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狂 気 前 夜   作者: Raymond Kobayashi 訳:天野なほみ
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   それでも僕は努めて滋子の面影を追い払いました。どうして彼女の顔を獣の餌食にできましょう:貴方が、ラファエロを彷彿させると思わないかと、いつだったか彼女の奏でる礼拝堂のピアノを貴方と僕とで聴いていた日曜の午後、僕にそのように言われたその顔を。マツバラ女史の教室で彼女の視線が初めて僕に向けられた刹那、その女性の顔を見た時、僕の脳裏を過った映像は、正に画集で見ていた、無限に柔らかくてたおやかな表情 ─ 慈しみに満ちた表情 ─ を湛えながら、仮にも我が抱くものに危害を加えさせじと、目には見られぬ力どもに向かって目を瞠る、無限に強い顔でした。そうです、あの呪わるべき夜、僕は一方では滋子を意識の外に逃がすことに努めつつ、他方では己が精神を生贄に、己が肉体を餌食に、獣の貪婪をしずめたのです。

   僕は自分自身に言いました。これは断じて世間一般の場合と同じでは無い。証拠に今僕は、思考の中から不純な想念を追放している。ただ極度に苛立っているだけなのだ。今日は余りの緊張の為に神経を破壊された。この行為は興奮し錯乱した精神を安んじる目的で行うのだ。止むを得ない行為だ。もし敢えて覚醒中に捌け口を与えてやらなければ、その時こそ例の魔婦の手に落ちない限りではない。そうなれば、自由意志に麻酔をかけられた状態で悪むべき泥沼に引きずり込まれるのだ。純粋に精神の安定作用を目的とした、生理上の処置として行う場合と、世間一般の場合とを、同日に論ずべきで無い。

   僕は一晩中発作の波に襲われました。体内に埋め込まれた鉛が鈍く疼いて居たたまれなくなる。邪念を払って疼きを断つ。開放と自己嫌悪とが相半ばする中で浅い眠りに落ちる。彼女の夢で目が覚める。ぶりかえしてきた疼きにまた悩まされる。 ・ ・ ・ カーテンの隙間より光が差し込んで来る時刻、心身ともに困憊して最後にもう一度ベッドに体を投げ出したのが、覚えている最後です。

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