87話 龍神の試練 序
俺たちがここに来てから、一週間が経過した。
毎日やることは似通っていて、難度の差はあれど、俺たちはそれらを乗り越えることが出来ている。
採集、討伐、採掘、釣り、家事。
一部修業と関係ないようなものも多々あったが、それのお陰で村の人たちとコミュニケーションを取ることが出来たため、悪かったことは何もない。
「───よし、そろそろいいじゃろ」
ふと、龍義さんがそう呟いた。
八回目の、朝の会。依頼を伝えるための集合で、龍義さんは楽しげに、告げる。
「ここまでよくぞやってきたの。お主らの実力は上々じゃ。
神を殺すという目的は、嘘ではなく本気で抱いているらしい。力も意志も、ともすれば神に届くやもしれんの」
「何が言いたいわけ?アンタ、嫌味でも言うつもり?」
上機嫌な龍義さんを、エストレアが睨み付ける。
それに倣うように、俺も龍義さんに敵意を送る。彼がどんな意図で言ったのかは知らないが、俺は最初から本気だったからだ。
龍義さんの言葉は、まるで俺たちが本気ではなかったと言っているように感じられて。そのせいで、このように神経を逆撫でされる。
「まさか。公正な評価じゃよ。勇者という存在は、生まれてこのかた見たことないからの。
にわかには信じられなかった。その程度の話よ」
それで言葉を切ってから、息を吸う。
頭上の太陽は必要以上に眩く輝いていて、そのせいで、龍義さんの表情は上手く見えない。
ただ、声色だけが。今までと変わらずに、軽いものであることだけは分かった。
「それで、じゃ。
せっかくじゃから、神と戦わせようとな。お主らの敵ではないものの、参考程度にはなるじゃろ」
その身振りは、どこかリエイトを彷彿とさせる。
愉しむような笑い声も、さらりととんでもないことを言い放つことも。
理解が追い付かなくて、思わず問い返してしまうこともだ。
「───神?」
「そうじゃ。純粋な神では無い……いわゆる偽神ではあるが、そこらの魔物よりは格上じゃろう?」
簡単にそう言って、龍義さんは欠伸する。
そして、彼はある玄関口に向かって呼び掛けた。
「そういう訳で、来い」
龍義さんの声に応えるように、玄関の襖が開く。
そこから現れたのは、俺たちが何度も見た、あの青年だった。
緑の髪に、紅い目。
この前までは優しい光を放っていたそれは、戦闘状態に入っているせいか、鋭い眼光に変わっている。
「───そういう訳だ。偽神、翡翠滝辰乃。アンタたちの、最後の試練だよ」
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村で一番広い闘技場に、二人の青年が立っていた。
片方の青年は、茶髪に明るい緑眼を持つ剣士。
もう一人は、緑の髪に紅い瞳を持つ龍人。
龍人の手に得物は無く、それの代わりとでも言うように、龍人は両腕をしきりに動かしていた。
「なんというか……大丈夫なの?タツノ君」
「何が?そっちには優秀なヒーラーが居るんだろ?
だったら、まずは一対一で互いの実力を把握してから総力戦に行きたい」
今からやるのは、『アザーファル』とタツノのシングルマッチだ。
とは言うものの、タツノは分身を作る【スキル】を持っていないため、必然的に連戦となる。
タツノはセティの回復魔法をアテにしているようだが、それでも、精神の負担は治しきれるものではない。
それを剣士──ユートは指摘しようとするが、タツノは笑って流そうとする。
「それに、ほら。五対一だったら流石に本気出さなきゃ不味いけど───それで、殺しちゃったら悪いからな」
それどころか、挑発ともとれる言葉を大胆不敵に告げる。
「そっか。それなら仕方ないね」
挑発を挑発と取っていないのか。ユートの声色は変わらない。
ただ、タツノが余裕の表情をしている手前、自分が固くなっていてはいけないとでも思ったのか。
「それじゃあ見て確かめてよ。
───僕は、普通の君より強いってさ」
場の雰囲気を和ませるような、柔らかい声で。
いつもは言わないであろう台詞と、堂々と宣言した。
闘技場に居る『アザーファル』の面々は、揃って息を飲む。
──まさか、ユートがあんなことを宣言するとは。
普段腰が低い彼が、挑発に似た言葉を言うというのが、どうもしっくりこない。その違和感を隠そうともしていないユウムは、悪いと思いつつも表情を歪ませる。
「何て言うか、案外こういう台詞も言えるのね」
「そうだな。……ちょっと意外だ」
「ねぇ、セーちゃんはどう思う?」
「······意外。トーラに聞かせたら、びっくりするかも」
闘技場の観客席。その中心近くの席に、左側からエストレア、ユウム、アグニ、セティが座っている。
上の段には、ティナを挟んでラックと龍義が座っていた。他の観客もちらほら見られるが、そこまで数は多くない。
まるでチーム結成時の決闘騒ぎみたいだ、なんて思いながら、ラックはユートを見下ろした。
当然、あの時とは状況は全く違う。
第一に、これは一対一である。あの時の闘いでは、多対四であった。
第二に、相手は雑魚ではない。神が定めた勇者にイチャモンを付けるような下位冒険者とタツノでは、筋力も魔力も桁違いだろう。龍義の言う偽神の意味はまだ把握していないが、タツノがそれを称せるだけの実力を有していることは明らかだ。ユウムたちは無条件に納得しているし、ラックは龍義の、戦闘に関する観察眼を信頼している。
そして、第三に───。
(この闘いでは、通常戦闘での、こちらの底が知れる。【スキル】を解放し、霊器を創った今となっては、ユウムたちに大きな成長は望めない)
第三に、こちらは万全の装備で挑むということ。
あの時の闘いでは、良くも悪くも装備が整っていなかった。
武器は木製だったし、仲間とは初対面。【スキル】を使いこなしている筈もなく。こんな状態と今の状態とでは、雲泥の差といったものだろう。
逆に言うのなら、【スキル】を使いこなし、仲間との信頼関係を築き、伝説とも言える武器を手に入れた彼らは、この短期間での成長限界にまで達している。
それで及ばないのであれば、恐らく五年程、『アザーファル』は修行を積まなければならない。
(だからこその試練だな。タツノの実力は把握していないが───どれだけタツノが強かろうと、善戦出来なければ論外だ)
【危機察知】を起動して、タツノに意識を集中させる。
ラック自身が編み出した、「相手の危険性を推し測る」という裏技は、使役された魔物からですら本体の危険性を把握することが出来る。
そんな彼による測定結果は───【スキル】未使用状態であるならユートたちと同格であるというもの。
ついでに【スキル】使用時の危険性も図ろうとしたラックであったが……止めておいた。
どうせ自分は戦わないのだから、たまには気長に見てみようという気になったのである。
「それじゃあ行くか。先手は譲るよ、ユート」
少し考え事をしている内に、状況は動き始める。
《脚力強化》の魔法を用い、タツノに急接近していくユートを見てから、ラックは一度だけ、大きく息を吸った。
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遡ること半日。
そろそろ子供は寝静まるという時間帯に、辰乃は龍義に呼び出されていた。
「なんだよ、爺さん」
父の部屋をノックもせずに開けた辰乃は、面倒そうに龍義に話しかける。
寝る気満々なのか、話を聞くのが面倒という意思表示か。来ている服は寝間着である。
話を聞く気がないことを隠そうともしていない息子に呆れながら、龍義は要件だけ伝えた。
「なに。そろそろお前に働いて貰おうと思っただけじゃよ」
「ふーん。それじゃ、遊夢たちにはその程度の実力はあるってことか」
他人が聞けば要点をまるで掴めない言葉を、辰乃は当然のように理解する。
「うむ。二人以上の力を合わせれば、全盛期の儂よりも強かろうさ」
ニヤリと笑いながら、龍義は冗談交じりにそう告げる。
辰乃は大きく欠伸をしながら、意外そうに目を丸めた。
「爺さんがそこまで評価するなんて、珍しいな。もしかしなくても、俺が全力出さなきゃ殺せない程度には強い?」
「おうとも。セティ・セイクリッドはヒーラー故、直接的な戦闘能力は低めであるがな。それ以外の連中は───中々に凶悪よ。
遊夢とアグニは乱戦に強く、エストレアは軍に強い。城だろうとあやつの魔法は打ち崩す程にな。
極めつけはユートじゃな。あやつは言うならば………そう、正しく勇者じゃ」
この男が、他人をここまで評価するなんて。
そういった事実に困惑して、辰乃はその場に座り込んだ。
それを、話を聞くようになったと判断した龍義は、さぞ愉しそうに話を進める。
「儂の勝手な憶測ではあるがの。恐らく、邪神の魔法をエストレアは相殺出来る。遊夢は邪神の生体機能を著しく削ぐことが出来───ユートは、かの神に引導を渡せるじゃろう」
「そんなに壊れてる能力なんだな。ユートの【スキル】は」
「無論。少なくとも、お主の【スキル】は、男二人の能力には及ぶまい」
「あっそ。
……それで、具体的にどうするんだよ」
話が逸れてきたことを察した辰乃は、龍義に話の続きを催促する。
それでようやく話を逸らしていることに気付いたのか。龍義はばつが悪そうな顔をして、話の軌道を戻した。
「なぁに、やること自体は簡単じゃ。お主が全力で、『アザーファル』と闘えばよい」
「全力で、ねぇ。………分かったよ。やればいいんだろ?
でも、条件くらいは付けさせて貰うぜ。オレはあいつらと、五回戦う。エストレアとユート、アグニに遊夢と、最後に総力戦だ」
辰乃の宣言に、龍義はけらけら笑いながら頷いた。
それは他でもない、肯定の意。
確認作業は終わった辰乃はその場から立ち上がり、自分の部屋に戻ろうとする。
すると、龍義は思い付いたように、ある話題を口にした。
「それはそうと、辰乃よ」
「ん?」
「ティナとはまだ付き合っておらんのか?儂も年じゃ。そろそろ孫の顔、というのが拝みたくなっての。
この際じゃ。全勝すれば告白せい」
ある時、廊下で遊夢に推測された時は大慌てしていた辰乃ではあるが、父だけと向かい合っている場合はそうではないらしい。
真剣に考える様子をしてから───。
「うっせぇ。余計な気遣いすんな」
照れ隠しでもするように、そそくさと部屋から出ていった。




