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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
最終章 我一心
27/32

第二十七話 慚魔三轟忍、その恐怖

 闇を孕む、密集した木々の壁に囲まれた獣道を、蹄を蹴り立てて騎馬の群れが雪崩の如く走っていく。先頭を往くは、額に脂汗を滲ませて、跨る馬に向かって意気よく声を上げる神戸帯刀。そのすぐ後ろを主だった家臣団が、同じように馬に乗って続く。さらにその後方から、遅れまいと槍を持って走る雑兵が続いた。


 そして最後尾。殿(しんがり)を務めるは、慚魔の忍・竜羅河蓬莱である。彼もまた、当てがわれた馬に乗って、その何を考えているか分からない野性じみた眼光を、先を往く隊列に鋭く向けていた。


 今の神戸の心境と言ったら、混乱に煮え立っていた。思えば、散々たる状況だ。ようやく手に入れた妖獣魔笛が偽物で、餓悶の策に乗って正願寺で敵が来るのを待ち構えていたら、中杉の軍勢が城を攻めてきたというのだから。これほど長い一日を、今まで神戸は経験したことが無かった。初めて経験することが多すぎて、脳が処理に追いついていない。


 だが、そんな神戸の長い一日は、何の前触れもなく終焉へ向かい始めた。


 山道を抜けて、あともう少しで城に辿り着くかという時だった。急に、神戸は違和感を覚えた。馬の足音が、さっきよりも小さくなっている。いや、少なくなっている。それに、時折風の音に混じって、悲鳴のようなものまで混じっている。


「(なんだ……?)」


 馬の手綱を器用に操りながらも、神戸は恐る恐る背後を振り返り、


「なぁっ……!」


「殿!? 如何されましたか!?」


 神戸の、まるで地獄の底を垣間見たかのような反応を受けて、付き従っていた家臣らも釣られて後ろを振り返った。


「な、う、腕が! 腕の怪物が!」


 がちがちと恐怖で奥歯を鳴らす家臣団。


 闇に包まれていながらも、彼らが確かに目にしてしまったもの。


 遥か後方より迫りくる、二本の腕である。それが鞭のように大きくしなっては、両手に持った長槍を巧みに操り、雑兵という雑兵を薙ぎ払っているという、余りにも現実離れした光景だった。


「も、物の怪じゃ! 妖獣の類じゃ!」


「いや、違う。あれは――」


 戸惑う家臣団の内の一人が、驚愕の声を上げた。


「竜羅河!」


 林の奥より、奪った槍の穂先で雑兵の背中を突き、首を叩き折り、恐怖で倒れ込んだ者を馬で踏み殺しながら現れた、長身体躯の男。


 あろうことか、味方であったはずの竜羅河蓬莱が、暴虐の主であった。


「貴様! 気でも触れたか!」


 白髪の家臣が上げる怒声も、届いているのかどうか。蓬莱は禍々しいほどの凶相に凄絶な笑みを加えて、鞍に跨りながら、伸びきった両腕を暴風の如く暴れさせ続けた。異変に気付いて悲鳴を上げる兵士らの背中を、腹を、その急所という急所を確実に突き、殺していく。雑兵らの断末魔が、昏い獣道に足跡を残していった。


「こ、こやつ!」


 神戸の直ぐ後ろを走る若い家臣が、騎乗したまま弓を引いて矢を放った。中々の技量の持ち主だった。矢は風を衝いて真っ直ぐ、蓬莱目掛けて飛んだ。しかし、そこで蓬莱の左手首が恐ろしいほどの回転を見せ、風車の如く槍が円形を描いて回り、矢を払い落した。


 呆気に取られる男目掛けて、蓬莱は右手に握った槍を思い切り投げ放った。躱す間もなく、槍は男の口中目掛けて飛び込み、大量の血をしぶかせて後頭部を貫いた。飛び散った脳漿の欠片が、神戸の頬に付着した。


「ひ、ひいぃぃぃぃぃ!?」


 怯えに怯えた声。あの獰悪に満ちた姦臣たる神戸が、そんな情けない声色を人前で漏らすなど、これが初めての事であった。


「は、走れ! 走るのだ!」


 恐怖、戦慄、死の気配――様々な負の足音に突き動かされるまま、神戸は手に持った鞭で、めちゃくちゃに自馬を叩き、速度を上げるように求めた。


 死神の鎌が、じわじわと近づいてくる。息を一つも乱さず、まるで小虫を捻り潰すかのように雑兵の全てを殺し、蓬莱は次に家臣団を狙いに定めた。


 家臣団の中には、恐怖で泡を吹いて馬から落ちる者や、憤怒の色を見せて太刀を抜き、構える者もいた。その全てを、蓬莱は自慢の〈蛇鞭拳〉を駆使して刈り取っていった。


 左手に持った長槍で太刀を構えた家臣の胸を、鎧越しに一息に突き殺す。空手となった右手で拳を形成し、とんでもない速度で以て、泣き喚く家臣の頭部を兜ごとぶち抜く。


 被害は人だけでなく、馬にまで及んだ。後ろ足を〈蛇鞭拳〉で砕き折り、しなやかで太い首に腕を巻きつかせて、窒息死させた。たちまちのうちに、隊は混沌と狂乱の渦中に呑まれた。


 その中にあって、突如として反乱の意志を見せた蓬莱ただ一人が嗤っていた。生まれついての殺人欲が、ここにきて真骨頂を見せていた。幼き頃より、人を殺すことに激しい興味と快楽を示し、ついには優しく愛情を注いでくれたはずの実母を肉切り包丁で生きたまま解体した時の興奮が、今この時になって蘇っているようであった。


 まさに、古代の書物に記されし、悪竜と呼ぶべきだろう。右手の血に濡れた五指は竜の牙じみて肉と鎧を断ち割り、その掌は内臓を潰して赤黒い口腔さながらだ。左手に持った長槍は柄の部分に、家臣や雑兵の臓物がぶらんぶらんと引っ掛かり、鋭い突きと払いを披露する様が、竜の尾っぽじみている。尚も止まらぬ笑いは竜の咆哮。その爛々と輝く瞳は竜の瞳じみて神戸に迫る!


「や、やめろ! 竜羅河! 貴様何が目的だ!」


 ついに、主を守りし最後の家臣が突き殺されたところで、神戸が泣いた。泣き喚いた。閻魔の前に引き摺り出された罪人が、許しを請うような必死さがあった。だが、相手は死神である。死神に、人間の願いを聞き入れる道理など、何処にもない。


 蓬莱は、最後までとっておいた右手の槍を、神戸を走らせる馬の尻に向かって突き刺した。馬が後ろ足をつんのめらせて強烈な嘶きを上げ、滅茶苦茶に暴れ回る。


「あがっ!?」


 たまらず手綱を離した途端、神戸は強かに地面に尻を打ち付けた。赤く濡れた尻もそのままに、馬は林の中に去っていった。


 蓬莱は馬に跨ったまま神戸に近寄り、侮蔑とも呆れともつかない視線を湛え、神戸を見下ろした。「ひぃ」と小さく悲鳴を漏らす神戸。その股座から、暖かな液体が滲み出た。


「き、貴様、な、なぜこんな……なぜこんな事を……」


「阿呆が……まだ分からぬか」


「は、はぁ?」


「察しの悪い奴だ……これは御頭領からの命だ。貴様を討ち取り、妖獣魔笛は我らが手にする。本来なら笛を手に入れた後で貴様を始末する算段だったが、予定が多少狂った。まぁ、どのみち貴様は、死ぬ運命にあるということだな」


 神戸が、大きく息を吸った。肋骨の内側で、心臓が暴れまくっていた。頭を鈍器で殴られたような衝撃があった。


「は、初めから、そ、それが狙いだったのか!? 私に協力する振りをして、本当の狙いは笛だったと言うのか!」


 真実を暴かれたことによる怒りよりも、驚きの色合いが強かった。その慌てぶりに思わず、残虐非道な蓬莱も、くすりと小さく笑いを零した。


「やはり貴様は小物も小物……笛を手にするには値しない男よ」


「ふ、ふざけるな! あれは、あれは私が最初に目をつけて……」


「そんな童の理屈が……通じるか」


 もはやこれ以上の会話は不要とばかりに、蓬莱が背負っていた長大な野太刀を振り抜いた。馬上からでも十分に神戸との間合いを詰めるその刀身が、月の光を浴びてぎらりと輝く。


「あ、あ、あ……」


 神戸は士でありながら、狂人めいたうわ言を漏らすことしかできなかった。せめて一矢報いようと、腰の太刀を抜くこともなかった。野心を抱えて君主を討ち、天下覇道の夢をひた走るはずであった神戸帯刀とは、この程度の胆力の持ち主だったのか?


 否、そうではなかった。神戸が悪とするなら、蓬莱の悪のほうが、より強大で深かっただけの話だ。その身に抱える覚悟も、生き様も、あらゆる面で蓬莱の方が、慚魔衆の精鋭たる忍の方が、より深く、より鋭かった。まさに、悪を巨悪が呑み込む構図だった。


「さらばだ……神戸何某とやら。貴様の名も、我が墓標に刻んでやろう」


「まっ――!」


 蓬莱が一息に野太刀を振り払った。


 血が噴き出て、神戸の首が出来の悪いからくり人形のように、林の向こうにすっ飛んだ。


「(さて……肉蝮の奴は上手い事やってくれているかな。いや、あのおっちょこちょいの事だ。もしやすると下手を打っている可能性もあるな。だとすると、そろそろ投入してやっても良いだろう)」


 蓬莱は血に濡れた右指を口に当て、切り裂くような呼び笛を鳴らした。淵の方角で黒い群雲が渦を巻き、巨大な何かが姿を見せる気配を感知すると、


「(とりあえず……俺は一足先に祠へ向かおうとするか)」


 蓬莱は駆けた。その姿はあっという間に闇夜に消え、後には首なしの骸と、主に捨てられた馬だけが、寂しそうに佇んでいるだけだった。

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