表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狂 気 前 夜   作者: Raymond Kobayashi 訳:天野なほみ
3/55

 2


   僕が信仰を表明したのは希望からで無く絶望からでした。貴方はそれを知っていたと思います。貴方は知っていました:僕が心理学、言語学、人類学、哲学との我慢比べに破れ、帰国した事を。〈天野注。伶門は1981年1月、大学三年生の時、中退して帰国した〉僕が自分自身に絶望していた事を貴方は知っていたと思います。

   僕がティーンエージャーの頃より知性の錬磨に主力を傾注し、そうすることで心の安らぎを求め、理性を極めれば人生を極められると信じていた事は、貴方に告白しました。僕にとって、理性の中心にあるものは科学でした。科学を話す為の言語が数学でした。そして数学こそは、自己完結した究極のもの、人類が手に入れた純粋で完璧な美だと信じました。それ自体は宇宙の仕組みに就いて何も語りませんけれども、科学と手を結べば、数学ほど雄弁に、明晰に、宇宙を語る言葉は無い。しかも、数学それ自体が美の中の美、美術は[もと]素より、音楽よりも美しい美、いえ、芸術など比較にならないほど美しい美、決して自家撞着する事のない完全な美の体系だと信じて、十三歳よりその虜になりました。実に、数学こそが僕の初恋、僕の神様でした。僕の第一の絶望は、十六の時にやって来ました。即ち、僕の恋を数学的に立証する事は己の影を追う類、バケツの中に立って己を持ち上げる類の夢物語だとの証拠を、自分の目で見た時。それは取りも直さず、人間の理性そのものが不完全である事を意味しました。仮に僕がどんな偉大な頭脳を獲得しようとも、理性そのものが不良品ではどうしようもありません。理性が間違いなく理性的だと云う事すら、それを理性のみを以て立証する事は不可能なのでした。それは立証できるのでした。皮肉にも、理性は自身の不完全さは立証したのです。彼女は拳銃を自身の頭に突き付けており、いつ引き金を引かない限りでもない。僕は引かないと信じはする。引かない保証は無い。僕の初恋は、そう云う気まぐれな自殺志願者なのでした。直観的に心配していた事が、厳密に示されていたのです。僕の落胆を想像して下さい。僕は完全主義者です。多分、僕は理性を通して完全に近付こうとしていたのだと思います。明らかに、全ての真理を知ることは出来ません;三年生だってそんな事は企てません。しかし、少なくとも、頭脳を研ぎ澄ませば、自家撞着しない知性を手に入れる事は可能だと信じていました。神様は、僕のささやかな望みを、僕が生まれる以前に既に打ち砕いていたのです。僕がどんなに努力しようと、自家撞着しない保証は無い。僕は知性の錬磨から、知識の集積に重点をずらしました。出来るだけ沢山知りたかった。第二の絶望は直ぐ後に続きました。完璧でない知識 ─ ついでに云わせてください:その頃の僕に取って、完璧でないものは、ガラクタよりかほんのちょっとだけ増しだったと ─ それを満足に知るのにさえ、僕の能力では三百年間生きなければならないと悟った。それからと云うもの、僕は人生に絶望し続けているのです。貴方に告白したのは、実はそう云う絶望でした。


伶門のタイプライタ原稿に忠実な翻字は以下で

https://db.tt/mcKCVKog

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ