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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第三章 魔招雷
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第十六話 軒猿

 遠くに望む山岳の谷間に茜色の夕日が差し掛かってもなお、宿場街は多くの往来客で賑わいと活気を見せていた。今は戦国時代の真っ只中であるというのに、そういったことを微塵も感じさせないくらい、明るく飛び交う人々の声。長く続く戦乱の世だからこそ、こうした民草にとっての安息の地が必要とされていた。


 城の外へ出たことなど、ほとんどなかったせいだろうか。宿場街を組み上げているあらゆる物が、新鮮さを伴って彩姫の目に映り込む。まるで、異国の地に来たかと思うほどの人の賑わい。晴れた光景。


 街道沿いには、無尽蔵に溢れ続ける水場がいくつも設置されていて、力仕事に勤しむ男達の活力を支えている。商人に従順として付き従うは、さばききれるのかと目を疑うほどの量の荷物を積んだ、毛並みの良い在来馬。


 茶屋の軒先に目をやれば、茶と団子を口にして、長旅の疲れを癒す旅人がいる。大通りには仰々しい屋号を冠した商店や雑貨屋が並び立ち、その裏手には宿場街の差配(さはい)を務める商工組合の寄合や、彼らの家族が暮らす長屋が配置されていた。


 宿場街への入り口は、東西南北あわせて四つある。また、近隣に君臨している領国大名の統治下にも入っていない。商工組合に属する差配らの下で、街は完全な自治地域として成立しているのだ。それゆえ城門こそ存在しないが、代わりに、屈強な門番らが入り口の付近を固め、常に周囲を警戒していた。


 葵光闇――蘇らせられ、操られていた電七郎の妻――を悲闘の末に打ち斃した電七郎一行は、北の入り口から宿場街に入った。娘子(むすめご)一人と、男が一人。決して良い身なりとは言えない服装をした二人の素性を疑うこともなく、門番は決まりきった手続きだけを済ませ、二人を通した。


 幻術世界から抜け出した後、電七郎は一言も口にせず、黙して彩姫の前を歩き続けた。それはこの街に足を踏み入れ、一夜の安息を得るために旅籠屋を探している最中も変わらなかった。


 人波に揉まれながら懐に隠した妖獣魔笛を気にしつつ、離ればなれになるまいと、彩姫は眼だけで必死に電七郎の背中を追い、転びそうになりながらも足を動かした。


 幻術の世界で慚魔三轟忍の一角たる葵光闇を討ち取った――ここに至る道中、彩姫と栗介は電七郎から、それだけを伝えられた。


 だが、それだけではないのだろうということは、彩姫も栗介も、おぼろげながら感じ取っていた。


 電七郎は、明らかに何かを隠している。一体、自分達が幻術に囚われている間、彼の身に何があったのか。術から解放された直後に目にした彼の姿が、脳裏にまざまざと蘇る。


 なぜ、電七郎様は、あんなにも凄まじい哀しみに満ちた声で哭いていらしたのか。


 その理由を聞く勇気など、当然姫にはない。栗助も姫の懐中に潜り込んだまま、だんまりを決め込むしかなかった。


 ただ一つ、確かな事がある。


 電七郎がこれまでとは全く異なる、どこか禍々しい気を纏っているということだ。迂闊に触れただけで暴発しかねない、着火寸前の火薬庫のような危うさの塊と化していた。


 慚魔衆の悪虐の限りを尽くした横暴に怒りこそすれ、あくまで目的は姫を中杉家へ送り届けるという使命の炎が、確かに彼の中にはあった。葵光闇と闘うまでは。


 それが、今はどうだろう。果たして、清廉とした輝きの炎は、彼の中でまだ生きているのか。或いは、彼の心の中に潜む獣に、全て喰らい尽された後なのか。


 燻る思いを抱えたまま、ようやく人波を抜け、開けた十字路に出た時だった。


 後ろから、誰かが近づいてくる気配がした。彩姫にもはっきりと分かる足音。慚魔衆か。一瞬そう思ったが、しかしこんなあからさまに距離を詰めてくるものだろうか。


「もし、そこの御仁!」


 荒い呼吸混じりの声。彩姫と電七郎が、ほとんど同時に後ろを振り返った。


 年の頃十八と思しき若い男が、こちらに向かって走ってくる。草履は土埃で汚れてはいたが、飴色の袴に青緑色の小袖、鼠色の帯という服装は、どこかの店の手伝人を思わせる。男の頬には深い刀傷があったが、きっちりと丁寧に(まげ)を結っているのと、童顔のせいか。強面とはかなりかけ離れた顔つきをしていた。


「もしや、貴方様は電七郎様ではござりませぬかっ!? そうでございましょうっ!?」


 男は彩姫には目もくれず、電七郎の前で急に止まると、懐かしさと嬉しさを混ぜ合わせたような顔で、絞り出すようにそう口にした。


「お主は……まさか、軒猿(のきざる)……!?」


 記憶の海から引き摺り出した懐かしき名前を口にする電七郎の顔が、驚愕に彩られた。


 電七郎の言葉を受けて、男は口を真一文字に結び、何度も何度も首を縦に振った。


「た、確かなのかっ!? 確かに軒猿かっ!?」


「はい。正真正銘、〈陣風錬(じんぷうれん)〉の軒猿(のきざる)でございまする!」


「おお……!」


 電七郎の瞳に、図らずとも感動が満ちる。


 しかし一歩足を踏み出したところで、彼の心に、猛々しい黒き炎が思い出したかのように吹き荒れた。


「……いや! 違うっ!」


 吠えるようにして叫ぶ。踏み出した足を再び戻し、腰に差した仕込み刀に手を掛けた。先ほどまで明るい色に満ちていた瞳が一転し、疑念と憎悪の色に支配されつつあった。


「あの日、〈(よく)〉の者らは全て、慚魔の忍に殺されたはずだ! 生きているわけがない!」


「で、電七郎様?」


「俺は知っておるぞ……残念だ、軒猿。お主もまた屍を弄ばれ、偽りの命を与えられたのだな。慚魔三轟忍の、竜羅河蓬莱の手にかかってしまったのだな!?」


「電七郎様、いったい何を……」


「しらばっくれるなっ!」


 激情のままに刀を抜こうとする電七郎。だが、出来なかった。軒猿と呼ばれた男が、彩姫の目にも映らぬほどの速さで電七郎に接近し、左手と右手の掌を重ね合わせ、彼の利き手を押さえつけたからだ。


 素人目にも明らかな、素早い動きと的確な判断力の為せる技。少なくとも、武芸の一つも知らぬ者にできる動作ではない。


「何をするかっ!?」


「おやめくだされ電七郎様っ!」


 人込みで賑わう大通りをちらりと盗み見つつ、軒猿は声を押し殺して忠告する。


「ここは宿場街でございます。大通りで無暗に刀を抜いたり忍法を使ったりなどすれば、街を仕切る差配共の耳に入ります。そうなれば、重罪は必須。どのように言い繕おうとも、必ずや牢に投げ込まれてしまいまするぞ!」


「電七郎様、そこのお方の言葉、私には嘘偽りを申しているようには思えませぬ」


 一部始終を見守っていた彩姫が、たまらず軒猿の擁護に回った。


「もしその者が慚魔の手の者ならば、我々に簡単に気づかれるような足取りで近づきますでしょうか」


「それは……」


「思い出してくだされ。奴らの狙いは私の身と妖獣魔笛のはず。ならば、わざわざあなた様に話しかけたりなどせず、さっさと私を攫うはずでございましょう」


 それまで守られる側に立ち、己の意見を極力封じ込めていた彩姫の理路整然とした言葉を前に、さしもの電七郎も黙りこくった。


 電七郎は姫の瞳を見つめ、次いで軒猿の目を見下ろし、長い逡巡の果てにようやく刀を握る手の力を緩めた。急激に張り詰められた緊張の糸が、見えざる手で緩やかに解かれていくかのようだった。


 それでも、まだ疑念を拭い去ったわけではない。


「……蘇った訳ではないと、あくまでそう申すか」


「電七郎様。申し訳ございませぬが、その、蘇るとはどういう……本当に申し訳ございませぬが、私には皆目見当もつかず……ああ、それでも一つ、はっきり致しましたぞ」


 軒猿は電七郎の瞳から敵意の気配が薄れたのを感じ取ると、手を放し、それまで眼中の外にあったはずの彩姫へ、真摯な態度で口にした。


「つかぬことを伺いますが、貴方様は藤尾竹虎殿が遺児、彩姫様では?」


「な、なぜ私のことをご存じなのですか?」


「やはり……情報は本当であったのか……」


 姫の問いかけには答えず、軒猿は顎に手を当てて地面を睨みつけ、ぶつぶつと何事かを呟き始めたが、突然、思い出したように顔を上げた。


「電七郎様、それに彩姫様。ここまでの道中、さぞかし大変でございましたでしょう。その辛苦、察するに余りありまする。今宵はどうか、私が番頭を務めております旅籠にお寄りください。熱い風呂をご用意させて頂きます」


 しかしその前にと、軒猿は念を押すかのように付け加えた。


「お二人に是非とも、会わせたい者らがおるのです。その者達と、どうか会って頂きたいのでございます」


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