねぇ」と納得しているようだ。
「さあ、お話を聞くより先に向日葵様のお着替えをしましょうね。埃まみれなようですもの」
その言葉にフェロメナは優先すべきことを思い出し慌ててクローゼットを漁り始めた。
「私はこのままでも……」
言い淀む向日葵へ、二人がユニゾンでピシャリと放つ。
「駄目です」
「フェロメナ、着替えとタオルを用意したら浴室まで運んで下さいね。向日葵様は私がお身体を流しますから」
「わかりましたぁ! 湯浴みの後のお化粧品も揃えておきます〜!」
「それでは参りましょうか、向日葵様」
自らの面倒を見る者が二人になったことで、これはとうとう逃げられないと悟った向日葵は、大人しくアヤメに背を押されながら浴室へ向かうこととなった。
此処へ来てから、浴室の存在は知っていたものの、慣れない場所でお湯に浸かることはなんだか落ち着かず、掛け湯や簡単な水浴びだけで済ませていた。
長々と入ってしまうのも緊張してしまうからだ。
そんな不躾な存在はいないと分かっていても、覗きなどの人の目を気にしてしまうのは仕様がないだろう。
フェロメナは首が繋がっていないこともあって、滑って転んでは大変だから浴室内への出入りが禁止されていた。そのためこれまで一人で済ませてきていたが、アヤメの登場でとうとう向日葵は裸を人に晒すことを覚悟せざるを得ない。
侍女としての行動が、彼女は非常に慣れているようだし粗相は起こり得ないのだろうけれど、やはり出会って間もない相手に体を晒すのは同性とはいえ多少なり恥ずかしのだ。
脱衣室で服を脱ぎ髪を解きながら「一人でも平気です」とそれとなく伝えてみるものの、腕を捲るアヤメは「仕事ですので」と譲らない様子。
広い浴室へ入ればいつだって浴槽には綺麗な湯が張られている。
いろんな世界のさまざまな魔法や科学によって改良を加えられた特別なものらしい。
向日葵は警戒して一度も浸かったことはないのだけれど……。
向日葵を椅子に座らせたアヤメは、桶を使って、湯船からお湯を汲み上げ「かけますね、目を閉じてください」と。
向日葵は目を閉じて身構える。
液体がかかる衝撃が全身を包み、すぐに引いていく。
石鹸を手に取ったアヤメは、それで向日葵の体や髪を丁寧に撫でた。
「ひっ! ああの! くすぐったいです自分で洗えます!」
「そうですか? では手の届きにくいお背中だけ」
「う、うぅ……」
恥ずかしさの余り愚図る向日葵を見て、アヤメはクスクスと悪戯っぽい微笑をこぼす。
丁寧な人だと思っていたが、思いの外チャーミングで人を揶揄うのが好きなのかもしれない。
埃を被ってしまったがばかりにこのような辱めを受けることになろうとは、屋根裏部屋を選んだ自分へ後悔の念を抱いたが、きっとアヤメは湯浴みの時間になれば埃を被っていなくても、こうして仕事を全うしていたことだろう。
体を覆う泡を落とされたら、湯船へと入れられる。
初めて浸かるそれは足を伸ばすこともできるし、頭をもたげさせる場所もあり、肩まで浸かることができて快適だ。
髪の毛が浴槽へ入らないようにアヤメが抑えてくれている。
湯船の端に首をもたげれば、アヤメが彼女の長く垂れ下がる髪へとオイルをつけた。
以前フェロメナがつけたものとは違う、オールドローズの控えめながら甘く上品な香り。
「ああ、そうですわ。久しぶりで忘れてしまうところでした」
「アヤメさん?」
彼女は向日葵の浸かる浴槽の隣に立つと、掌を上にして、湯船の上に両手を伸ばした。
するとその手元から淡い光が溢れ、両手に乗り切らない光はポロポロと湯の中に落ちた。
発光が失われていくと、それが植物の葉や花であることがわかる。
「魔法?」
「はい。とはいえ私にしてみれば、魔法というよりは生まれつきの特技みたいな物ですけれど」
向日葵は落ちた花を一つ手に取る。
「菖蒲……ですかね」
「私の花です。ご主人様やヴェロニカ様から、お聞きになりまして?」
首を横に振る。彼女が人間ではないという話は言っていたように思うけれど、その正体に関しては聞いていない。
「私は花の妖精。季節を愛し慈しみ、芽を出し花を咲かせるモノでございます」
向日葵は驚いたが、同時に彼女にぴったりだったものだから納得した。
「驚きました」と素直に口にすると、彼女は「人間そっくりに見えていたならよかったです」と微笑んだ。
「私は、この館に庭が作られて程なくして、いくつか持ち込まれた花の中に混じってしまったのです。当時は帰り方がわからなかったモノですから、それはもう悲しくて」
「わかります」
向日葵の同意に、けれどアヤメは苦い顔をした。彼女とは違って、この人間の少女はどうあっても帰る事ができないからだ。
「ご主人様は、私を此処に置いてくださり、帰る方法までも探してくださいました。もちろん仕事は与えられましたけれど、此処での生活は私にとって新鮮で楽しく、大変有意義なので、帰れるようになった今でも、皆さんと一緒に居たいと思うようになりましたの」
時々、帰郷はしてますけどね。とアヤメは付け足す。
彼女はこうして、人間そっくりに見えていても本質は妖精だ。だからこそ世界を超えることができる。
それでも、これほどまで人間そっくりの見た目で行き来していることを告げられれば、自分もまだ何か方法があるにではないかと期待を募らせてしまうのだ。
向日葵は彼女を羨ましいと思った。
ひょっとするとアヤメは、向日葵の羨望を含んだ目に気付いているのだろう。けれど決して本人が告げるまでは先回りしない。心はどこまでも自由なのだ。いいえ、零れ落ちる言葉とて自由であるべきだ。
湯船に浮かぶ菖蒲の花を一片手に取ると、アヤメは微笑む。
「菖蒲の葉や根を湯に入れると、リラックス効果があるのだと聞きましたの。それからはこうして、ほんの些細なことですけれど、帰れぬ囚われの貴女様へ慰みになればと、湯浴みのお手伝いをしているのです」
「薬湯ですね。私の育った場所にもいろんな種類がありました。もちろん菖蒲も」
「まあ! 他にもいろんな湯があるのですね? よろしければ後ほど、知る限りでもご教授くださいませんこと?」
「いいですよ」
そんな話をしていると、いつの間にタオルを持っていたアヤメは、いまだ湯船に浸かる向日葵の飛び出した髪を柔らかく包み、水分を拭き取っていく。水滴が落ちなくなれば、広げた布で髪全体をくるみ、頭の上へとまとめ上げた。
「向日葵様、そろそろ上がりませんとのぼせてしまいますわ」
「そうですね」
強引にではあったけれど、久しぶりにじっくり湯船に浸かることができてよかった。
憑物がいくらか落ちたように思える。
それは今日、ささやかにも距離を縮めることができたユウキやアヤメのお陰でもあるかもしれない。
周到にも、すでに一番大きなタオルを持ったアヤメは、湯船から出た向日葵をその布で迎え入れ、全身を覆った。
肌を滑る水滴を拭き取ったならば、その布を体へ巻き付け浴室を出る。
脱衣室の入り口にはフェロメナがいて、彼女は向日葵が湯を上がったことですぐさま駆け寄ろうとするがアヤメがそれを手で静止する。
「まだ濡れていますからね」とにこやかに告げれば、フェロメナは渋々「はーい」と答えた。
背を押されるままに鏡の前に連れられ、椅子に下ろされた向日葵。その後ろに立ったアヤメは頭上でまとめられているタオルを解き、向日葵の髪を下ろすと髪が痛まないように丁寧に水気を拭き取っていく。
しっかりと水分を取り除いたら、鏡の横の下げられているドライヤーを手に取る。
充電式でコードレスのものだ。昔此処で過ごしていた、機械いじりが好きな人が残していった物だという。馴染みのあるものに、初めて見たときは不思議な気分になったものだ。
風を当てて髪を乾かす。
温風で髪の根本を中心に乾燥させ、頭皮がきちんと乾く頃には毛先もいい具合に乾いている。今度は冷風を当てて櫛を入れながら髪へ艶を出してゆく。
靡く髪は、乾いたことでオイルの香りをきわ立たせ、仄かに鼻腔をくすぐる。
これまで向日葵の手入れをするアヤメを羨ましそうに見ていたフェロメナが「いい匂いですね〜」と呟いた。
「本日の香りはローズで統一しましょうね」
アヤメはそう言って向日葵に笑いかけると、待たせていたフェロメナを呼び寄せた。
彼女の手には化粧箱がある。
向日葵は、これから二人のお人形にされるだろうことを想像して、けれど逃げられようはずもなく、諦め果てて二人の手腕に身を委ねることにした。
髪の毛が長いとお手洗いの時とかすごく大変だなと思います。
湯上りに髪は30分ドライヤーかけてもうまく乾かないし、座るときには自分の毛先を敷いてしまい痛いし、割と真面目に物に髪の毛絡まったりして、着替えるときはボタンにひかかったりと、世の中の超絶ロングヘアーキャラクターには同情します。
それはそうと、ヘアトニックの香りはローズも華やかで素敵ですが私は柑橘系の香りが好きです。




