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妖獣忍法伝INAZUMA  作者: 浦切三語
第二章 愛切斬
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第十話 俺の名は

 その穴倉は、御伽岳の山麓を下り、河沿いを延々と歩いた先で寂し気に存在していた。穴倉の中は長大で奥行きがあった。人間が二人ほど入っても、まったく余裕があるほどには。


 岩窟に巣を造る習性で知られる妖獣・王武那爾(オオムナジ)。それが幼体から成体へ進化する過程で、打ち捨てられた巣であろう。そう指摘したのは、栗介であった。


 肉蝮現生を退けた森田一行は、敵の追手が迫っている事をひしひしと肌で感じていた。其の為、当初の予定を変更し、夜間のうちに一気に川を下ることにしたのだ。偶然にも発見した穴倉は、休憩するのにうってつけの場所であった。


 河岸から適当な流木を拾い集め、手際よく森田が火を焚く。森田、彩姫、栗介の三者は、煌々と穴倉を照らす火を囲み、冷たい岩肌に背中を預けるようにして、じっと座り込んだ。


 誰も、口を開こうとはしなかった。彩姫はずっと下を向いたまま、微動だにしない。栗介も尻尾をだらりと地面につけ、爆ぜる火の粉に視線を送り続けている。森田も適当に拾ってきた小枝を折り、焚火にくべる作業を繰り返しているだけだった。


 沈黙が続く。穴倉に響くのは、火の粉が爆ぜる音だけだ。


 だが誰一人として、この場を適当にやり過ごす気はなかった。心に立ち込める靄を、いつまでもそのままにはしておけない。晴らさなければならない。しかしながら、切っ掛けを掴むことが出来ないまま、無情にも時は流れていく。


「傷の具合はいかがですか?」


 唐突に口火を切ったのは彩姫だった。疲弊の残る顔を上げ、心配そうに森田の脇腹へ視線を送る。掠り傷だと森田は言っていたが、それが虚勢であることは姫にも分かった。森田の右脇腹周辺に広がる黒い染み。焚火の光に照らされて、如何に深手であるかが良く分かる。


「問題ない。この程度の傷、修練の際にはよく負ったものだ」


 少し後ろめたそうな表情で、森田が微笑んだ。彩姫はどんな表情をして良いか分からなくなり、再び押し黙った。


 修練、と森田は言った。何の修練か。聞くまでもなく彩姫は理解した。忍としての修練。奸計と謀略を学び、体術と忍法術を磨くための修練であると。どんな内容なのか想像することは敵わなかったが、問題はそこではなかった。


 この男もまた、忍なのだ。その事実が彩姫の胸中に重くのしかかった。逆臣に与して国を荒し回る忌まわしき慚魔衆と同じ、闇に生きる忍。だが、その忍に自分はこうして助けられている。しかも森田は身を呈してまで、自分を慚魔の牙から守ってくれたではないか。


 忍――森田と出会う以前までの姫にとって、それは恐怖と憎しみの対象でしかなかった。悪戯に戦場を掻き乱し、人心を攪乱する悪しき存在。そんな風に映っていた。


 今は、分からない。


 忍とは一体、何であるのか。


「申し訳なかった」


 枝を折る手を一旦止め、森田が謝辞を示した。焚火の揺らぎのように静かで、どこか精彩を欠いた声だった。彼がそんな科白を口にしたのが、彩姫には意外に思えた。


「どうして謝るのですか」


「騙っていたからな」


 脇に置いた小枝を拾い上げ、火の中へ投げ込む。


「電七郎。それが俺の、本当の名だ」


 焚火から上がる炎の勢いが、僅かに増した。


「そして、あの慚魔の忍が言っていた通り、白鳳忍軍の……生き残りでもある」


 絞り出すようにして、電七郎は自らの素性を白状した。


 電七郎。その言葉を、彩姫は心の中で何度も反芻した。電七郎。多勢を敵に回すことを覚悟しながらも、己を救ってくれた者の名前。決して忘れぬことの出来ぬ響き。


「武者修行をしに山へ入ったというのも、偽りであったということか」


 彩姫の隣、焚火を挟んで電七郎に向かい合う栗介が、おもむろに声を発した。身分を騙っていた事を責めるような口ぶりではなく、あくまで、純粋な疑問から出た言葉だった。


 電七郎は黙って首を縦に振り、肯定の意を示す。


「近巳国が奴らの手で落とされて以来、俺はずっと、慚魔衆の動向を探っていた。頭領の黒嶺餓悶と、奴が率いる魔人の集団を」


 自然と、小枝を折る手に力が入る。


「国を失ってから五年間……奴らをずっと探し続けていた。山から山へ、国から国へ歩き、その度に耳にした。赤黒い仮面を被る忍の一団が、戦場で屍の山を築き上げ、民草を殺し回り、家々を焼き払っているという話を。どれもこれも、慚魔衆の事を言っているのは分かった」


「そして、藤尾家の滅亡に慚魔衆が関わっているという話を聞いて、手掛かりを求めて御伽岳へ入ったのじゃな?」


「まぁ、そうなるな。流石に藤尾家の姫君が山に逃げているとは、思ってもいなかったが。兎に角俺としては、奴らの尻尾を掴めればそれでよかったのだ」


「成程、納得したわ。詰まるところ、お主は復讐の旅を続けている道中、図らずとも、慚魔の忍に追われている儂らと出会ったということか。何とも、奇妙な(えにし)よの」


「……ああ、全くだ」


 投げやりな動作で、短く折った小枝を焚火へ投げ込む電七郎。外から吹き込む風に煽られて弱まりかけていた炎が、再び息を吹き返した。揺らめいて燃える火を映して、電七郎の夕焼け色の瞳が赤味を増す。


 その赤き瞳の中に、彩姫は確かに感じ取った。電七郎が内に溜め込んでいる、黒き感情の片鱗を。肉蝮現生と対峙するときに見せた、徹底的に相手を叩き潰そうとする冷酷な気配を。


「奴らを、このままにはしておけぬ」


 遥か遠くの地で待っている何者かに誓うようにして、電七郎は言った。握り締めた小枝を力任せに折るその姿。あるのは、怒りの感情だけではない。その事に気が付いた時、彩姫は今更ながらある事実に思い至った。


 同じだ。


 電七郎様は、自分と同じだ。


 親しき者や、愛する者を奪われた哀しみ。無残にも土地を奪われ、帰るべき場所を無くした屈辱。閉ざされた道の扉を、死に物狂いでこじ開けようとする姿勢。


 士の家に生まれ、表の世界で生きてきた彩姫。対して電七郎は裏の世界、草葉の陰で生きてきた者。決して交わる筈のなかった人生が、こうして交差していることに、彩姫はむず痒い不思議さを覚える。


 だが、生まれや立場は違っても両者が胸に抱く念は等しく同じであった。違いは、その念をはっきりとした形で出せるかどうか。ただ、それだけだった。


「しかし、お主の忍法には舌を巻くばかりよ」


 栗介が、一際大きな声を出し、唐突にそんな事を言った。


「まさか人の身で、稲妻を操るとは思わなんだ。白鳳忍軍の勇名は儂や姫も聞いてはおったが、あれ程とはなぁ……一体どういう(ことわり)で、あのような事が出来るのだ?」


 栗介は努めて、驚きと明るさを表現するかのように尻尾を興奮気味に左右へ振って見せた。それが、この沈んだ空気を和ませる為の工夫であることは、電七郎も直ぐに気が付いた。


 やや間を置いて、電七郎は苦笑する。


「本来なら、余人に白鳳忍法の原理を話すのは固く禁じられているのだが……まぁ、お主らなら、話しても良いだろう」


 電七郎は袷の裾を翻し、両手の指を折り曲げ、それらを複雑に絡み合わせた。両手で象らし印契。それは一種類に留まらず、ゆっくりと見せつけるようにして、何種類も象って見せた。


 その中には、見ようによっては鳥が翼を広げているものや、十分咲の花を彷彿とさせるものもあった。これだけで、一つの芸として成り立つような、そんな奥深さと伝統が垣間見れた。


「白鳳の忍法とは、右の五指と左の五指を、それぞれ五行に見立てる事で成立する」


「五行とは、何でございましょう?」


 聞きなれぬ言葉に、彩姫が首を小さく傾げた。


「簡潔に言うならば、自然の摂理を支える、木火土金水の五つの要素を指す。そうだな。分かりやすく例えると――」


 電七郎は、手に持った小枝を見せつけるように手に取った。


「今の時節なら、新緑が木々を色づかせ、色とりどりの花が咲く。その次の時節になれば、陽が輝きを増し、火気を生じて暑さ激しい。その時節も終わると、今度は草木の葉が黄金色となり、田畑には黄金の稲穂が揺れる。それも過ぎると、水気で霜が立ち、雪が降り積もり、凍てつく時節が巡ってくる。そして、木火金水の四つの時節を常に支えているのが、俺達人が生まれ死んでいく、この大地そのもの。そのことを深く理解することから、全ては始まる」


「つまり五行とは、この国を巡る四季の事を指しているのですね」


「だが、それを理解したとして、果たしてああも凄まじい力が身につくものなのか?」


「無論、これはまだ序の口だ。大いなる自然が五行の下に生き、五行の下に巡る事を理解した上で、我々人もまた、五行の流れに沿って生きている事を、強く自覚せねばならぬ」


「人もまた、四季と同じであると、そう申されるのですか?」


「その通り。『木』は『気』に通じ、それは人の心を指す。火は体の熱、土は肉、金は骨、水は血を意味する。木火土金水……人もまた、見事なまでに、五行の申し子だ」


 彩姫は言葉を失い、代わりに感嘆の声を漏らした。電七郎の話は、これまで姫が聞いたことも無い世界についての話だったが、不思議と、どこか納得のいく話でもあった。


「人の中にも五行がある。それはつまり、人は一つの自然であるという事。自然の宿す力、五行の力を五指に移し替えて、意を含んだ形を取る。そうなれば、雲を呼び、雪を降らせ、風を吹かせ、稲妻を呼び、虹を架けることすら容易い。しかし、幾らこのことを頭で理解していても、術を発現することは叶わぬ。体に覚えさせることで、ようやく会得できるものなのだ」


「その為の修練、というわけじゃな」


「口にするのも憚られるほど、厳しいものだった」


 懐かしむように、電七郎が目を細めた。


「生傷が絶える日は無かった。余りにも酷な修練だったから、逃げだそうとする者もいた。中には、修練の最中に命を落とす者もいたな。辛く苦しい毎日だったが、それでも、俺にしてみれば遣り甲斐のある毎日だった」


「どうして……そこまでするのですか?」


 話を聞く限りでは、白鳳忍軍の修行は壮絶なる覚悟を持ちながら、発狂寸前に至るまで己を追い詰めるように思える。国の為とはいえ、幾ら何でもそこまでする必要があったのか。表の世界しか知らない姫にしてみれば、これは当然の疑問だった。


「決まっている」


 電七郎は目線を彩姫へ向け、やや強い口調で言った。


「鴎外守直様の為。八洲に平和をもたらす為……それに……」


「それに、なんじゃ?」


「いや……」


 明らかに電七郎は言葉を濁した。そして、話の路線を変えるためだろうか。「彩姫殿、妖獣殿」と言って居住まいを正し、焚火を挟んで彩姫と栗介に向かい合う。


「忍に国を奪われた貴殿らに、このような事を言うのは余りにも不躾であることは分かっている。だが、どうか聞いて欲しい。忍とは本来、平和の導き手になるべき存在だったのだ。守直様も、それを理由に白鳳忍軍をお創りなさった」


 奸計に謀略。それらは人心を乱し、確実な情報を取得する為の技である。されども、あくまでも手段に過ぎず、目的ではない。だが、慚魔衆は忍の本道から外れ、ただ悪戯に世を掻き乱している。それが、電七郎には許せなかった。


 忍が戦場に投入される以前の八洲の戦場は、実に混沌としていた。単純な兵力と兵力のぶつかり合いに終始しているままでは、下手に戦況が長引くばかり。敵にも味方にも甚大な被害が及び、流さなくとも良い血が流れた。何より、戦乱のしわ寄せが力無き民へくるのを、鴎外守直は良しとしなかった。


 そんな中、守直は身寄りの無い稚児を集めて訓練を施し、忍の一団を創り上げた。八洲における初の実践的忍法集団。その登場は画期的な試みであった。


 密命を帯びて敵陣へ侵入し、備蓄米や兵力の状態を見極め、守りの配置や陣地の構図、敵将の人望や、重臣間に生じている不和の有無を探り当てる。忍がもたらすこれらの情報は有効活用され、戦を短期間で終結させるのに十全な力を発揮した。


 余計な血を流さず、八洲を一つの国の下に統一し、民草の為になる政治を行う。それが守直の願いであり、また電七郎の願いでもあった。


「その願いを叶えようと、俺も兄者も必死に戦った。たとえ陰に生きる者であっても、俺達には忍としての誇りがあったのだ」


「兄者? お主、兄弟がおったのか」


 意外そうな栗介の言葉に、静かに電七郎は頷いた。


「白鳳忍軍の長、上忍頭(じょうにんがしら)を務めていたのが、俺の兄、雷牙(らいが)だ。兄者こそ、まさに俺の憧れ。真の忍士、そのものだった」

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