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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第一章 士獣姫
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第三話 助太刀

 太く長い根を張る樹林帯を抜けて、彩姫と栗介は吹き荒ぶ風に波打つ原野に辿り着いた。藤尾家所有の御狩場(おかりば)である。


 山の天気は移ろいやすい。太陽はいつの間にか重く垂れこめる灰雲(はいうん)の陰に隠れてしまっている。寂莫(せきばく)とした草原を、足をふらつかせながらも駆ける彩姫。その小さな肩にしがみ付き、正面を見据える栗介。


 御伽岳を無事に下れば、隣国であり同盟国でもある中杉氏が治める越碁国えちごのくにへ、ぐっと近くなる。


 越碁国を治める中杉家当主の中杉宗近(なかすぎむねちか)と彩姫の父は親交があった。藤尾家の窮状(きゅうじょう)を説明すれば、きっとお家再興の為に力を尽くしてくれるはずだ。心臓が張り裂けるような苦しみの中、すがれる希望はただそれだけ。


 しかしながら、原野の中ほどまで来たところではっきりと思い知らされた。歩まざるを得なかった、たった一つの道すらも、無情にも潰えてしまったことを。


 風に交じる異音を耳にして、ふと彩姫は周囲へ目線をやり、絶望した。


 敵の姿。何時の間にか円形に取り囲まれていた。

 物言わぬ襲撃者の群れ。灰褐色の忍装束を身につけ、鬼を象った赤黒い仮面を被りし魔天の一団。神戸帯刀が謀反の折に雇いし忍の集団――慚魔衆(ざんましゅう)の下忍たちだ。


 追いつかれたのか。あるいは待ち伏せされていたのか。

 どちらにせよ、危機的状況に陥ったことは否めない。


 立ち止まり、辺りを見渡す彩姫と栗介。敵の数は十五。円形に囲まれているせいで、どうやっても突破は不可能。

 いや、それ以前に動けない。慚魔の忍、その一人一人が放つ壮絶な殺気が見えぬ鉄鎖(てっさ)となって、姫と栗介を縛り上げているかのよう。


「藤尾竹虎が遺児、彩姫殿とお見受けする」


 仮面越しにくぐもる声。忍達を率いる下忍頭(げにんがしら)が、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった風に前へ歩み出る。同じように、他の下忍たちもじりじりと近づき、囲いを(せば)めてきた。


「あらかじめ忠告しておくが、反抗など考えぬ方が良い。御頭領より、お主は殺さずに生け捕れと仰せつかっておる。無論――」


 仮面に穿たれた二つの穴が、ぎらりと光る。下忍頭の射抜くような目線が彩姫の右袖口に注がれる。そこに手に入れるべきものがあることを一瞬で見抜き、自然と口角が邪悪に歪んだ。


「その袖口に仕舞い込んである、妖獣魔笛も一緒にな」


「……っ!」


「さぁ、早うこちらに――」


 死仮面がにじり寄る。きっ、と強く奥歯を噛み締める彩姫。だが、態度に表すだけで言葉が出てこない。


 恨み辛みは山ほどある。逆臣に嬉々として手を貸す下賤(げせん)の忍ごときに、この身と家宝たる笛をくれてやる道理はないと、毅然(きぜん)と言い放ってやりたかった。


 だが、恐怖で口が動かない。

 無理もなかった。

 一国の姫とは言え、彼女はまだ十三の娘なのだ。


 それに逃げる最中、手練れの護衛達が呆気なくやられていった姿を、姫はしかとその目に焼き付けてしまっていた。

 恐るべき忍法の前に、断末魔を残して牙を折られていった(さむらい)たち。その無残極まる残像が脳裏を過れば、心に諦めの感情が芽生えるのは必然と言えた。


 そんな彩姫の内なる苦しみを代弁するかのように、栗介が牙を剥き出しにし、全身の毛を逆立てて死仮面らを威嚇する。

 しかし、下忍達は低い不気味な嗤いを仮面の向こうから漏らすだけ。そんな小さな体を怒りに震わせて、今更何が出来る――そう思っているに違いなかった。


「噂通りの強情な姫だ。止むをえまい」


 下忍頭が、ゆらりと、背の忍刀を引き抜いた。


「多少、手荒な真似をしてでも構わんと、御頭領は仰っていたのでな。どうしてもというなら、力づくで連れていくだけのこと」


 その瞬間、野蛮にして獰悪(どうあく)なる気の圧が彩姫へと襲い掛かった。慚魔の忍が放つ、残酷に満ち満ちた狂の威圧だ。


 これから自分が受ける非道な責めを想像するだけで、姫は恐ろしさに苛まれ、身を縮こまらせた。

 心の中で、ありとあらゆる神仏へ無心で祈りを捧げた。それぐらいの事しか出来なかった。


 じり……じり……と、死仮面の包囲網が益々狭まる。


 よもやこれまでか。

 覚悟を決めて姫も栗介もぎゅっと目を瞑る。


 だが――どうしたことか。


 いくら時が過ぎようとも、その身に慚魔の息吹がかかる気配はない。

 不思議に思い、きつく閉じた瞼を開きかけた時だった。


「何奴だっ!?」


 下忍らが驚きに似た声を上げた。

 慌てて姫と栗介は背後を振り返った。

 そこには――


「あ、貴方様は……」


 渺茫(びょうぼう)たる原野の向こう。

 一人の男が立っていた。

 ついさっき卑樽(ヒダル)に憑かれていた、無宿人と思しき男だ。


 突然の参上に、誰も、何も口にできない。男の比類なき無言の威を受け、どよめいて左右に割れる下忍たち。彩姫は驚きの表情を湛え、風の様に現れた男の姿をまじまじと見た。


 男の歳は、見てくれからして二十半ばくらいであろうか。右手に白木造りの山杖を携え、決して良い身なりとは言えぬ痩せた風体(ふうてい)。八洲人には珍しい夕焼け色に染まる(まなこ)が、強い輝きを放っている。妖獣に生気を吸われ、喘いでいた者と同一人物とは思えない程に。


「その身なり、山岳を住まいとする山渡りの民か? あるいは、あてもなく彷徨う流れの士か?」


 下忍頭の問いに答えようともせず、男は草鞋(ぞうり)で草波を踏みつけて歩みを止めない。そうして、彩姫を背中で守るようにして堂々と忍達の前に立ちふさがった。その異様な佇まいに、さしもの慚魔衆も幾ばくか気を鈍らせる。


「答えろっ! まさか、藤尾家に縁ある者か!?」


「違うな」


「では一体、何が目的で邪魔立てするか!」


 男が、傲岸ともとれる不敵な笑みを浮かべた。


「この者を、助ける」


 そう、はっきりと口にした。忍ばかりではない。彩姫も栗介も、その場にいる誰もが、男の言葉に驚愕した。全員が、まさかという思いと共にその場を動こうとしない。いや、動けない。


 助ける。男は確かにそう言った。だが一体、何の理由があっての行動か?

 もしかして、さきほどの件に義を立てようと言うのか。

 だとしても、これだけの数の敵を一人でどうこうしようなど、無謀の極みと思えてならない。


「――笑止」


 男の高言(こうげん)を受け、忍達の気が膨れ上がる。瞬く間に五人の忍が刀を手に、旋風のごとく地を走り、斬りかかる。対して、男は顔色一つ変えず山杖を手に立ち尽くすのみ。


 曇天(どんてん)の下、剣閃が奔る。しかして、地に伏したのは男の方ではなかった。


 男の足元に、無残にも転がり伏す五つの遺骸。血に濡れるは、男が逆手に握りし刃。


「……その山杖、仕込み刀であったか」


 男は、変わらず不敵な笑みを浮かべるだけで答えない。子虫程度と侮っていた相手から、思わぬ反撃を受けて狼狽を隠しきれないのか。下忍頭が仮面の奥で口惜しそうな表情を浮かべているのが、声の具合で分かった。


「しかし、いくら腕に覚えがあろうと、所詮我らの敵ではないわっ!」


 下忍頭が素早く懐に手を忍ばせ、放つは鉤十字の手裏剣。慚魔衆特有の、がしゃどくろの意匠が拵えてある。それが七枚、草波を刈って奔る。


 逆手に握る刃で、飛来する手裏剣全てを打ち落とす男。見事な刀捌きであるがしかし、彼が最後の手裏剣を撃ち落とした既にその時、刀を携えて四方より踊りかかるは、七人の下忍たちであった。手裏剣の投擲は、あくまで陽動に過ぎなかったのだ。


 だが、男は焦る素振りを全く見せない。呼吸を一つも乱さず、冷静に、こちらへ襲いかかる敵の姿を見据えると、軽やかに手首を翻した。


 複雑に絡み合う敵の太刀筋。その全てを読み切り、放つ刃撃(じんげき)はまさに斬閃(ざんせん)。無数の赤い弧を描いて、刃の風が次々に叩き込まれる。肉が裂け、骨が断たれ、鮮血が舞い散り、辺りに降りかかる。気づけば男の足元に、合わせて十二の遺骸が積み上がっていた。


「な、なにぃ……!?」


 予想外の展開。動揺が稲妻の如く、残る三人の忍びの背を駆け抜けた。


 渡り鳥の如く国と国とを移動し、時も場所も関係なく、常に戦乱の火を撒き散らしてきた慚魔衆。その末端に属する下忍とはいえ、宿す力は並の士でどうこう出来るものではない。 それをいとも容易く、あっという間に十人以上も斃すとは。


「あり得ぬ……あり得ぬぞっ! こんな、き、貴様……一体……っ」


「下衆に対して名乗る名など、持ち合わせてはおらん」


 挑発的な一言と共に男が刀を構え、先手を打った。地を蹴って低く飛び、敵を斬り伏せんと駆け急ぐ。


 しかし、下忍頭の方が僅かに動きが早かった。


 焦燥を帯びながらも、下忍頭が素早く両手で印を結んだ。その途端、下忍頭と取り巻きの姿が陽炎の如く揺らめいて、忽然と立ち消えた。


 男の仕込み刀は、虚を突いただけに終わった。


 遁走術。慚魔衆が得意とする変転万化な離脱の術である。


「逃がしたか」


 悔しげに独り言をつぶやきながら、男は静かに刀を鞘に納めた。

 一部始終を見守っていた彩姫は、戦いの終結を見届けると、はっと我に返り、男の下へと駆け寄った。


「危なきところを助けて頂き、誠に有難うございました。何と、何とお礼を申し上げたら良いのか……」


「なに、先ほどの礼を返したまでだ」


 男は莞爾と笑うと、慚魔衆が姿を消した地点を見やりつつ、何事かを口走りかけた。


「ところであの忍達だが……」


「慚魔衆でございます。恐るべき忍法を操る、人の姿をした獣にございます」


 憎しみを込めて唾棄する彩姫を見て、男は鋭い眼差しで遠くを見た。


「やはり、そうか」


 強い風が、二人の間を駆け抜けた。細い顎に手を当てて何事かを思案する男。眉根に深く皺を寄せるその姿を見るうちに、彩姫はふと思った。この御仁も、あの忍達に、なにか個人的に思うところでもあるのだろうか。


「あ、あの……」


 距離は近いのに、心が置き去りにされたような寂しさがあった。だからだろうか。自然と言葉が出た。


「お命を助けて頂いた上、初対面の御仁にこんなお願いをするのは不躾だと存じております。ですが、これはきっと、御仏が巡り合わせてくれた縁。どうか、どうかお願いいたします。私を越碁国の中杉様のお屋敷まで、連れて行ってくださらないでしょうか」


「中杉……七矢宗近(ななやむねちか)こと、中杉宗近のことか。越碁の豪龍と恐れられる猛将ではないか」


「はい」


「何をしに、そこへ往くのだ?」


「それは……」


 何から事情を説明して良いか分からず、彩姫は口ごもる。その姿を見て、男は失笑した。


「一つ、変なことを尋ねてもよいか?」


「なんでございましょう」


「仮にだが、もしも俺が慚魔の忍だとしたら、どうする?」


「え?」


「こうして無害を装い、お主に近づくことが目的だとしたら……」


「お主、一体何奴じゃ」


 彩姫の肩に乗る栗介が、今にも飛び掛からんとする勢いで威嚇した。そこで男は、初めて栗介の存在に気付いたらしかった。ほぅ、と珍し気に声を上げると、


「これは驚いた。獣でありながら人語を操るということは、その方は妖獣か」


「如何にも。生まれは茶渡ヶ島(さどがしま)風神岩の鉄鼠族(てっそぞく)が族長、明名実秋(あきな さねあき)が長子の栗介(りすけ)じゃ。そして、ここにおわす彩姫殿の身を護るが、儂の主命。いかな障害も、儂が命を賭して蹴散らしてくれるわ。小さいからと言って、舐めるでないぞ。いくらお主の剣技が優れていようと、儂の牙を以てすれば、その首掻き切ること、実に容易いわ」


「栗介っ! 命を助けて頂いた御仁に、何という口の利き方をするのですかっ!」


 反射的に激高する彩姫だったが、当の栗介は男から視線を外さない。警戒心を向けたまま、反論の弁を述べる。


「恐れながら、姫様。我らが置かれた状況を鑑みれば、安易に余人を信ずるものではございませぬ」


「では、お主はこの御仁が慚魔の忍であると、そう申すのか?」


「そうかもしれませぬし、そうではないのかもしれませぬ。しかし真偽は別にして、何事も疑いを以てかかること、この時勢にあっては当然の事かと。隣国には竹虎様討ち死にの報せ、既に伝わっておることでしょう。これを好機と判断し、混乱に乗じて御身と笛を狙う不逞の輩が現れても、何の不思議もございませぬ」


「その不逞の輩に属するのが、まさに俺という事か? 妖獣殿」


「おう、そうじゃ。それを指摘したかったのじゃ。我々が注意すべきは、慚魔の忍だけではない、という事じゃ」


「…………」


 栗介の言を受け、それまでの表情から一転。暗さと不安さを顔相から漂わせながら、彩姫は黙って男を見上げた。男は、神妙な面持ちで頷いた。


「そこにおる妖獣殿の言うことにも、一理ある」


 まさか同意してくるとは思わなかったのか。栗介が意外そうに首を傾げる。


「人は見た目によらぬからな。それに、今この場で俺の身を証明できるのは、他ならぬ俺以外には誰もおらん。また、仮に俺が(よこしま)な心を持っていようとも、それを自覚できるのは俺以外にはおらんのだ」


 男の言いたいことが、なんとなく理解できた。姫は逡巡し、やがて自らを納得させるように一つ頷いて、また男を見上げた。


「ですが、私は貴方様を信じます。だって貴方様は、私を救ってくださってはありませんか。それに先ほどの太刀筋、私には武芸の心得はございませぬが、鍛錬に鍛錬を積んだ刀捌きであることは分かりました。慚魔の忍が振るう悪意に満ちたそれとは、決して違います」


「一つ、言っておこう。目的を叶えるためなら二重、三重に網を張る。どんなに非道な奸計(かんけい)も策謀も、執念深くやってのける。それが奴らの戦術よ。正しき心だけを以て、敵う相手ではない」


「……なぜ、そのような話をされるのですか?」


「お主は簡単に人を信じすぎる嫌いがある、と言いたいのだ。お主、先ほど俺が越碁国へ何の理由あって赴くのか尋ねた時、己が境遇を話そうとしたな?」


「はい。それが、なにか?」


「そんなことをしてはならぬ。たとえ命を救ってもらった相手でもな。良いか? 会って間もない、それも男を相手にしてか弱き女子が、己の身の上話をしようとするものではない。そんな隙を見せるような生き方では、この情無き世を渡っていくのは辛かろう」


 責められている気分になり、姫が沈痛な面持ちになる。そういう反応を見せるのも仕方のない事だった。今までずっと、美しい自然に囲まれ、父と母の愛を一身に受け、謀反や謀略とは無縁の人生を過ごしてきたのだから。


 他人の言葉を疑うよりも、信頼することの尊さを教え込まれてきた。その教えは父と母の亡き今も、彩姫の心に深く根付いている。それ故に、これから先はあらゆる事に疑念を持たなければと言われても、そう簡単にいくものではなかった。戦乱の世が、彼女を生き辛くさせていると言って良かった。


 五年前。近巳国が領国大名・鴎外守直が八洲の天下統一を成し遂げて太平の世が訪れていたら、こんな事にはならなかったのかもしれない。そんな思いが、ふと彩姫の脳裏を過った。


「まぁ、安心せい」


 ふっと、男が溜息を吐いて笑った。大樹のような、頼もしさを感じさせる笑みであった。


「俺は慚魔の忍ではない。まぁ、信じるも信じぬも、お主の勝手ではあるが」


「信じます。貴方様のことを」


「……ふむ、そうか」


 顎に手をやって暫し考え込んだ後、男はまたもや微笑んだ。


「よかろう。お主の言う通り、これも御仏が結んだ縁かもしれぬ。俺で良ければ、力になろう」

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