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全てを考え合わせれば、自ら汚す行為が性欲に原因する事は明白です。精神を安定させる、この場合一種の鎮静剤であると認めるにせよ、更にはそれが肉体的苦痛を伴うものであると認めるにせよ、それが性的行為である以上、性欲を満たす行為で無いと立証する事は難しいでしょう。しかしまた、性欲がいつもある特定の客体を持つと立証する事も同等に難しいに違いありません。人が有性生殖をする生物である事実を踏まえる時、性欲を持たない男は極めて稀だと推測されます。なぜなら、偶然何かの拍子に、まるで性欲を催さない男が生まれたとしても、子孫を残さない彼はその稀な形質を伝えませんから。逆に、性欲旺盛な人種ほど繁栄して来た筈ですから、自然淘汰の原理は、現代人が一般的に旺盛な性欲を持つものであると予測します。あけすけに云ってしまえば貴方も僕も性欲のかたまりだ、とそう決めてしまって大丈夫でしょう。更に、直截かつ正確な用語として、“射精衝動”を提案します;既に数ページ来使っている用語です。貴方も僕も射精衝動を催します:時には強く、時にはそれほど強く無く。ある時は、そんなものを持っている事を我々は殆ど意識しません。ある時は、それは圧倒的です。そう云う時々には、我々は思考する事すら出来ません。貴方は僕が何の事を言っているのか分かると考えます。ところで、貴方はそんな圧倒的な衝動をやり過ごす事がどのようなものだか分かりますか?
僕は分かります。僕は十五の時に分かりました。それからずっと分かり続けました:ついに獣を解き放したあの夜まで。初めの内、それは拷問です。事実、自分を肉体的に責めることで乗り越えました。クリスマス前の冬の夜、僕はあのライターを使いました。暫くの間、何本かの縫い針が僕の最もお気に入りの道具でした。大概、それらで巧く行きました。行かなくなった時、ライターの出番でした。学校の実験室で“借りてきた”のでした。それは強い効果がありました。慎んでから三十日間は時に発狂しないばかりに襲う衝動も、ライターを携帯していればやり過ごすことも不可能では無いものです。その使用回数は九十日辺りから徐々に減り、あの衝動も意志の力だけで克服できる程度に弱まりました。ちょうど五ヵ月間我慢したその日、僕はライターを実験室の引出しに戻しました。第十一学年の終わりに近い五月の下旬でした。僕は引出しに収まったライターを見下ろしながら、或る、曰く言い難い“物事に対する能力”の感じを味わって、揚々と退室したものです。




