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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第三章 魔招雷
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第十九話 龍魚降臨

 部屋の天井部が破られ、障子が蹴破られ、硝子窓が割れ、赤黒い仮面の一団が部屋に雪崩れ込んできた。すかさず軒猿が立ち上がり、応戦。懐に仕舞い込んでいた針状の暗器を手に、躍りかかる慚魔の忍を討ち取っていく。


 電七郎も病む体を押して枕元に置かれた仕込み刀を手に立ち上がり、横から飛び掛かってくる忍を一人、渾身の力で斬り伏せる。続けて、頭上から砲弾の如く飛んできた敵に向かって、拳を突き上げた。衝撃で敵が吹っ飛び、行灯に激突した。暗転する室内。彩姫の小さな悲鳴。


「軒猿! 姫を連れて外へ!」


 姫護衛の任を唐突に任されて、何事かを叫ぶ軒猿。それを背に受けながらも耳をかさず、電七郎は文机を蹴り倒し、割れた硝子窓から外を見やった。


 驚愕に息を呑んだ。


 闇夜を犯すかのように、街のあちこちで立ち昇る緋色と黒煙の牙。


 火事の発生を知らせる鐘の音が、肚に響く。


 沸き起こる怒号。混乱の渦に呑まれた宿場街。


 電七郎の夕焼け色の瞳が、激情に染まった。


 ――五年前の、あの日と同じ。


 燃ゆる安津地の城下町の幻影が、脳裏に蘇った。


 たまらず、電七郎は割れた硝子窓から外へ飛び出していた。熱に体が蝕まれていようと、関係なかった。膂力を最大限に発揮。背を低く屈め、裸足で瓦屋根を翔け飛び続ける。


 だがしかし、敵もやり手だ。闇夜に乗じて、慚魔の忍があちらこちらの家屋の陰から、飛ぶようにして強襲を仕掛けてきた。その手に握られしは、命を刈り取る忍具の数々。


 なぜ、宿場街に潜伏していることが敵方に伝わったのか――そんなことを考える余裕は、今の電七郎にはなかった。今率先してやるべきことは、思考ではなく行動だった。


 すなわち、敵の一掃。


 翔けながら全身に力を込めれば、電七郎の身を紫電が纏い、火花を散らして、宙より襲い来る忍を自動で撃ち抜いていった。初めから習得していた忍法ではない。印を結んではいるが、それはほぼ衝動的な心の動きにより生じた印契であった。


 彼の中に渦巻く怒りが、新たな忍法を生み出していた。我欲に徹した、怨みの忍法であった。徹底的な憎しみの果てに、己の心の中の五行思想を捻じ曲げ、無意識のうちに獲得してしまった、何もかもを蝕む力だった。


 貴様らは全てを奪った。俺が大切にしていた、あらゆるものを。


 だったら、俺も全てを奪うだけだ。


 貴様らの、全てを。


 紫に輝く電磁の触手が、慚魔衆の肉を裂き、内臓を抉り、焼き焦がす。肉体のみならず、魂までも焦熱させるかと見まがうほどの激しい雷撃。辛うじて電磁の嵐を搔い潜って迫ってきた敵すらも、速攻の斬撃で叩き落とす。断末魔の絶叫が、心地よく電七郎の鼓膜を叩いた。


 一通りの敵を屠ったところで、瓦屋根から移動。転がるようにして地面へ降り立つ電七郎。隙を逃さんと、得物を手にして家屋の陰から飛び出す慚魔の忍達。あっという間に包囲される。しかしながら、一人対多数という数的不利も、今の電七郎には関係ない。そんな状況に怯むはずもない。


 よろける体を気力だけで支え、精神を削りながら、電七郎は飽くことなく残虐的なる戦闘行為に没頭していった。襲い掛かる敵の攻撃を躱し、凄まじい反撃に出る。敵の首を素手で捩じ切り、肉体が炭化するまで電撃を浴びせ、刀で滅茶苦茶に相手の腸を搔っ捌いていく。


 その度に途方もない返り血を浴びた。不思議と、気分が良かった。刀越しに肉を斬る感覚が手に伝われば伝わるほど、彩姫を守るという使命が消えていく感覚があった。恐ろしいことに、それで良いのだと甘言を囁く獣がいた。


 電七郎は、内なる獣の声に耳を傾けた。


 暗き憎しみを込めて雷撃を飛ばし、猛々しく吠える。一切の光が失われた、地の獄で目覚めた魔獣のように、ありったけの声を出す。その只ならぬ気迫に気圧され、何人かの忍が背を向けて逃げ出した。だが、電七郎はそれらの敗走に転じた敵すらも、一人残らず斬り倒し、背中に刃を深々と突き刺していく。


 一方的な虐殺行為にふけっている最中、不意に、足元の視界が暗闇よりもずっと濃い闇に包まれた。はっとして顔を上げる。だが、周囲には影の主と思しき者は、誰もいない。更に頭上を見上げるようにした。


「あれは……!」


 思わず、目を見張る。


 墨汁めいた群雲を背に、天空を悠然と浮遊する、一匹の巨大な魚がいた。


 魚の体色は、気色悪いほどに明るい青色一色。尾びれは鞭を何倍もの長さにしたように長く、螺旋の弧を描いて夜風を掻き混ぜていた。胴部は平べったく、翼のように広げられた二対の胸ひれがゆったりと上下に動いている様が、たいそう不気味で恐ろしい。


 一言でいえば、奇怪な生命体。胸元に刀傷の如く刻まれた六つのエラの存在に気が付かなければ、魚とは分からないほどに歪な怪物であった。妖獣とも異なる気を放つその異形。まずもって、自然に発生した生物とは考えにくい。


 ほどなくして、怪魚の体表面のあちこちが内側からめくれ上がり、瘤のような形をした肉の塊が幾つも露出した。


 電七郎は、この時初めて恐怖した。


 忍特有の夜目で、それをはっきりと目にしてしまったからだ。


 露出した肉の塊には、目があったのだ。それも確かに、人間の目が。


 いや、目だけではない。よく見れば髪もある。鼻もある。口もある。瘤のような肉塊には、間違いなく人の顔が浮かび上がっていた。そしてどの顔も蝋面のように白く、生気をまるで感じないではないか。


 死人の顔を飼う怪魚。


 電七郎は、そのおぞましき怪魚の瘤から、目が離せなかった。瘤に浮かぶどの顔からも、血の気が完全に消え失せている。にも関わらず、怪魚に飼われた死人たちは、懸命に口を動かし、苦悶に喘いでいた。


 風の音に死人らの哀哭が混じり、電七郎の鼓膜を強く叩いた。どうか、この肉の牢獄から出して欲しい――そんな訴えに聞こえた。


 錯覚ではない。確かに彼らは、死にながら生かされてしまっている。生命をこの上なく冒涜した怪魚。許せぬ存在だと意識する。電七郎の心の炉に、怒りの薪がくべられていく。


 まさに、その瞬間。


 死人達の顔が、変化を見せた。顎が裂けるのではないかと思うほど、口を大きく開いたのだ。神経の死んだ乱杭歯が露わになり、青白く覗く舌の奥。暗黒の如き口腔部を中心に、どこからともなく白い光の粒子が収束していく。


「まさか――」


 途轍もなく嫌な予感が、電七郎の全身を駆け抜けた。すぐさま宙を漂う怪魚に向かって〈雷嵐奇天〉を命中させんと印を結ぶが、時既に遅し。間に合わない。


 凄まじい爆音と共に、死人達の口から太い白熱線が幾条も放たれた。白に輝く熱線が辻を飲み込み、宿場街の家という家、人という人を焼き尽くしていく。立つのもままならないほどの激しい衝撃を受け、家屋の瓦は全てが割れて吹き飛び、そのあおりを電七郎も喰らった。


 電七郎は爆風に吹き飛ばされる寸前、地面に勢いよく仕込み刀の切っ先を突き立て、全体重をそこに預けた。それでも、完全に勢いを相殺することは出来なかった。荒れ狂う風を受けて足が地面を削り、体が徐々に後退していく。

 

 瞼を力強く閉じ、更に体重を杖に預け、電七郎は敵の攻撃が止むのを待った。暴風に巻かれて、馬具や大量の瓦、桶や幟や角材が吹き飛ばされ、電七郎のすぐ傍を掠めていく。


 暫くして、風の勢いが急速に衰えた。


 電七郎は、恐る恐る目を開けた。


「……!」


 絶句した。眼前に広がる惨状。それは、まさにこの世の地獄絵図。


 宿場街の半分程度が焦土と化したかと思うほど、黒き煙と莫大な熱痕があちらこちらで生まれていた。加えて、それまで視界にあった筈の家屋という家屋が、跡形もなく消し飛んでいる。


 そして何より、電七郎の心を最も鋭く貫いた光景。逃げる間もなく、白熱の光線に呑まれた住人達が、折り重なるように死に倒れている。無残なことに、彼らの顔や手が、火に炙られた蝋燭のように溶けて固まり、酷い悪臭を放っていた。


「何時嗅いでも思うが……なんとも(かぐわ)しい香りだ。たまらぬな、人肉の焼ける匂いは」


 背後で、この世ならぬ感想を口ずさむ声がした。


 電七郎が、驚きと共に振り返る。


「しかし最もたまらぬのは……我が芸術的忍法の一撃をその身に受けてもなお、立ち続ける猛者と邂逅した時に抱く喜びよ」


 愉悦の声を漏らすその男は、野性味溢れる印象を電七郎に与えた。濡羽色の忍装束から覗く肌は浅黒く、両手の甲に装着された、白いしゃれこうべの手甲が良く映える。


 男の顔つきは精悍そのもので、髪は鼠色の短髪。他の忍とは異なり、忍風布は身に着けていなかった。背負っているのも忍刀ではなく、獣狩りに使われる武骨な野太刀という具合だ。


 驚愕すべきは、男の体躯だった。服越しでもわかるほどの筋肉量もさることながら、電七郎がこれまで出会ってきたどの人物よりも、その男は大きく、高かった。


 両足の付け根が、電七郎の胸元ほどの位置まであった。だらりと垂れ下がった両腕は、地面に指先が届くかと思うほどの長さ。まるで、古の伝承に名を連ねる、巨人そのもの。


 その異様な体型に混沌とした気を内包し、嘲る様に笑う男の姿を前にして、電七郎は本能的に地面から仕込み刀を引き抜き、構えて問いかける。


「あの奇妙な魚は、貴様が生み出したものか?」


「その通り……愉しんで頂けたかな。外道忍法〈屍獣開闢(しじゅうかいびゃく)〉を駆使し、幾多の屍を寄り合わせて創造した〈龍魚〉の力は。中々に見物であったろう?」


 男の唇が吊り上がり、口元から邪悪な吐息が零れる。その酷薄極まる態度に肚が熱くなるのを感じつつも、ある一つの単語が、電七郎の脳裏に張り付いた。


「屍を寄り合わせた、だと?」


 思わず、聞き返してしまう。


「我が外道忍法は……神の領域に迫る妙技だ。死者の肉体を繋ぎ合わせ、ああいった怪物を生み出すはおろか、死者そのものを生き返らせることもできる。無論、偽りの心を与えて操り人形に仕立て上げることもなぁ」


「もしや、貴様は」


 驚愕に身を固くする電七郎を前に、男が傲然と名乗りを上げた。


「慚魔三轟忍が筆頭……竜羅河蓬莱(たつらがわほうらい)。稲妻の忍法使いよ、聞け。貴様の妻の魂を黄泉より呼び戻し、葵光闇として復活させたるは、何を隠そう、この俺よ」

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