35.カカシは死んじまったよ
漁協裏にある生け簀では、圭さんの威勢の良い声が飛んでいた。
「おい、サンマの生け簀の水が減ってないか?」
「「ヘイ。」」
「ヘイじゃなくて、補充しろよ。」
「「ヘイ。」」
使えない部下を持つと苦労しますね。
もしかして圭さんって偉い人なのかな?
柱に貼ってある『衛生管理者:明石圭』という札を見ながら思った。
そういえば、圭さんの名字は明石だって言ってたな。
なんとなく、サンマが似合うな。
「それから、イナダとサバの生け簀にも、水を補充しとけよ。」
「「ヘイ。」」
「お前らヘイヘイ教の教祖か!」
うん、明石って感じだね。
「じゃあ俺はアジの様子見てくるから、ちゃんとやっとけよ!」
「「はい。」」
「そこはヘイにせなあかんやろ。」
圭さんはお笑いに厳しいですね。最後、関西弁になってませんか?
そんな圭さんが俺の存在に気が付いたようだ。
「お、あんたかい。畑でカカシはみつけたか?」
「ヘイ。」
「ヒャー(引き笑い)!合格ー!(カランカラン)。さあ、何番?」
「八木さんの8で。」
「お前、八木のファンなのか?」
「別に。」
「ヒャー(引き笑い)」
このゲームのAIってどうなってるんだ?
何を元に学習させているのだろう。
そんなことより、普通に会話したいんですが。
「カカシって名前ですが、本名じゃなくて愛称の可能性が高いんですよ。」
「ほいで?」
「カカシと呼ばれている人に心当たりはないですか?」
「知らんなー。カカシじゃなくてアカシならおるけどな。ヒャー。」
「前から気になってたんですが、歯が出てますよ。」
「そんなわけあるかい!って・・・ほんまや。」
楽しすぎて会話が進まないじゃないか。
とりあえず、カカシ探しに進展がないということだけはわかった。
圭さんは、引き笑いしながら、漁協の2階に行ってしまった。
進展がまったくないが、何か大切なものを見逃している気がする。
何だろう?気持ちが悪いな。
「俺はサンマやっとくから、イナダやっといて。」
「ヘイヘイ。サバはどっちがやる?」
「言い出しっぺがやるべきじゃねぇか?」
「待て待て、ここは公平にじゃんけんで決めようぜ。」
おしゃべりは多いが、ちゃんと圭さんの言いつけを守ってるようだな。
そうだ、この二人にも、カカシを知らないか聞いてみるか。
望みは薄そうだけどな。
「すみません、人を探してるんですが。」
「カカシなら知らないぞ。」
「あれ?聞こえてました?」
どうやら、俺と圭さんが話をしているのが聞こえたみたいだ。
もう、用事がなくなってしまったじゃないか。
「ところでさ、なんでそんなに必死にカカシを探してるんだ?」
言われて気付いた。
そういえば、そういう事情を誰にも説明していなかったな。
どこから話せばいいんだ?
「長い話になるので、お仕事の邪魔になるかと。」
「いいよ、暇だしね。それに面白そうだしな。」
おいおい、あんたら仕事中だろ?
また圭さんに怒られるぞ?
「暇じゃないでしょう?圭さんに何かやれって言われてなかったですか?」
「ああ、大丈夫。圭さんはアジの様子を見に行ってるから、しばらく帰ってこないよ。」
そうか、2階にはアジがいるのか。
生け簀を2階に置くとは思えないから、何か加工でもしてるのだろうか?
ああ、無性に鯵の干物が食べたくなったぞ?
「カカシさんっていうのは、ある手紙を書いた主なんですよ。」
「へえ、手紙ね。」
「遠くの島で出会った母子に届いた手紙で、差出人がkakashiだったんです。」
俺は、プライバシーに配慮して、詳しい部分は省いて説明した。
どこで何があるかわからないから、慎重に行動すべきだよね。
「なるほどね。で、そのkakashiが、この島にいるのか?」
「それがですね、手紙が劣化してて、ワイ○島としか判断できなかったんですよね。」
「この世界中から、ワイなんとかっていう島を探して、その島にいるカカシを探してるのか?」
「ええ、盛大なプロジェクトです。」
「あんたもお人好しだな。圭さんに匹敵するよ。」
これ以上長話をしたら仕事の邪魔になる。
そして、圭さんに迷惑がかかるので、この辺で切り上げよう。
漁協を出たはいいが、行くあてがない。
場所を変更しようかな。
闇雲に移動するのも芸がないから、ここ以外の港町にしよう。
爪楊枝の男に聞いてみる。
「すみません、この島に、ここ以外に港ってありますか?」
「ああ、島の北端に小さな港はあるが、狭い港だから、地元の漁船ぐらいしか使ってないぞ。」
うーん、期待は薄そうだな。
でも、他にやることがないし、ダメ元で行ってみるか。
とぅ!
そこは、言われた通り、小さな港だった。
小規模な桟橋が一つあり、そこに小型の木製の船が何隻か停泊していた。
その小型船の中で、動く影があった。
誰かがいるようだ。
外から声を掛けてみる。
「すみませーん。」
「ヒィィ!」
あれ?ちょっと声が大きかったかな?
驚かせてしまったようだ。
「ちがう、ちがうんだよ。落とし物をして、それが転がって、この船に入ったから探してたんだ。」
「あれ?この船って、あなたの船じゃないんですか?」
船から出てきたのは、小柄な男だった。
どことなく落ち着きがない。
なぜかポケットがパンパンに膨れ上がっている。
かなり怪しいやつだ。
「いやー、まいったまいった。俺としたことが落とし物をするなんてな。」
「何を落としたんですか?」
「え?あ、そうだな。あれだ、身分証明書だ。あれがないと困るからな。」
「見つかりましたか?」
「ああ、なんとかな。じゃあ俺は急ぐから。」
小柄な男は、小走りで去って行った。
絶対怪しいよね。特にあのポケットの中。
興味が湧いてきたから尾行してみよう。
俺は【不可視薬】を使用して自分を透明化しながら、男の後を追った。
男がたどり着いたのは、森の中にある粗末な家だった。
大きな葉っぱを重ねただけの造りで、ちょっとした風で吹き飛んでしまいそうだ。
それゆえ隙間が多く、外からでも中の様子が見えてしまう。
趣味が悪いが、ちょっと覗いてみよう。
「待たせたな。腹減っただろう?こんなものしかないが食ってくれ。」
小柄な男がポケットから出したのは、固く焼いたパンのようなものだ。
非常食の乾パンに似ている。
それを渡されていたのは、犬だ。
かなりの老犬で、立ち上がることも難しいようだ。
「硬いか?もう噛む力も残ってないか。」
男は悲しそうに語りかける。
ポケットからもう一つの乾パンを取り出し、男は自分の口に入れた。
何回か咀嚼し、柔らかくなったものを手のひらに出す。
「ちときったねぇが、これで勘弁してくれ。」
男が老犬に手を出して近寄る。
老犬は上半身だけ起こして、男の顔を舐めた。
「こらこら、顔じゃなくてメシ食えよ。」
口調は怒っているが、男の顔は笑っていた。
それを見ていると、あの乾パンの入手先など、どうでもよくなってしまった。
帰ろうかと振り返ると、二人の男性がこの家に迫ってきていた。
制服を着た人と、真っ黒に日焼けした人だ。
制服を着た人が、家の外から声を掛ける。
「ネズミさん。いるのはわかってますよ。ちょっと入ってもいいですか?」
「おいネズミ!船に積んであった保存食がなくなってた!またお前だろう!」
制服を着た人が警察みたいなもので、日焼けした人が船の持ち主かな?
ネズミと言われた男は、常習犯なのかもね。
「悪かったよ。このクソまずい保存食なら返すよ。」
「このヤロウ!返せばいいってもんじゃねぇだろう。」
日焼けの漁師が、ネズミと呼ばれた男に殴りかかる。
小柄でやせ細ったネズミは、家の奥まで吹き飛んでしまった。
漁師はまだ怒りが収まらないのか、制服男の制止を振り切りさらに追撃を与える。
その時だった。
「バウ!」
ほぼ動けない状態だった犬が、突然日焼け男に飛び掛かった。
乾パンも噛めないほど衰えていた体力を振り絞り、日焼け男に噛みつく。
「いててて、何しやがる!」
日焼け男が振り払おうとするが、決して口を離さなかった。
それはまるで、命を削っているかのようだった。
ドス
重い音が響いた。
警察風の男が、警棒で犬を叩き落したのだ。
犬は鳴き声を発することなく、その場に崩れ落ちた。
「カカシーーーー!」
ネズミの声が響き渡る。
え?カカシ?
「何て馬鹿な事したんだ。飼い主に似ちまったか。ハハハ。」
小柄な男。ネズミと呼ばれた男は、口調は笑っているが、泣いていた。
老犬。カカシと呼ばれた犬は、最期の力を振り絞って男の泣き顔を舐めた。
そして、老犬は動きを失った。
「えーっと、ネズミ。お前を窃盗の容疑で逮捕する。」
「俺はどうなっても構わねぇ。でも、こいつを埋葬してやりたい。ちょっとだけ待ってくれるか。」
「ふざけんな!俺は盗まれた上に犬に噛まれたんだぞ!」
「えーっと、あなたはネズミを殴った暴行罪で現行犯逮捕です。」
「な、なんだとぉ!?」
「しかし、埋葬を手伝えば、超法規的措置として、不問とします。」
「ちっ、仕方ねぇな。まったく踏んだり蹴ったりだよ。」
感情に流されそうだけど、今回の件で一番損してるのは、漁師さんだよね。
そんなことより、カカシだ。
あの犬の名前がカカシだった。
まさか?
俺は、少し離れた場所で透明化を解除する。
あたかも、通りすがりの振りをして、埋葬中の3人の場所へと向かった。
「あ、警察の方ですか?」
「ん?あ、そうだけど?」
「この辺に、カカシって人、いませんでしょうか?」
3人の動きが止まった。
うん、そうなることは予想してたさ。
「カカシは死んじまったよ。この犬の名前だ。でも人じゃねぇぞ?」
そう答えたのはネズミさんだ。
「そのカカシは、手紙を書けたりしますか?」
「はあ?お前バカじゃねーの?犬が手紙なんか書けるわけねーじゃねぇか。」
いやね、俺もそう思ってましたよ。
シロクマのまさこさんっていう特別な存在がいたので、念のため確認したかっただけですよ。
「そうですよね。カカシって人から手紙をもらったので、その差出人を探しに来たんですが。」
「この管轄には、カカシと呼ばれるひとはいないですね。」
警官っぽい人がそう答えた。
うーん、やっぱりここもダメか。
すると、今まで黙っていた、日焼けの漁師が聞いてきた。
「その手紙っちゅーのは、何が書いてあったんだ?」
「それがですね、ボトルメッセージでして、ほとんど読めないんですよ。」
「はっ!ボトルメッセージとはロマンチックだな。圭みたいなことしやがるやつが、他にもいたのか。」
「圭って、西の港にいる圭さんですか?」
「なんだ、知ってるのか。」
この日焼けした人は、圭さんに知り合いのようだ。
ネズミさんと日焼けした漁師が、思い出すかのように会話を始めた。
「この犬も、圭さんから貰ったんだったな。」
「カカシの前に飼ってた犬が死んて、ショックを受けていたお前にあげたんだったな。」
「ああ、ホント、救われたよ。」
「確か、カカシって名前も・・・。」
「ああ、圭さんへの感謝を忘れないように、k.akashiからカカシにしたんだ。」
「圭の野郎、格好つけて自分のサインをk.akashiって書くからな。」
へー。
k.akashi→kakashi→カカシか
よく考えたもんだな。
ん?
え?
「そういうことか!」
「おい、急にどうした?頭がおかしくなったか?」
「これから、圭さんのところに行ってきます!」
「なんだ、急用でも思い出したか?」
俺は、念のため周りの視線を考慮して、誰もいない場所で転移した。
とぅ!