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彼女は僕にとって完全な女性でした。問題は、僕が彼女にとってそこそこの男であるかです。これらのページの中で間違った印象を与えたかも知れません;一つはっきりさせてください。僕は性的不能者ではありません。彼女との婚約は、彼女と御両親に対する不信行為ではありませんでした。九年生の時、僕は自分の精子細胞を顕微鏡の下に見て、その活発な運動に驚愕した覚えがあります。お父さんは何よりも孫を望んでおられます。僕は彼の期待に応える自信がありました。ただ、僕は滋子との精神的な結び付きを尊びました。僕も人間です。悪い思いはあります。しかし、決して自分がそう云う思いに耽る事を許しませんでした。彼女はそう云う事柄を超越した存在でした。何時までも婚約者同士でいて、結婚の日が来ない事を、僕は秘かに願いました。可能な間、彼女の清らかさを仰いでいたかったのです。もちろん、アンドレ・ジドの妻のようにする計画は毛頭ありません。僕は同性愛者でもありません。それは飽くまでも秘かな、子供っぽい願いです。しかし、彼女を見ていると、彼女のような濁りの無い目をした女性とは、肉の結び付きなど存在しなくても夫婦でいられる気がして来ます。滋子は出来るだけ沢山子供が欲しいと云います。云い方がまるで少女のようで、ひょっとしたらコウノトリが運んで来て呉れるものと信じているのでは無いかとさえ思えます。明らかに、彼女は精神の結び付きを至上とする人です。




