10.彼女の本質
聞かされた話を静かに回想する。
百万回目の生まれ変わり。
向日葵は忘れてしまっているけれど、この魂は途方もなく長い時を彼と共に過ごしているのだろう。
「こうしてお話を聞いていると、私がその人たちの生まれ変わりだなんて実感が湧きません。聞く限り、どちらも私と似てませんから」
まるで別人だ。と向日葵は思った。
ソレイユほど優しくもないし、陽ほど強かでもないだろう、だからといってルーほどか弱くもない。
アスラやヴェロニカの話から、それぞれに個性があり、全く別の人間なのが感じられた。
同じ魂を持つということは、もっと似たところがあるのだと思っていただけに、三者三様といった具合に不思議な気持ちだ。
こともなげにアスラは返す「それはそうだろう」と。
「生まれ育った環境で、道徳も倫理観も価値基準だって変わる。人格や性格、個性は魂に依存しない。人間の感覚で語るならば、そこまで来ればもはや別人だろう」
「では、同じ魂を持つということになんの価値があるのでしょう?」
彼が愛したのは最初の聖女ソレイユで、それは彼女の為人に惹かれたためであろう。全く別人となってしまったそれ以外の者たちに、こうして執着する意味は果たしてあるのだろうか。
「この感覚は、私が悪魔だからこそ感じるものだ。説明は難しい。ただ、そうだな……私には魂の形が見えるから、どうしようもなく同じ形のものがそこに存在するならば、手を伸ばしてしまうのさ」
言葉に呼応してアスラが彼女へと手を伸ばす。触れられることを身構えて硬くなる姿を瞳に映し、微笑した。
そうして長い焦げ茶色の髪の一房へと触れる。
「しかしまあ、」と言葉を区切った。
「魂の本質的に同じところもある」
「へえ」
向日葵は髪へと触れる手を引き離そうと柔く彼の手を包んだ。けれど、向日葵から触れることを待っていたとばかりに、アスラは髪を手放すと、今度は彼女の手を取り指を絡めた。
「例えば、どちらを通っても同じ工程、同じ到着地に向かう分かれ道があったとしよう。いいかい? どちらを通っても何も変わらない、これは大前提だ。だが道が分かれている以上、キミはどちらかを通らねばならない。さあ、その時キミはどちらを選ぶだろう?」
「はあ、どちらもおんなじなんですよね? どちらでも良いのでは?」
「まさか道無き道を選ぶわけじゃあるまい。想像してみ給え、キミの前に分かれ道がある」
渋々考える。道が二つに分かれていた時、向日葵はどちらをいくだろう。それも、どちらを通っても安全が保障され、長さも快適さも何も変わらない。
下手にアスラの考えの裏を読むことはやめて、向日葵は「なんとなく」と答える。
「左を行きます」
アスラはその答えに満足したように笑うと絡めていた指を解いた。
「それが魂の本質だ」
「ええと、つまり?」
「直感、という言葉が近いだろうか。思考の余地がない、とるに足らないものほど似てくるものだよ。向日葵が“なんとなく”で選んだ左の道だが、かつて同じ例え話をしたときのキミも狂いなくそう答えた」
嬉しそうに高らかに語るのは、もう向日葵から警戒されていないからなのか、とるに足らない程度でも同じところがあるからなのか。
何にせよ、向日葵からしてみれば、もう脅しのようなことはされないだろう様子にやっと気を落ち着かせることができた。
微笑を湛えて「そうなんだ」と返すと、彼もまた安堵の微笑でそれを迎えた。
揃ってダイニングを出ると、赤毛の青年とすれ違う。食器の片付けに来たこの館の住人、ダヤンだ。
彼は生前に舌を切られた経験から、死後今もなお口を利くことができなかった。そのためか気持ちを伝えるための行動が大振りで仰々しい。
アスラへ大袈裟と思うほどの深々としたお辞儀をしてから片付けの作業へと着いた。
手際良く器用に片付けているものの、四人分のセットを一人で下げるのは大変に思える。一度部屋を出たものの、向日葵は踵を返して彼の仕事を手伝うことにした。
自分で使った食器だ。むしろ手伝う方が自然でごく当たり前なことだろう。
「持つの大変でしょう? 手伝いますよ」
「!」
ダヤンの目がまん丸くなり、向日葵を見る。
不思議そうに首を傾げてから、困ったようにアスラと向日葵へ交互に視線を投げた。アスラは開いたままのドア枠に上体を凭れさせ、愉快そうに様子を静観しているだけだ。
仕事を取られないようにするために、ダヤンは向日葵を強く見つめ首を横に振る。
「心配しなくても、転んだりしませんよ」
「……」
意図が伝わらなかったことに、じっとりとした目を向けるダヤン。
本当は向日葵も、彼の訴えはわかっていたのだけれど、ほんの少しとぼけて見せていた。
自身の使った分だけでも、重ね置いて持ち上げた向日葵へ、ダヤンは肩を竦めてから、申し訳ないというかのように両手を合わせて頭を下げる。
「自分でしたことだから、気にしなくていいですよ」
そう告げる言葉半ばで、ダヤンは器用にも向日葵の手から食器を強奪し、ほかの食器も全て重ね、一人で運びはじめてしまう。
「あっ」
空になった手を伸ばして奪い返そうとするも、軽やかな身のこなしで避けられる。両手に山積みの食器を持っているというのに、決して崩れないそのバランスは、まるでなにかの曲芸のようであった。
一部始終を見ていたアスラはくつくつと笑いながら向日葵のそばへ寄る。
「ヒトの仕事を取るものじゃあないよ、向日葵。そのくらいにしてやるといい、ダヤンも困っている」
アスラの言葉へ彼は勢いよく何度も頷いた。
俯きがちに向日葵は問う。
「迷惑でしたか?」
そんなことはない! と即座に首を横へ振る姿が見える。
では、何がいけないのだろう?
ダヤンは言葉を発せないため、ジェスチャーが上手いけれど、それだって両手が塞がっている今ではどうしようもない。伝達手段を失った彼の表情が申し訳なさげに曇っているのがわかる。
「これは彼の仕事だからさ。見ての通り、一人でも何の苦もないだろう。自分の能力を軽く見られるのは矜恃に反するのだよ」
「そういうものですか?」
アスラの代弁に、ダヤンは笑みを浮かべ頷いた。
向日葵にはどうにもその感覚に馴染みがなく、けれど嫌がっているものを無理に手伝うのも悪いと思い、釈然としないが渋々「そうですか」と呟いた。
一応は納得してもらえたことで、ダヤンはお辞儀をしてそそくさと退室する。
改めて、アスラと二人きりとなると、彼はもうそこには無い退室した青年の姿を目で追い「ダヤンは」と。
「此処で一番真面目で謙虚だからな。その上器用で何をやらせても安心して任せられる。……どこぞのぼんくらとは大違いだ」
「あはは……」
しみじみ告げられた最後の一言に、乾いた笑いを返す。
曰く、ダヤンは特別に自分の仕事へ責任感があると言う。それに加えて、彼にとって館の雑用は大した仕事ではなく、だからこそ人に手伝わせるほどでも無いと一人でこなしてしまうのだ。
ほかの住人であれば、仕事の手伝いを快く受け入れてくれることもあるだろう、とアスラは語った。
さて、そして。
アスラの小言により名前が再び上がった彼女に想いを馳せた。
フェロメナ、彼女の処遇はどうなるのだろうか? 処分することはできなくとも、罰することはできると言っていた。それは一体どんな罰? もし仮に再び彼女の扱いをどうするか聞かれたら、なんと答えたら良いのだろうか。
向日葵にとって知っている彼女といえば、ちょこという兎だった頃だけだ。人の姿をした今の彼女のことは何一つ知らない。
その状態で、ただ事故にも似た恐ろしい思いをしたからと彼女を追放してしまうのは些か早計に思えた。
「私、フェロメナさんとお話ししたいです」
「今すぐにか?」
表情を不安げに曇らせ、アスラがすかさず返すと、向日葵も「うーん」と苦い顔をした。
「もう首が落ちるところは見たく無いから、首が治ったらにします……」
「そうか」
アスラは「伝えておこう」と呟き、向日葵をそれ以上、止めることはしなかった。
いっぱい文字を書ける人はすごいんだなあと思いました。
ゆっくりでも続きを書いていけたらいいなと思います。




