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「俊介さん。あの……ちょっといい?」
その日、少し青ざめた顔で僕の部屋にやってきた美麗は、震える手で僕に自分の通帳を差し出した。
「こんなもの、僕が見てもいいの」と言う僕に、美麗は「いいから、見てください」と固い声でそう言った。
「…………」
僕はただ、絶句するしかなかった。
なんだ、このゼロの数は。
こんな高額のお金が通帳に入っているところなんて、生まれてはじめて目にしたよ。
「り……臨時の、ボーナスが入るっていうのは聞いていたの。でも、それにしても、これって――」
何かの間違いなのかしら、とやっぱり震えながら美麗が言う。
「この間、とても売り上げが良かった日があって。ママのパトロンさんが色々と融資してくださったなんて話も聞いてはいたんだけど。でも、こんなの一介の雇われホステスがいただけるような金額じゃあないでしょ? どう考えても、変だなって……だんだん、怖くなっちゃって」
美麗はもちろん、何かの間違いではないかと思ってママにはすぐに確認を取ったというのだ。
だが、ママは笑って「いいから取っておきなさい。それはあなたのお金だから」と言うばかりなのだと。「別に危ないお金じゃないから」と、「でも、ほかの子には内緒にしておきなさいね」と釘を刺されてしまったのだとも。
「前から、ママとキャンディさんとか、他のかたとで何か他の事業をなさってるって話は聞いていたの。でも、それがなんだかは答えていただけなくて」
「そうなんだ」
「こんなお金、いただいても……って言ったら、キャンディさんが『じゃあ、ここらでいよいよシュンちゃんとの愛の巣ゲットなんてどう?』って」
「えええ?」
「この近くに、セキュリティがしっかりしていてきちんとプライバシーも守られるいい物件があるのよ、って……。どう思う? 俊介さん」
「いや、そんなこと急に言われてもなあ……」
僕は困って、もしゃもしゃの頭を掻き、さらにもしゃもしゃにしてしまった。
美麗とこの小ぶりのアパートにやってきてから、もう五年だ。手狭ではあるけれど、それなりに住み心地もよかったここを離れて、もっと大きなマンションに移るのか。
「僕はまあ、君と一緒ならどこに住んでもいいけどね。博士研究員になってからも結局、ほとんど研究室にいて、家には寝に帰るぐらいなことだし。いつも君には寂しい思いをさせてるよね。ごめんね……」
「あ、ううん。それはいいの。寂しいときもあるけど、そのときはお弁当もってそちらにお邪魔できるようにもなったもの」
「あ、そうだね。上沼が相変わらず毎回うらやましがってるけど」
それを聞いて、美麗はうふふ、と楽しげに笑った。
「あのかた、相変わらずよね。いいかたなのに、世の女は見る目がないわ」
「それ、本人に言ってやってよ。喜ぶから」
あはは、としばらく二人で笑いあった。
やがて美麗はちょっと考えるふうにして、ふと真面目な目に戻って僕を見た。
「……あの、俊介さん。マンションを買うのだとして、それでもきっと使い切れないから、あとは私たちみたいな立場の人と、肢体不自由のかたの支援をしている団体へ寄付するのはどうかしら。もちろん、俊介さんの研究資金としても使ってもらえたら嬉しいの。ぜひ使ってください」
「えっ。それは……ダメだよ。それは、君のお金なんだから」
「ううん。いいの」
きっぱり言って、美麗はにっこり笑った。
「それが嬉しいの。あ、でも、昔いっぱい迷惑かけちゃったうちの両親にも、こっそり送金しようかと思います。こっちの住所は書かないけど、一緒に手紙も出そうかなって。それだけは許してほしいんだけど――」
「なに言ってるの! 当たり前でしょ!」
すっと頭をさげた美麗に、僕は慌てて手を振って見せた。
「前にも言ったけど、昔いっぱいいっぱい、君にされた『借金』が戻ってきているんだよ。君のいいように、使うといい。キャンディさんたちが言うように、それは君のお金なんだ。僕は口出ししないから」
「ありがとう、俊介さん……」
ちょっと涙ぐんだ美麗を、僕は腕をのばして抱きしめた。
幸せになろう。
幸せになるんだよ。
君は、そうなる価値のある人なんだから。
だけど、そのときの僕らには、もちろん知る由もなかった。
結局その後、美麗がその手紙を出すことはないことも。
そのマンションを手に入れたあと、街に出かけた美麗が、思わぬ人との再会を果たすこともだ。
運命というものは、たかが人の身の僕らには計り知れない。
そうしてそれは、また別の物語なのだ。
2017.12.21.Thurs.~2017.12.24.Sun.
どなた様もメリークリスマス!
最後までお付き合いをありがとうございました。
いつかまた、どこかで。