18.密談
館の外へ出ていたというヴェロニカが戻ってきたのは二度の夜が明けてからだった。
彼の隣には、淡い紫色の波打つ髪をした女性がいる。彼女がアヤメだろう。
買い込んだ食材や日用品を厨房や物置部屋へと下ろしたら、二人はアスラの元へと向かった。
アスラとて、彼らが帰ってきたことには気づいていたけれど、広い館で下手に迎えに行って行き違いになっては仕方がないため、大人しく二人の訪れを待っている。
向日葵もアスラの元へと呼び寄せられていた。
もちろんフェロメナもそばにいる。二人はあれから殆どの時を一緒に過ごしているようだ。
向日葵は帰還の知らせを聞いて、アスラの提示したもう一人の傍付きを紹介されるに違いないと確信していた。
この館の主人たる彼の部屋の扉からコンコンとノックの音が響いたら、中へ入るよう促す。
最初に入ったのはヴェロニカで、彼はドアに手をかけたまま、後に続くアヤメを招き入れた。
アヤメは上品にお辞儀をする。
「はじめまして向日葵さん。私は侍女のアヤメです、以後お見知り置きを」
とても丁寧な紹介に、向日葵は「どうも」としか返せなかった。
アヤメは次にアスラへと向き直り、同じように丁寧にこうべを垂れる。
「おやすみをくださり感謝しますわ、ご主人様。お陰様で、大変快調でございます」
「まだ余暇があったというのに、急に呼び戻して悪かったな、アヤメ」
「ヴェロニカ様から詳細は聞かせていただきました。悲しい事故ですもの、仕様がないことでございましょう」
向日葵は彼女の態度を目の当たりにして正直驚いた。きっとこの館で誰よりも丁寧だろう。
思えば、皆親切ではあるにしても、マイペースであったりくだけた態度だったりと個性豊かだった。それは親しみやすいと言えばそうなのだが、人によっては馴れ馴れしいとも取れるだろう。
アヤメはそれを感じさせない。
それでいて、硬すぎず、彼女自身が纏う独特の柔らかさが良い均衡を持たせていた。
名前に相応しい、花のように淑やかで綺麗な人だ。
そう感じていると、フェロメナがアヤメのそばへ寄る。
「アヤメさんお久しぶりです〜!」
「フェロメナ、あなたもお元気そうで何よりです」
「あー、積もる話は後にしろ」
咳払いをして、アスラは口を挟む。放って置いたらフェロメナは空気を読まず語り出しそうだったから。
「聞いていると思うがアヤメにはいつも通り彼女の世話をしてもらう……ついでにフェロメナの見張りもだ」
「かしこまりました、ご主人様」
「またアヤメさんとご一緒できて幸せです〜」
間の抜けた兎の言葉に、アスラはため息を吐いてから「早速で悪いが、よろしく頼む」とアヤメに添えた。
アヤメも相変わらずの様子に困ったように笑みを浮かべた。
話が終わり退室を促されると、向日葵はフェロメナとアヤメに向く。
「積もる話もあると思うので二人は先に戻っていてください」
「向日葵ちゃんはお部屋に戻らないんですか?」
「うん、少しヴェロニカさんに聞きたいことがあって」
名指しされた彼はきょとんとしながら「僕に?」と自らを指差す。
向日葵は「できれば二人きりで」と。
それを聞いたアスラは重いもので殴られたような衝撃を受けた。
「向日葵、キミの交流に口を出したくはないがヴィーだけはやめておけ! まともそうに見えるがこれは気の触れた重度のシスコンだからな!」
「否定はしませんが。アスラ様だって人の心のわからない独裁者でしょ、僕ばかり悪く言わないでください。それと、本心では許容できない癖に口を出したくないなんて体裁をとるのはやめた方が賢明です」
「あの、そういった意味ではなくてですね……」
内密に話したいが故に二人きりでといってしまったが、誤解招いてしまったらしい。
なんとか向日葵が収めると、部屋の外へ出ていたアヤメは「では、私たちはお先に」と礼をしてフェロメナの手を引いて行ってしまった。
改めて向日葵は言う。
「外のお話を聞きたいんです。ヴェロニカさんはよく外に出られてるそうなので、お話が聞けたらなと」
「それがなぜ二人きりでしなければならない?」
アスラに追求される。
向日葵は「それは……」と言葉を濁した。
すかさずヴェロニカは機転を効かせる。
「あれですよ、ええと」
声を潜めてアスラにだけ聞こえるように続けた。
「アスラ様に内緒でサプライズを用意したいんじゃないですか?」
突飛な話にアスラは眉間に皺を寄せた。
その様子に向日葵はひやりとする。彼女には彼らが今何を話しているのかは聞こえていない。さながら執行を待つ罪人になった気分だ。
「向日葵さんはよくできた方ですし、お世話になってる身として何かお返しを考えてるのかもしれません。僕は外へ出入りできますし、そのご相談がしたいのかも」
「ほう?」
腕を組み考える素振りをするアスラ。平静を装っているものの、満更でもなさそうだ。
僅かに期待の籠もった目を向日葵へ向けたので、彼女の心臓は飛び跳ね気が気じゃない。
「まあ、そう言うことならばいいだろう」
「だってさ、向日葵さん」
「え、あ! はい」
「それじゃあアスラ様、向日葵さんをお借りします」
「ああ」
アスラが背を向けて手をひらひらと振り、ヴェロニカはクスリと笑みをこぼしてから「行こうか」と向日葵の背に手を回した。
部屋を出て少し歩いてから「さて」と。
「僕の部屋でもいいかな? 人払いはできるから、ほかの場所でもいいけど」
「お任せします」
そうして連れられて歩く廊下、どうしても気になった向日葵は尋ねる。
「先程は何を?」
不意に投げられた問いに一瞬思い当たらず中空を仰ぐ。すぐに「ああ」と。
「もしや向日葵さんは、アスラ様にサプライズを企てたりする?」
「いいえ?」
「だよね」
「? えーっと。ああ、なるほど」
ヴェロニカの方便に得心がいった向日葵は苦笑しながら「用意した方がいいですか?」と茶化す。
「アスラ様が忘れた頃にでも。じゃなきゃサプライズにならないよ」
ヴェロニカも軽く返した。
ヴェロニカの部屋へ着く。向日葵に先に入るよう促して、彼女は彼の空間へ踏み入った。
何かの資料や走り書きのメモが山積みになり、本も散らばっていて雑然とした部屋。彼は意外にも片付けは苦手みたいだ。
「散らかっててごめんね。ああ、椅子は今開けたから座っていいよ」
「お構いなく」と言いかけた時、先ほどまで堆く積まれていた紙束が少し目を離した隙に消失し、その下に埋もれていたであろう椅子だけがポツンと残っていることに気付く。
ヴェロニカの、今開けた、と言う言葉から、積み上げられていたあれらは決して見間違いではなく確かにあったのだろう。しかし、あの量を一瞬のうちに何処かへ消してしまうというのは、こう表現せざるを得ない。
「魔法……」
「僕の魔法が気になるかな」
「はい。とても」
彼は部屋の扉を閉めた流れで、鍵も閉めてしまう。これでもう誰かの邪魔が入ることはないのだろう。
二人は対面する。
ヴェロニカはいつもの穏やかさを保ったまま、言い放った。
「残念ながら、僕は貴方の求める答えを教えてあげられないよ」
最近某カードゲームの映画を見返して「狂った独裁者」と言う言葉が耳に残りましたがアスラは狂ってませんでした。




