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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第二章 愛切斬
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第九話 次なる刺客

 既に真夜中を迎えているというのに、神戸軍の陣屋から慌ただしい足音が消える気配はない。

 御伽岳一帯で猛威を振るう山火事が、この騒々しい混乱の原因であった。


 山麓近辺に住む村人からの報せは、神戸にしてみれば寝耳に水であったに違いない。

 まさかこんな大事な時に、村人の避難誘導や区画の整理に奔走する羽目になろうとは。

 さすがの神戸も、この状況を前にしてあからさまに苛立ちの色を見せていた。


 慌てふためく兵士たちの怒号と、陣馬のいななき。

 そんな喧騒を他所に、陣屋の庭先に静黙(せいもく)と立つ黒い影が一つ。


「…………」


 黒嶺餓悶(くろみね がもん)は何事かを思案するかのように目を細め、遥か北西の方角を見つめ続けている。

 夜天の下。彼方にぼんやりと浮かぶは、紅光に包まれた御伽岳。

 火災の凄まじさが、ここからでも良く分かる。

 大袈裟ではなく現実的な話として、広大な御伽岳を灰の山へ変えてしまう勢いである。


 話によれば、火災の原因は落雷だという。

 例年、天候の乱れが少ない今の時節にしては実に奇妙な話だ。

 そんな事を兵士たちが噂しているのを、餓悶は耳にした。


 内心で嘲笑った。

 莫迦が。あれが自然の雷によるものかと、心の中で吐き捨てる。


 彼には確信があった。

 天空から降り注ぐ稲妻の槍を、餓悶ははっきりと目にしていたのだから。

 

自然と笑みが零れた。

 願ってやまなかったことが、ようやく現実のものになろうとしている事に、強い歓喜の念を覚えている。そんな表情であった。


「御、御頭領……」


 庭を取り囲む塀の向こう側から、人とも獣とも取れぬ呻き声が聞こえた。

 耳を澄ませる。

 固い岩に生肉を強く擦らせるような異音。

 何者かが、ゆっくりと時間をかけて、塀を這い上がろうとしている。


 やがて、音の主が塀の向こうから顔の一部を覗かせた。

 そして、全身に一際力を込めて塀を飛び越えると、殆ど落ちるようにして、餓悶の前にその醜い姿を晒した。


 辛うじて人間と分かる短い四肢。

 体中に肌色の餅を大量に張り付けたかのような、でっぷりとした肥満体型。

 身に着けているものは一切なかった。全裸の男だ。

 それも、酷く醜い。

 頬と瞼周辺の肉に圧迫されて変形した、豆つぶのように小さな瞳が、尚のこと不気味さを際立たせている。


 手痛い一撃をその身に全身で受けたのだろう。

 贅肉だらけの体のあちこちから、赤黒い血を流している。


 一見して、およそ人とは思えぬ妖魔じみた風貌。

 しかし、それが魔人本来の姿であることを、黒嶺餓悶は知っている。


「肉蝮か」


 餓悶の声に、特にこれといった感情は含まれてはいなかった。

 気遣いであるとか、労いであるとか、人間が当たり前に持つ情感からは、完全に切り離された声色だった。

 それでも、肉蝮は自分の名を呼んで貰っただけでも嬉しかったのか。

 ぜぇぜぇと荒い息を吐きながらも、強がりの笑みを見せる。


「御頭領のご推察、まこと見事に当たりましたぞ」


「やはり相手は白鳳の忍、稲妻の忍法使いか」


「危ういところでございました……もうあと少し遅れていたら、この身もどうなっていたか分かりませぬ」


 森田の放った稲妻の一撃を受けてなお、肉蝮現生は命の手綱を手放すことはしなかった。

 術をまともに喰らう羽目にはなったが、彼は気力を振り絞り、奥の手を使った。


 森田が殺した下忍の体に自ら『潜行』し、死者の肉片で欠損した自身の肉体を補い、命からがら復命したのだ。

 これぞ、肉蝮現生が誇る忍法〈朱血肉鱗〉の真骨頂。

彼が〈不死の肉蝮〉と呼ばれる所以(ゆえん)である。


「しくじりは致しましたが、しかし、どうかご安心くだされ、御頭領。奴の忍法は確かに凄まじいものですが、既にこの肉蝮、奴の戦術は見切っておりまする」


 自らの失態を認めつつ、図々しくも肉蝮は大言を吐く。

 彼も他の慚魔三轟忍同様、慚魔の忍として幾年もの間、研鑽に研鑽を積んできた。

 その矜持(きょうじ)にひびを入れた報いをしてやらねば気が済まない。そんなところでいるのだろう。


「今度こそ必ず奴を仕留め、姫と妖獣魔笛をあなた様の御前に届けてみせましょうぞ」


「ならぬ」


 闇に溶けるような声だった。

 お主の働きぶりには失望した。餓悶の言葉にそんな意味合いが含まれていると感じたのか、肉蝮の顔が青ざめる。


「そ、そんな。御頭領、どうか、どうか今一度、この肉蝮に機会をお与えくだされ」


「勘違いをしてはならぬぞ、肉蝮。何も我は、お主が力不足だと言っているのではない」


「…………と、申されますと?」


「敵が白鳳の忍であると確信が持てた以上、お主以上に適任の人物がいるという事よ――葵」


 餓悶の呼びかけに、花弁が応じた。

 薄紅色の柔らかな花弁の群れが、どこからか渦を巻いて夜の闇を切り裂くようにして現れ、あっという間に人の姿を形作る。

 そうして突然、何かに弾かれたかのように、一時に炸裂した。


 中から現れたのは、夜叉の仮面を被りし忍。

 菖蒲色(しょうぶいろ)の忍装束を纏い、夜風にたなびくは霞色(かすみいろ)の忍風布。

 背おう忍刀の禍々しき事、筆舌に尽くし難い。

 手甲に刻まれたしゃれこうべの意匠(いしょう)が、この者の慈悲亡き心を代弁しているかのようである。


 仮面の忍は傷だらけの肉蝮に一瞥もくれず、片膝を地面に突いて、うやうやしく頭を垂れる。


「葵光闇。呼びかけに応じ、参上仕りました」


 どこか、蠱惑を潜ませた声色であった。

 葵光闇。慚魔三轟忍の一角にして、紅一点の忍。

 背丈は小柄ながらも、男顔負けの体術と忍術は幾多の戦場を駆け回ることで、ここ数年の間で更に磨きがかかっている。


「聞いていた通りだ。葵、次はお主が行け。彼奴らは今頃、山を下りて川沿いに移動している頃合いだろう」


「承知」


 簡単なやり取りだけを残し、葵の姿がまたもや花弁の渦に包まれ、次の瞬間にはその場から忽然と消えていた。


「御頭領、一体どういうことでございますか。なにゆえ拙者ではなく、葵なんぞをお選びなさったのですか!」


 肉蝮が分厚い唇を口惜しさに歪めて、餓悶に詰め寄る。

 納得がいかないのは、彼の傲慢ともとれる性格ゆえであろう。


 男尊女卑の気がある肉蝮は、葵が餓悶の寵愛を受けていることを、前々から憎らしく思っていた。

 どこの出かも分からぬ女狐如きに、慚魔衆幹部たる慚魔三轟忍の大役が務まる筈がない。

 彼女が推挙された時は、そう高を括っていた。


 それが蓋を開けてみれば、どうしたことだろう。

 なかなかどうして、葵は慚魔衆の為に良く働いていた。


 戦場で、肉蝮も何度か葵に危うきところを助けられたことがある。

 だが、感謝の気持ちなど、これっぽっちも抱かなかった。

 心に去来したのは、図らずとも女の手を借りて生き延びてしまったという、苦い屈辱だけであった。


「御頭領! どうか――」


 理由を教えてくだされ。

 そう言葉を続けようとしたところで、彼は黙りこくった。

 信じられない物を見たかのような目つきを、闇に浮かぶ餓悶の顔に注ぐしかなかった。


 黒嶺餓悶が、声を漏らさず嗤っていた。


 彼が笑みを浮かべるところを肉蝮が見るのは、何もこれが初めてではない。

 むしろ、戦場で数多の骸を築き上げる際、慚魔衆の中で餓悶ほど良く笑う人物もいなかった。


 だが今、餓悶の顔に張り付いている笑みは、これまで肉蝮が見てきたどの笑顔よりも、暗く陰惨で、邪悪に満ちていた。

 敵を殺す時に見せる愉悦のそれでも、自分の目論見が当たった時のそれとも違う。


 もっと歪な――人間の根元的部分に直結する何か。

 確定された残酷な未来を心待ちにしているかのような。そんな笑みであった。


 迂闊にも、底知れぬ悪意に触れてしまった。

 それを自覚した途端、肉蝮の背筋に激しい悪寒が走る。


「肉蝮よ。お主の気持ち、我には良く分かる」


 餓悶は肉蝮を見下ろして、聞き分けの悪い稚児を諭すように言った。


「だがな、敵の正体が、かつて我と戦った稲妻の忍法使いであると確定した以上、葵ほど、奴の相手をするに適した者もおらんのだ」


 餓悶の言葉。

 その意図するところが掴めず、肉蝮は身に残る焦熱の痛みも忘れ、魔人の王たる者の言葉に耳を傾け続けるしかなかった。


「まぁ、楽しみにしておれ」


 餓悶が、ゆっくりと背後を振り返る。

 視線の先には、依然として紅い化粧を落とさぬ御伽岳の姿が見える。


「葵が彼奴(きゃつ)を殺そうと、葵が彼奴に殺されようと、どちらに転んでも、彼奴は地獄を見る事になる」

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