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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第一章 士獣姫
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第七話 慚魔強襲

 いつ、追手が迫ってくるか分からない。十分な警戒をしても、薄氷を踏む思いでいることに変わりはない。それでも今はただ、耐え忍ぶしかない。


 夕餉を手早く済ませた後、森田一行は川岸の谷間へ、身を隠すようにして潜んだ。既に陽は沈み切って、煌く星々が暗黒の天幕を彩っている。支流を取り囲むように乱立する木々の葉を冷たき夜風が薙いで、虫のさざめきも、時折まばらに聞こえるだけとなった。


「そういえば、姫、一つ聞きたいことがあるのだが」


 岩に背中を預けながら、向かい合う彩姫に森田が尋ねる。


「俺と最初に出会ったとき、お主、どうやってあの卑樽(ヒダル)達を追い払ったのだ?」


 それは、今の今までずっと、彼の脳裏にこびり付いていた疑問だった。


「人の手が入る山を好む妖獣の中でも、卑樽(ヒダル)はとりわけ気が荒いと聞く。下手をすれば、大の(さむらい)でも立ち行かぬ相手。ましてやお主のような女子(おなご)に、あれをどうこうできるだけの力があるとは思えんのだが」


「それは……」


 迂闊(うかつ)に答えてはならない。姫の内なる声がそう(ささや)くも、しかし全てを話しきらなければ、という想いもあった。

 そもそも森田は、姫が神戸帯刀なる奸物(かんぶつ)に追われている現状を理解こそすれ、その理由についてはまだ良く分かっていないのだ。


 生来(せいらい)、隠し事を不得手とする性格の彩姫である。どこか心の隅で、若干の負い目を森田に抱いていた。その負い目が、心の引き金を引きかけた。

 これを機に、全てを話してしまおう。そう思い口を開きかけた姫であったが、


「口にしてはなりませぬぞ、姫様」


 懐中から、栗介が首だけを覗かせて釘を刺す。その声は、今までとは比べ物にならないほどの真剣味を帯びていた。


「そのことについて余人(よじん)に話すこと、藤尾家に仕えてきた者として見過ごすせませぬ」


「栗介」


「あれは古来より藤尾家が命を賭して守り続けてきた大切な宝。その内情について余所者を相手に(みだ)りに口にするなど、言語道断でございます」


「だからこそです。だからこそ……」


 強情さでは、姫も負けてはいない。胸元へ視線を落とし、栗介を見下ろして気丈に言い放つ。


「私は、妖獣魔笛の巫女として、この方に全てを話すべきだと思うのです」


「姫様……」


「無事に越碁国へ逃れる事ができたら、その時はお主の叱り、幾らでも甘んじて受けましょう。ですから、どうかお願いです。今だけは、私の好きにさせておくれ。栗介」


「……」


 栗介は何も言わず、黙って懐へ潜り込んだ。その素っ気ない態度を許可と取るのは、余りにも都合が良かった。それでも彩姫は、心に若干のしこりを残しつつも、洗いざらい全てを話し始めた。


卑樽(ヒダル)を追い払うことができたのは、妖獣魔笛(ようじゅうまてき)と呼ばれる笛の力に寄るものです」


「笛……笛の音で、妖獣を追い払ったと?」


 現実味のない話をされ、森田は困惑した。だが、彩姫の話を突拍子もないと切り捨てる事はしない。何より、このような状況で、姫が虚言を口にすると思う方がおかしい。


「実物を見せた方が、早いかもしれません」


 姫は静かに小袖の口に腕を忍ばせると、そこから薄紫の布袋を取り出した。膝の上で結びの紐を解いて、ゆっくりと中身を見せる。


「これは……」


 森田は絶句した。闇の中でも、確かにその存在を強く感じさせる、白一色に磨かれた倭笛。俗に塗れた世界の中で、この白き笛だけが、太古から脈々と続く聖気を宿している。そんな気がしてならなかった。


「凄まじい力を秘めているな」


「お判りになられますか」


「ああ。口では上手く説明できぬが、言いようのない神聖な波動を感じる。この笛、素材は何で出来ておるのだ」


「江治前国にしか自生しない、白水(しらみず)と呼ばれる樹を加工したものと、言い伝えられております」


「……これだけの莫大な力だ。その本源となっているのは、もっと別のところにあるのだろうな」


「仰る通りでございます。それをご説明するには、藤尾家と江治前国の事についてお話しせねばなりません」


 笛を布袋で包み直し、袖口に仕舞ってから、彩姫はぽつりぽつりと話し始めた。


「江治前国は遥か古来より、種々多様な数多くの妖獣が棲まう、まさしく神の土地でございました。妖獣魔笛もその名の通り、妖獣とは切っても切り離せぬ関係にございます」


 まだ、八洲(やしま)が八洲と呼ばれるよりも遥か以前の昔から、それはいる。深昏とした森の奥を住処とする化生(けしょう)の者ら。森と共に生き、森と共に死ぬことを運命としてきた、人語を操る獣の種族。

 それが妖獣。

 人とは棲む世界が異なるが、しかし常に、八洲人(やしまびと)の営みの裏には彼らの存在があった。


 妖獣の多くはその身に宿す強大な神通力(じんつうりき)を、時に災いとして振り撒き、時に大地豊穣の恵みとして人々に与えてきた。

 人知の領域を超えた妖獣の存在を、八洲人は畏怖し、崇拝し続けてきた。それは、今に伝わる多くの神仏像の楽想となっている事からも明らかだ。


「元々、藤尾家は(さむらい)の家系ではないのです」


「そうなのか」


「そもそもの起こりは、今から八百年ほど昔、神代(しんだい)の頃にまで遡ります。藤尾家家祖の名は豊降守鳴彦(とよふるのかみなりひこ)と申しまして、大社の宮司を務める傍ら、国では右に出る者のいない、笛の名手であったと聞いております」


「八百年……想像もつかぬな」


「私も、あくまで母から聞かされた話ゆえ、どこまでが本当なのかは分かりかねます。ですが確かに言える事がございます」


「何だ?」


「妖獣魔笛は、江治前国を長年支配し続けては民を苦しめていた妖獣の(おう)を、豊降守鳴彦(とよふるのかみなりひこ)が鎮める際に用いた笛である、ということです」


「それが、八百年もの間朽ちる事なく今に伝わっていると、そう申すのか」


「はい」


「……」


 (にわ)かに信じられぬ話であった。だが、如何に未知の理であろうと、信じざるを得ない。何しろ、森田はその身を以て笛の力を体感しているのだ。


「豊降守鳴彦の逸話にもある通り、また、私が卑樽を追い払った事からもお判り頂けます通り、妖獣魔笛には妖獣の心を自在に操る(しゅ)が掛けられております。その力を発揮できるのは、豊降守鳴彦に連なる者……藤尾家の血を引く者に限られるのです」


「すると姫、今はお主だけが、笛の正当なる吹き手であると?」


「仰る通りでございます。恐らく神戸は、藤尾家秘中の妖獣魔笛の存在を何処からか知り、それを奪う為に謀反を起こした。私はそう考えています。私と笛を一度に手に入れ、さしずめ、己が天下人となるための道具にするつもりなのでしょう」


「きっと、そうなのだろうな。それにしても、妖獣を思いのままに操る魔笛か。使い様によっては、八洲列島そのものを崩壊せしめることも可能だろう。何としても、その神戸某(かんべなにがし)とかいう者の手に、渡すわけにはいくまい」


 と、森田が何か重大な事に気が付いたかのように、はっとした顔つきになった。


慚魔衆(ざんましゅう)……」


「え?」


「慚魔衆も、その笛を狙っていたとしたら……」


 森田の呟きに、姫がまさかといった顔になる。


「で、ですが、彼らは忍でございまする。忍は、主君の命にだけ従う事を絶対とするはず。笛を手に入れて、あの者ら自らがどうこうしようなど――」


「いや! それは思い込みだ」


 何時になく、強い口調の森田。彼の鬼気迫る断定的な物言いに押され、彩姫は思わず身を縮こまらせた。森田は、そんな姫の見せた一瞬の怯えにも気づかないのか。やや早口で、一方的に捲し立てる。


「慚魔衆は忍であって、忍ではない。奴らはただ殺しに愉悦を求める畜生だ。奴らの真なる願いは、永遠に終わらぬ血生臭い闘争。それを叶えるために、魔笛の存在を嗅ぎつけ、時を同じくして謀反を(くわだ)てていた神戸と接触した。そうは考えられぬか? いや、そうに決まっておる。今は神戸に従っておるやもしれぬが、奴らもまた、妖獣魔笛を狙っているに違いない。もしそうだとしたら……もし、奴らが笛を手に入れてしまったなら……」


 言葉が止まる。己が想像力の働く限りの、残酷な光景を脳裡(のうり)に描いたのだろうか。

 花が急速に萎れていくが如く、森田の口が動かなくなった。

 暗闇の中でも夕焼け色に染まる彼の両眼に、何時になく暗き(かげ)が差し込んだ。


「森田様……まさか、貴方様は……」


 彩姫の胸中に、一つの確信めいた予感が浮かぶ。それは、彼の言質から容易に推測可能であった。


 この男は、慚魔衆と浅からぬ因縁がある。もしや、過去にあの忍達と対峙したことがあったのではないだろうか。


 その事について尋ねようとした時だ。やおら森田が、谷間の岩越しに対岸へ目ざとく視線を送った。岩に立て掛けていた山杖を握り、何かを覚悟したような表情で、じっと暗闇の奥を見つめる。


「――どうやら追いつかれたようだ」


 言った刹那、すぐ間近で爆音が轟いた。

 一体何が――激しい困惑が彩姫を襲う。


「大丈夫だ」


 耳元に響くのは、頼もしい声。そこで彩姫は、自分が森田の両腕に優しく抱え込まれていることを知った。いつの間にか、隠れ潜んでいた谷間から飛び出していたことにも。


 見れば、背丈以上もあった谷間の岩が粉々に砕け散っている。彩姫の顔から、さっと血の気が引いた。恐怖で足が震えてしまう。森田がしっかりと抱き支えていてくれなかったら、その場にへたりこんだきり、動けなかったに違いない。


「何事じゃ!?」


 ただならぬ異変を察知して、彩姫の小袖から顔を覗かせた栗介に、森田は冷静な様子で事態の切迫を告げた。


「慚魔の忍だ。流石に、嗅ぎつけるのが早いな」


 森田が向ける視線の先。支流の向こう。対岸に乱立する林の奥で、炯々(けいけい)と(ひか)る赤き閃光の群れが横一列に並び潜んでいる。


 森田は目を凝らし、閃光を発する存在の正体が何であるかを直ぐに悟った。


 外装が鉄で覆われた長筒。血で血を洗う時代が生み出した武器。刀や槍、弓に変わる新たな飛び道具。


火龍砲(かりゅうほう)……っ!」


 その恐るべき遠距離兵器の仕手(して)――林の影に隠れる慚魔の忍達の気が、冷たき殺意を(かて)に膨れ上がるのを、森田は確かに感じ取った。


 赤い閃光が続々と弾ける。数多の銃口から発射された鉛の炸裂弾が、森田達に向かって一斉に襲い掛かり、着弾。

 肚に響き、肌を震わせる爆音。爆炎の煽りを受けて河の水が激しく波立ち、谷間の岩々が崩れ、辺りに熱煙を吹き上がらせる。


 だが、森田は間一髪のところでこれを避け、大きく距離を取った。見れば、さっきまで彼らが立っていた場所が、跡形も無く吹き飛んでいる。一発でもまともに喰らえば、深手は免れぬ威力。


「彩姫殿!」


「は、はいっ!」


 何時の間にか、自分でも気づかない内に森田の背に負われる形となっていた彩姫は、森田の必死に叫びを聞いて、思わず声を上げていた。


「しっかり俺の背に掴まっていろっ!」


 言い終わった途端、森田が山杖を手にして勢いよく跳躍。その動きと入れ違う様にして、火龍砲がまたもや火を噴き、森田の足元に爆撃を見舞った。


 攻撃が外れたと見るや否や、火龍砲の銃口は直ぐに方向を変え、軽やかに宙を舞う森田の姿へと向けられた。

 そうして硝煙を吹き散らし、砲撃の嵐を浴びせていく。その一つ一つを、森田は宙空で鮮やかに身を反転させながら、岩から岩へ飛び移ることで回避していった。


 夜天に包まれた中、夜眼(よめ)を効かせて火龍砲の銃口の向きを見定め、攻撃の軌道を読み切り続ける森田。その姿は、さながら翼を宿した(ましら)だ。間近で森田の動きを見続ける彩姫は、彼の人間離れした体術に驚嘆の色を隠せずにいた。


 飛沫を上げて河川を走り抜け、林の木々から木々へ軽やかに飛び移る。その間も、常に彼の夕焼け色に輝く瞳は、火龍砲の仕手たる慚魔の下忍達に向けられていた。


 そうやって、ある一本の大樹の枝に飛び乗った時だ。何の前兆も無く、火龍砲の攻撃が止んだ。考えなくとも、森田には分かった。藥室に込めていた火薬が底を尽いたのだ。


 わずかな隙を見逃さない森田ではない。直ぐに彼は反撃に転じる。彩姫や栗介はおろか、慚魔の下忍達ですら予想できなかった、ある方法による反撃へと。


 森田は(じん)として己の懐中に片手を突っ込み、眼下の下忍達へ何かを放った。投擲されたのは、忍の武器であるはずの、十枚の棒手裏剣。奇しくも、林に潜んでいた下忍の数も同じく十。


 森田は、ただ攻撃を躱し続けていただけではない。敵の数を完璧に把握しようと、ずっと観察に徹していたのだ。


 森田の手を離れ、大気を鋭く衝いて飛来する鉄の牙。その一つ一つが、正しく慚魔下忍の急所を穿つ。一本は眼球を抉り、一本は側頭へ突き刺さり、一本は心の臓に命中して(おびただ)しく血を噴出させ……次の瞬間。


 棒手裏剣を起点として、炎が噴き上がる。蒼紫色に輝く、電撃の炎が。

 下忍らは為す術もないまま、瞬く間に電磁の業火に呑まれていった。


 吹き荒れる閃光。身を焼き焦がす豪雷。

 絶痛絶苦に悶えるも、肺を一瞬で灼き尽くされて声も出せない。


 ぼろ切れと化す忍装束。(ただ)れた皮膚から、鼻腔から、耳から、穴という穴から。血を盛大に吹き出しては、一人、また一人と絶命していく。


「な、な……」


 辺りに立ち込める濃い臭氣。血の池に沈む、十の焦げた肉塊。


 鉄塊で頭を殴られたかのような衝撃に、彩姫は唇を震わせた。彼女の小袖に潜り込んでいた栗介も、僅かに顔を半分覗かせるだけで、何も声に出せなかった。


――忍法・電磁手裏剣(でんじしゅりけん)


 棒手裏剣に施された老松(おいまつ)鳳凰(ほうおう)の意匠をなぞる様に、蒼と紫の雷紋が弱々しく明滅していた。

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