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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第三章 魔招雷
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第二十話 憎悪爆裂

 気づけば、声にならない雄叫びを上げていた。


 全身の血管が千切れるのではないかと思うほどに力を込め、電七郎は怒りのままに眼前の敵へ――憎むべき竜羅河蓬莱へ、刃を振り上げて突進した。


 お千の亡骸を弄んだ張本人が、今、目の前にいる。


 そう自覚すればするほど、この竜羅河蓬莱なる悪鬼を、惨たらしく殺さなければならないというどす黒い使命感が、煮えたぎる溶岩の如く、沸々と湧き上がってきた。


 徹底的に攻めた。連撃に次ぐ連撃であった。円弧を描きながら風を切り、唸りを上げる刃。そこに不意を衝いて混じる、鮮やかにして怒涛の体術。先ほどまで布団で横になっていた者とは思えぬ、華麗にして流れる動きだった。それもこれも、駆動力たる、言語化しがたいほどの怒りの感情の成せる業だ。


 電七郎の猛攻は止まない。演武でも繰り広げるかのように、右手首を翻して刃を振るい続け、かと思うと体を宙に浮かせ、斧を振り下ろすように鋭く足蹴りを見舞う。 


 それなのに、どうしたことか掠りもしない。


 精妙の見切り。


 重心を素早く移動させながら、蓬莱は身を刻まんと迫る攻撃の数々を全て躱していた。腕に覚えある並の士ならばいざ知らず、発狂寸前まで自身を追い込むほどの厳しい修練を積んだ忍の体術・剣術を、こうも軽々とあしらうとは。あり得ぬことであった。魔人の中の魔人だ。流石に、慚魔三轟忍の筆頭を名乗るだけのことはある。


「心を病んだ獣ほど気性は荒く……だがしかし、仕留めるは容易い」


 命を奪い合うやり取りの最中だというのに、口元には薄っすらと笑みさえ浮かばせている。しかし、そんな余裕を感じさせる表情も、半ば狂乱の渦に呑まれた電七郎の瞳には映らない。


 激情のままに刃を振り上げ、右足を踏み込む電七郎。


 敵の制空圏域に入った事を、感覚的に悟る。


 好機。


 振るう。両腕を。


 力任せに刃を。袈裟懸けに。


 決死の想い。込める。斬閃。


 だが、数多の死線を潜り抜けてきた蓬莱の身には、届かず。


 神速で振り下ろされる刃の動きに合わせるかのように、抜群の瞬間を狙いすまして、蓬莱が自身の象徴たる長い両腕を、がら空きになった電七郎の胸部目掛けて振るった。


 重石を勢いよくぶつけられたような感覚が、胸元を抉る様にして到来した。肋骨と肺が悲鳴を上げ、口から僅かな鮮血と、声にならない声が漏れる。衝撃で体がよろけるも、何とかたたらを踏んで、これを耐える。


 避けられなかったのも、無理はなかった。蓬莱の腕が、信じられぬほどの奇妙な軌道を描いて襲い掛かってきたからだ。人間の拳なら、直線軌道以外の動きは不可能。そんな思い込みが、逆手に取られた。拳は電七郎の視覚の外側から内側へ、鋭く抉るようにして爆来してきたのだ。


「感心なことだ……今の一撃で斃れぬとは」


 その挑発混じりの台詞を受け、電七郎の心の篝火が、いよいよ燃え滾った。血で濡れた唇を舌で拭い、勝ちを拾わんと、再び白刃を手に挑みかかる。


 猛禽の如く素早い身のこなしであっという間に距離を詰め、電七郎はまたもや打ち下ろした。逆袈裟切りに。


 驚くべきことに蓬莱は躱さなかった。逆に、右腕を盾のように構え、獣と化した男の斬撃を鋼の筋肉で受け止める。右手甲のしゃれこうべに亀裂が入るも、刃は弾かれ、血は滴らなかった。


「次は……本気だ」


 蓬莱が、またもや両腕を蛇のようにしならせた。


 風を切り裂く予測不能の破壊軌道。鋼の如き拳が超速で迫り、電七郎の鳩尾を正確に撃ち抜いた。先ほどとは比べ物にならない衝撃が、電七郎の全身に波及する。体中の骨が軋み、内臓が揺さぶられる激しい痛みと共に、電七郎は後方へ軽く吹き飛ばされ、地面に強かに後頭部を打ち付けた。


 蓬莱が浴びせる奇妙な打撃術。両腕を鞭のようにしならせ、意識と視界の外側から飛んでくる拳。常人には到底不可能な、摩訶不思議な拳法であるのは言うまでもない。


 では、忍としての訓練を積めば習得可能かと聞かれれば、そうでもなかった。


 蛇鞭拳(じゃべんけん)――竜羅河蓬莱自身の、生まれ持っての特性を生かした徒手空拳術。


 特性とは、すなわち病である。


 蓬莱は幼い頃から、多関節症と呼ばれる奇病に罹患していた。両腕と両足の関節が通常よりも数多く存在し、これによって、四肢を鞭のようにしならせることが出来る。


 そんな状態でよく体重を支えていられるものだと思うが、彼が人間らしく二足歩行を可能としているのは、偏執的ともとれる筋量増加訓練の賜物によるものだった。


 骨を包み支え込むだけの筋肉をつけることで、彼はようやく地に足をつけることが出来た。それだけでなく、鍛え上げられた筋肉により拳の威力が向上したことも、彼にしてみれば嬉しい誤算であったに違いない。


「ほう……これは」


 感心する素振りを見せる蓬莱を睨みつけ、電七郎が荒い息を吐きながら、尚も立ち上がった。未だその右手に握られしは、これまでの激しい戦闘を経て刃毀れを起こしつつある仕込み刀。そんな状況にあってもなお、彼の中から戦う意志が消えることはない。


 だがそれでも、肉体の方はどうか。体を蝕む高熱は依然として続いているのに加え、拳打を直に喰らったせいか、肋骨にはひびが入り、意識も半分混濁している。その証拠に、蓬莱を見据えるその夕焼け色の瞳も、どこか虚ろに見える。


 ただ、凝り固まった意志だけが、消え損なった焚火のようにしつこく燻りを上げている。


「骨が……あるな」


 その一言を置き去りにして、蓬莱が瞬きも許さぬ速度で間合いを詰めてきた。対する電七郎も、条件反射的に仕込み刀を逆手に構え、迎え撃つ。


 蓬莱の拳が、三度唸る。翼の生えた蛇のように、牙を向けて飛来する。電七郎は意識を研ぎ澄ませ、なんとか軌道を読み切った。迫る凶拳の連撃を紙一重でやり過ごしながらも踏み込み、渾身の斬撃を浴びせる。


 蓬莱が、血に飢えた切っ先を躱した。見事な上体逸らしだ。彼は続いて両足に力を込め、軽やかに高い跳躍を決めた。


 暗夜を背にして電七郎の背後へ飛びながら、多関節症に犯された結果、強烈な武器と化した己の右足を鞭のように振るう蓬莱。


 電七郎は咄嗟に頭上を見上げ、仕込み刀を上段に構えてこれを防ごうとした。だが、しなった足は途中であらぬ方向へと軌道を変え、針の穴を通す様に緻密に且つ正確に、電七郎の顎を斜め上から痛打した。


 尋常ならざる痛みと衝撃。掻き混ぜられる脳。思わず意識が飛びそうになるも、気力だけで耐え忍ぶ。しかしながら、瘦せ我慢の領域だ。戦闘の支配権は、蓬莱に移ったと言ってよかった。


 宙で一回転しながら、静かに背後に着地した蓬莱の気配を、感知。痛みに悶える間もなく反射的に、握る刃を横殴りに振るう。


 しかし、白刃は空しく虚を切り裂くに終わった。代わりに、電七郎の眼前には、暗闇を射抜くようにして蓬莱の鉄板仕込みの足底が、信じがたい速度で迫ってきていた。


 文字通りの神がかった蹴り。刀で受け止める暇も、身を捻って避ける暇もなかった。電七郎の顔面に蓬莱の足底が遠慮なくめり込み、力強く蹴り抜いた。誰が見ても容赦のない一撃だった。常人が喰らえば間違いなく首の骨が吹き飛ぶほどの、爆裂に満ちた力技だ。


 吹き飛ばされる電七郎。家屋が倒壊してできた瓦礫の山に頭から激突。木片と砂塵が舞い上がり、力の抜けた右手から仕込み刀が滑り落ちた。激しい痛みと痺れが全身を食い荒らし、手足の末端にまで伝わった。もはや立ち上がることもできなかった。


 強い――忍としては勿論、戦場を蹂躙する一人の戦士として、この男は強い。


 肉蝮現生も、葵光闇も、忍としての実力は想像以上に驚異的であった。しかしそれらはあくまで、彼らの扱う忍法そのものの奇想天外さに由来するものだ。


 竜羅河蓬莱は他の二人とはまるきり違う。根本的な部分での戦闘力が桁外れに高い。その拳にも、蹴りにも、狙った獲物が肉塊に果てるまで叩き潰す、蛇のような執拗さがあった。血を嗅ぎ分け、人体を破壊する能力に長けていると言っても良かった。


 事実、拳打の二発と足蹴の二発。合計たったの四撃だけで地に臥せってしまっている電七郎自身が、身を以て敵の化け物じみた強さを証明してしまっていた。


 それでも――


 否、それだからこそ――


 体の節々を嬲る痛みを堪え、電七郎は瓦礫の山を背に、何とか立ち上がろうと両足に力を込めた。だが、そうはさせぬとばかりに、蓬莱の左腕が勢いよく伸長して喉元に食い込んできたかと思いきや、電七郎の鍛え上げられた肉体を、軽々と持ち上げてみせた。


 一切の遠慮のない、片手のみでの万力の首絞めが襲う。息が詰まり、瞳孔が震える。ひたひたと迫る死を予感しながらも、電七郎は咄嗟に印を結ぼうとしたが、動きを封じるように、今度は蓬莱の右腕が伸び、電七郎の右手首を素早く掴み取った。


 瞬間、こちらの感情が容易く読み取られ、思考の網を掻い潜られているかのような恐怖感が沸き起こり、電七郎の心に激しい動揺が起こった。己がどのような行動に出るか、全てが筒抜けになっているかのような圧倒的な制圧力を見せつけられてしまっては、どんな手を打っても無駄なように思えてしまった。


 奇妙な程に伸びきった蓬莱の右腕。首を絞める手に、増々の力が入る。血に濡れた電七郎の顔が、徐々に更なる赤味を帯びていく。対して、蓬莱はその整った顔立ちに似つかわしくないほどの、恍惚混じりの外道な笑みを浮かべていた。


 力の差は、歴然としている。


「一つ教えてやろう……〈屍獣開闢〉の力で蘇った死者のうち、女に限って言えば、常日頃からその身に我が力を浴びせ続けなければならないという誓約があってだな。これが存外大変なのだ」


 途轍もない息苦しさ故に遠のく意識の中、幻聴のように蓬莱の声が耳元で木霊する。一体何の話をしようとしているのか。じたばたと足を動かし、もがく電七郎だったが、


「つまり……貴様の妻は、四六時中、俺の命の精をその身に受け続けていたということだ」


 蓬莱の全身から、濃密な獣臭が漏れた。


「貴様の妻……お千と言ったか。あれは、中々の名器だったぞ」


 衝撃の告白を、平然と口にした蓬莱。暗い小部屋で繰り広げられた、淫靡にして醜悪な行為を思い出したのか。その唇が吊り上がり、歪な哄笑が紅蓮に燃ゆる宿場街に轟いた。


 電七郎は一瞬、理解が及ばぬかのように呆けた顔になったが、やがて、その傷だらけの頬に、一筋の滴の痕が刻まれた。心が流した涙であった。


 なんと外道!


 なんと残酷無比な所業か!


 死者の魂を弄ぶばかりでなく、その肉体まで自身の欲しいままに蹂躙するとは。畜生にも劣る、下劣極まる悪行であるのは言うに及ばず。


 だが、仮にそんな罵声を蓬莱に向かって浴びせたとしても、蓬莱の黒に染まりきった心の柱を、崩せるはずなどなかった。弱き者を虐げ、暴力を振るう事に快楽を見出す罪人に、自身の罪の重さを如何様にして分からせるというのか。


 蓬莱は嗤い続けながらも、その邪悪に満ちた瞳はしっかりと、電七郎の濡れた瞳を射抜いていた。どうだ、悔しいか――そう目で訴えかけていると、電七郎がはっきりと意識した時だった。


 蓬莱の嗤いが途絶え、言葉にならない絶叫があたりに響き渡った。


 直後、地面に何らかの肉塊が、ぽとりと落ちた。


 肉塊の正体は、指だった。


 電七郎が、首を絞める蓬莱の右手の人差し指を、思い切り食い千切ったのだ。


 理性の欠片もない、まさに獣じみたその反撃は、思考により導き出されたものではない。蓬莱の非情極まる告白を着火点として、爆発的に膨れ上がった衝動が、自然とそんな行動を起こさせていた。


 予想外の痛みに、さしもの蓬莱も思わず首を絞める力を緩めた。その隙を、飛びかけた意識の中にありながら、電七郎は逃さなかった。


 腰に力を入れ、自身の両足を持ち上げて回転させ、右手を掴み続けていた蓬莱の左腕に蹴りを放つ。骨を折る感覚があった。痛みに苛まれ、蓬莱が左手を放す。


 ようやく、電七郎は自由の身になった。


 もはや、解き放たれた獣も同然であった。


――殺す、


――殺すっ!


「竜羅河蓬莱……貴様は、俺がこの手で……っ!」


――殺してやるっ!


 地面に着地し、血で濡れた歯を覗かせ、渾身の叫びをあげて突進。風、否、もはや滑空する鳥獣か。その手に刀はなかったが、しかし確かに武器はある。


 牙だ。


 今しがた指を食い千切った、この歯だ。


 この歯で、俺の歯で、妻に惨い仕打ちを与えたあの外道者の喉笛を、食い千切ってやるっ!


 稲妻の如く地を駆け、翔け、飛び、いざ目標は蓬莱の喉元へ――


 そうしてまさに、蓬莱の喉元へ犬歯を突き立てんと迫ったところだった。


 視界の端。蓬莱の肩越しに光る何か。


 嫌でも目につく。闇の中にありながらも、黒く輝く歪な光源が。


――雷撃。


 視認した時には、既に遅かった。


 第三者の介入により、折角生じた反転攻勢の芽は、あっけなく摘まれた。


 黒き雷撃が電七郎の額を穿ち、それは瞬く間に全身に広がった。


「あぐっ!」


 思わず漏れる呻き声。腰から下が砕けたように力が抜けていき、獰猛な心の昂ぶりはそのままに、力なくその場に倒れ伏す電七郎。呼吸もままならないのか、気が触れたように体を震わせながら、先ほどの光景を脳裏に描いていた。


 あれは稲妻――正真正銘、稲妻の一撃。


 ぞわりと、背筋に耐え難い悪寒が走った。


「ようやく大人しくなったか」


 地獄の窯が開けられたかのように、耳に轟くは集団の足音。


 そこにはっきりと存在するは、忘れたくとも忘れられぬ、特徴的な一つの声。


 魔獄の底から放たれたかのような、重く、不気味に満ちた声色。


――まさか


 足音が徐々に大きくなり、人影が蓬莱の横に並んだ。


 濃密にして有無を言わさぬ凄まじいまでの陰の気が、場を犯す感覚があった。


 震える体に無理やりにでも力を入れ、電七郎はなんとかして頭をもたげた。


 その瞳が、ついに捉える。


 視線の先にいたのは――


 赤々と燃ゆる宿場町と、無数の慚魔忍を背にして立つ。


 稲妻の、忍法術の使い手。


「黒嶺……餓悶……!」


 絞り出す。仇敵の名を。


 五年もの間、頭の中で、想像の中で殺し続けた悪の名を。

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