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俺はこの世界で  作者: ロン
メインストーリー:俺はこの世界で邪神を倒す
98/125

97話 目標

「タツノ君、大丈夫!?」


 強く扉を開け放ち、開口一番にティナは辰乃へこう呼び掛けた。


 部屋の様子は、ラックが出ていく前と変わらない。

 傷を治そうと努めるセティと、辰乃に呼び掛け続けるアグニ。そして、少しずつ傷が悪化している辰乃。その嫌な空気に一瞬気圧されそうになるものの、直ぐにティナは部屋の中へ入っていき、辰乃の横へ座った。


 同時に、ティナを連れてきたエストレアは外の様子を窺っていた。

 もしかすると、魔族が攻めてくるかもしれない。と、今ここにいる誰もが考えもしないことを考えて、セティたちに危害が及ばぬよう、外へ注意を向けているのだ。


 ……辰乃が心配でないのか、と問われれば、当然心配だと答えるだろう。


 それでも誰かが冷静で居なければならないと自分に言い聞かせ、エストレアは自分が出来ることだけを続けた。


『───』


 生気が消えてきている辰乃の瞳に、ティナの姿が無機質に映る。それと同時に、辰乃は目を見開いて──最期に見納めるように、少女へ視線を向けた。


 見るものが見れば射抜くような、強い意思の籠った眼光。

 それを諦めや悲しみから来るものだと察したティナは、直ぐ様辰乃の側へ駆け寄り、腰を下ろして弱々しい手を取った。


「駄目、だよ。諦めないでよ!」


 震える声で、そう叫び散らす。


『………ごめ、ん』

「謝らないで。……頑張って」


 しかし、彼女の激励を受けてもなお、辰乃の意思は変わらない。──変わったようには、見えない。

 長く話し続ける力も無い辰乃の胸中は、もう誰も知ることは不可能だ。


「いやだ。嫌だよ」

『………悪い』


 これでは、本当に死んでしまうみたいではないか。と、初めて死の直前に触れたティナは思う。

 当然のようにあったもの──例えるなら、地面が崩れ落ちていき、底の無い暗闇を落ちそうになる感覚。苦しくて、壊れそうで、でもどうしようもない無力感。


 俗に絶望と言われる感覚に限りなく近付いたティナは、だからこそ辰乃に声をかけ続けた。


「一人は、嫌」

『爺さん、が。村の、皆が』


「タツノ君が居ないと、私……」

『独り立ち、しろって』


「頑張って、って、言ったのに」

『……』


 死なせたくない者と、自分から離れて欲しい者。

 二人の会話は平行線のまま、けれど着実に終わりへ向かっていく。


 終わりは唐突に。

 ティナの手の内にある、辰乃の手の力が抜けていく。それを感じ取ったティナは慌てて、辰乃へ声をぶつける。

 悲鳴そのものであるその声は、最早辰乃に届ける為でなく、自分が彼の死を拒絶するためだけのもの。

 救いの力も、常人離れした希望を抱いていない彼女には順当で、故に悲痛な叫びだ。


「やだ、やだやだやだやだ!死なないで!生きて!もう一回、ううん、ずっと笑っててよ!!」

『……ティ、ナ』


 これから死に行く自分に、何が出来るというのか。考えても分からない──考える余裕の無い辰乃は、感覚を失っていく口になけなしの力を込めた。


 同時に、空いている片手を無我夢中に伸ばして、彼女の頬に触れる。

 人肌の温もりも、温かい涙も、今の辰乃は正しく知覚出来ていない。

 ……けれど、その瞳が僅かに捉えている、悲しみに染まった彼女の顔を。月の見えない夜に浮かぶ、一つの星のように、朧気に。


『………』


 言いたい事は沢山ある。

 伝えたいこともある、やりたいこともある、聞きたいこともある、知りたいこともある。


 だが、彼は一つとして、それを伝えようとはしなかった。


『……今まで、ありがとう』


 ただ小さく、けれど確かに少女へ告げた彼は、静かに目を瞑る。


 この眠りは、少し永く──────。


 ---------------


 泣いた、慰めた、歯を食い縛った、悪態を吐いた、何も言わずに俯いた、物言わぬモノに呼び掛け続けた。

 少女の悲鳴に引きずり込まれるように、かの屋敷に集まる人、人、人。


 大半は屋敷には入らず尻込みしていたようではあるが、辰乃とよく話していたらしい数人は、屋敷の中へ入って事実を確認する。

 そしてまた、悲しみが一つ生まれるのだ。


「………ちっ。やっぱり無理だったか」


 人混みから離れた場所に、ラックは木にもたれ掛かりながら立っていた。顔は俯き気味で、表情からは悲しみが読み取れる。


「───これは」

「……タツノが死んだ。ここからでも微かに聞こえるだろ」


 遅れてやって来た遊夢とユートは、屋敷を取り巻く人々に目を奪われ、茫然とする。

 ラックの言葉に耳を傾けると、聞きなれた少女の、特大の悲鳴が風に乗って届いてきた。それで事態を把握した二人は、静かに地面へ座り込む。


「…くそ」

「もっと……早ければ!」


 もっと早く目覚めていれば、もう一度【狂人化】が使えたかもしれないのに。

 もっと早く遊夢と合流すれば、間に合ったかもしれないのに。


 そんな念を抱いた二人は、どうすることも出来ずに、その場に留まっていた。


 ---------------


「そう、か」


 辰乃が息を引き取ってから数分後。ティナの悲鳴を真っ先に聞き付けた龍義は、何も言わぬまま、部屋の中に入った。


 今、部屋の中に居るのは四人。

 彼の最期まで《治癒》を続けていたセティ、ティナが来るまで辰乃を励まし続けていたアグニ、外の様子を窺っていたエストレア。そして、辰乃の傍らで大泣きしているティナである。


「……遅いのよ」

「ああ、遅かったようじゃな。………まさか、儂より先に逝くとは」


 辰乃にすがりついているティナを見守るように、龍義は直ぐ近くに腰を降ろす。それに倣うように、エストレアが龍義の隣に腰を降ろした。


 お互い視線は前に。

 エストレアも龍義と同じように、ティナを心配そうに見つめている。


「大丈夫、じゃなさそうね」

「心配じゃな。潰れてしまわんか、不安じゃよ」

「……そう、ね」


 初めてティナと話した夜、彼女が“大好き”だと言った人物を、エストレアは知っている。そして、その人物が物言わぬ遺体となっていることも。


「ティナは、アタシたちよりも弱いって思うのよ。体じゃなくて、心が」

「……概ね当たっとる。あやつは昔から、辰乃に引っ付いておったからの」


 脳裏に甦るのは、過去の記憶。親しい者の死には、その人物との思い出が流れるのが人として当然だ。

 龍義もその例に漏れることはない。彼は辰乃との記憶を振り返り───辰乃にいつもくっついていた、一人の少女の影が、自然と浮かぶ。


 生まれつき【龍神化】という才能を持っていた辰乃は、心なしか村人たちに距離を取られ、彼自身も距離を取っていた。そんな彼と村人を繋げたのが───。


「……儂に出来ることは無い。ティナに関しては、時間に任せるしかないじゃろ」

「───そう」


 そこまで考えた所で、龍義は“自分には何もしてやれない”と判断した。

 十数年、あの二人を見てきたからこそ分かるのだ。ただ慰めただけでは、彼女は決して立ち直らない。許すだけでは、彼女は自分を赦せない。


 彼女は良くも悪くも純粋である。今まで彼女が立ち直った時は、決まって辰乃が側に居て、彼が彼女を安心させていた。


 その拠り所を失ったのだ。解決策は皆無に等しい。


 龍義の判断は普遍的であり、的確である。………だからこそ、エストレアは不満げに返事をした。

 言い返せることは何もない。自分が今すぐにティナを慰められる訳でもない。


「……こういうの、あんまり好きじゃないんだけど」


 少し顔をしかめてから、エストレアは数秒間目を瞑り、決意をする。

 デメリットは何もない。元々通ろうとしていた道に、目的が追加されただけだ。


 ───けれど、それは問題の先伸ばしである。

 エストレアの思う“救い”には、到底至れるものではなかった。


「それでも、仕方ないか。アタシは神様じゃないんだから、的確に人を救うなんて出来ないし」


 それでも、悲しみに潰れるくらいならば。

 そして、また全員で笑えるならば。


「『ラウンド村』の村人、鬼の人たち、ここの皆。それに、ラックやウォール、シルドにアイにルミナに……数えたらキリがない、か」


 一冒険者として活動していた際に、別の冒険者たちの飲み会を見たことがあった。

 それを全員で出来れば、さぞ楽しいだろうと思い、


「ああ、男どもが余計なことしないか、見張っておかないとね」


 目標を見出だしたエストレアは、叶えさせたい未来を思い描き、小さく笑った。

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