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狂 気 前 夜   作者: Raymond Kobayashi 訳:天野なほみ
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   僕は滋子と共にイエスの為の愚か者になれば良い。全く、一生を愚か者で過ごす程の幸福は無い。知識が力だなどは根拠の無いざれごとだった。僕を不幸にする力だけしか持たなかった。滋子と手を握ってお祈りする幸福を知った今、知識など無価値でした。ソクラテスが幸福だったでしょうか?ニュートンが幸福だったでしょうか?僕が神様と崇めていた数学は(少なくとも、僕が信仰していた種類の数学で、今日一般に行われている数学は)神様で無い;数学を住まわせる神殿=理性は(少なくとも、人間の理性は)欠陥住宅である;この事を我々の為に初めて証拠立てて呉れた賢人は、発狂して自ら餓死したと聞きます。僕自身の事を述べれば、知識を得れば得るほど渇望も大きくなり、その渇望を満たす事が以前にも増して困難なのに焦燥し、結局、後の状態が前よりも酷いのです。僕の巌は僕の愚かさです。イエスを仰ぎ見る滋子を仰ぎ見る己の愚かさです。滋子を僕のものにする事が出来るのなら1+1が11であろうと111であろうと構いません。僕の愚かさを完全にすれば良いのです。

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