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今の僕を見て他人が思うかも知れないような怠け者では、僕は決してありません。僕は他人の何倍も(恐らく五倍も六倍も)頭脳労働をして来ました。先生たちは僕が授業中に勝手な本を読む事を許してくれました。第八学年の終わり〈天野注。中学二年生、伶門十三才〉までにはファインマン教授の『物理学の講義』、シェークスピア集、『論語』、『古事記』などを読み終えていました。これを自慢して云うのでない事を、貴方は知っています。この程度の事で満足が得られたのなら、僕はどんなに幸福でしたろう。小さな達成感のようなものは直ぐに失せてしまうので、読んだ本をどんなに積み上げても得意になれませんでした。むしろ、それを読むのに払った努力を思う時、中国の古典などと言われる物は、腹の立つくらい馬鹿らしい代物でした。
僕は不幸せでした。いつも心の安らぎを求めて、いつも得体の知れない何かを求めて焦っていました。人を完全に満足させるもの、其の万古不易なる巌の上に彼の精神をどっかと据え、其の見事な美しさをただ賛美する事が即ち涅槃、そう云うものを求めていました。しかも、それを発見する前に人生が終わってしまうかも知れない!僕は人生の基盤を求めていて、そしてそれを見つける前に肝心の人生が終わってしまう。何と笑止な事でしょう。僕の不安の程を理解して貰えると思います。