85話 大好き
「辰乃、居るか?」
俺たちを連れて、龍義さんがやってきた場所は、旅館だった。
旅館のように大きい家などではなく、入口に堂々と『龍の宿』と書いているので、これが旅館でない筈がない。
造りは和式。個人的に、こういった世界観で、龍には洋式なイメージがあったので驚いている。
旅館に入った俺たちは龍義さんに連れられて、ある部屋の前に来た。
入口から入ってすぐ廊下を右に曲がった所にある、こちらの部屋は、何故か洋式の部屋になっている。開いている扉の隙間から、木の床とベッドが見えるのだ。
「爺さんか。何の用?」
「父さんと呼べ、父さんと。
…それはそれとして。客人じゃ。お前にも紹介しようと思っての」
部屋の中から、若い男の声が聞こえる。恐らくは、俺たちと同年代だ。
彼の言葉に龍義さんは呆れながら、用件を伝えた。この、爺さんという呼び方はいつものことなのだろう。
龍義さんは、自分を小馬鹿にするように笑うラックを睨み付けながら、男の返事を待っている。
「……。それなら、明日とか明後日とかに頼むよ。
ほら、6日前のこと、覚えてるだろ?」
「当然じゃろう。この村に入り、悪事を働いた魔族なぞ10年以上見とらんわ」
「おいジジィ。なんかあったのか?」
魔族という単語を聞いた後、ラックが龍義さんに問いかける。
龍義さんは左手で頭を掻きながら、呆れたようにこう言った。
「いや、何。6日前、魔族がこの村に侵入しての。ただ入るだけなら問題無いんじゃが、あやつ、村の娘を誘拐しようとしたのじゃ」
「それで?」
「儂の経験から察するに、アレは一級の魔族じゃったな。しかし、一体で儂らに勝てるはずも無し。直ぐに追い返したわ」
何故か扉──恐らく、部屋の中にいる男をニヤつきながら見つめて、彼はラックの質問に答える。
恐らく、魔族が誘拐しようとした娘と言うのが、男と何らかの関係を持っているのだろう。親しい家族だとか、恋人だとか。
そんな存在に手を出されたなら、確かに落ち込んだりもするだろう。
もしくは───。
「もしかして、その子の看病をしてる、とか?」
「良く分かったの、お主」
つい口から出たその言葉を、龍義さんは目を丸くしながら肯定する。
どうやらその予測は的を得ているらしく、扉の向こうから僅かながらも驚くような音が聞こえた。
「半分、勘ですけどね。でも、誘拐未遂なら部屋に閉じこもる程怒ったり、落ち込んだりしないでしょう?
なら、誘拐されかかった子の面倒を見てるのでは無いかな、と」
少なくとも、鈴音が誘拐されかけた程度では、俺は部屋には閉じこもらない。
むしろ片時も離れないように、彼女の傍に居させて貰う。
「多分、そこまでするくらいなら、二人もそれなりの関係なのかもしれません。
例えば、兄妹とか、恋人とか」
「だ、だだだだ、誰が恋人だっ!?」
一言余計だったか。
つい、俺が想像していた二人の関係まで口にしてしまい、扉の向こうの彼に怒られてしまった。
その、動揺しきった声を聞いた龍義さんは、やはりニヤニヤしている。
龍義さんは扉に近付き、扉を何回か叩いてこう口にした。
「それで、もう事は済んだかの?」
「は?何言ってんだ爺さん」
「通じんかったか………」
恐らく、『孫に期待出来そうか』みたいなニュアンスで訊ね、からかいたかったようであるが、生憎伝わらなかったらしい。
龍義さんはちょっと落ち込んだかのように、壁に手を付く。それを指摘するラックと喧嘩になりそうになった時。
ドン、と。
破壊音と聞き違える爆音が、耳に響いた。
それをやったのは───俺たちのやり取りに痺れを切らしたエストレアである。
「───ったく。いつまでコントやってんだか。
……タツノ、だったっけ?入るわよ」
壁に叩き付けた手を痛そうに押さえながら、エストレアは部屋のドアに手を掛ける。
あまりの剣幕に、俺やユートはおろか、龍義さんも若干引いていた。
「…のう、ラックや。お主の所の女と言うのは───」
「いや、流石にあそこまでのはあんまり居ない。ただまぁ、あっちのマトモな男共は、大体女に頭が上がらないな」
「そこ!こんな時だけ団結すんなっ!」
ラックたちを怒鳴り付け、それに反比例するかのようにドアをそっと開ける。
意外にもドアに鍵は掛けられておらず、エストレアの手に押されたドアは素直に、部屋の光景を映し出した。
部屋の中に居たのは、俺たちと同年代程度であろう男女だ。
男は驚きに目を白黒させるが、エストレアはお構い無しに部屋の中へ踏みいる。
女の子といえば、怯えるように、男の服を強く握っていた。
「はじめまして。アタシはエストレア・ワールウィンド。あなたたちは?」
「……翡翠滝辰乃」
堂々と部屋に入ったエストレアは、それが当然であるかのように、普通の自己紹介をする。
さっきの、嵐のような行動からは予想出来ない行動だったのか。辰乃という男は、意外そうに目を丸めていた。
その後、エストレアの頭から足までをざっと確認し、警戒を解く。
辰乃は傍らに居る女の子の頭を撫でてから、子供に言い聞かせるほうに、優しく声を掛ける。
「ティナ。あの人は大丈夫だから。自己紹介しよう」
「う、うん………」
辰乃に促された少女は、立ち上がってエストレアの前に立つ。
それでも内心ではエストレアを警戒しているのか、少女は一歩余分に、エストレアから距離を取った。
「ティナ・エメラプス、です」
「うん、ティナね。女の子同士仲良くしましょ」
そう言いながら、手を差し出す。
どうやらこれが目的だったらしく、その顔は柔らかく微笑んでいた。
それを見て──ついでに言うなら、その後ろに居る龍義さんも確認して、警戒心が解けたのか。
ティナは明るく笑いながら、エストレアの手を取った。
ティナの手を引いて部屋から出てきたエストレアは、龍義とラック、俺に若干冷たい目を向けてきた。
「…アタシのは強引過ぎるとは思うけど。あんたたちはふざけ過ぎよ。
特に大人二人。この子に何かあったって分かってる癖に、喧嘩とかおっ始めないでくれる?」
「…う、悪い」
俺自身、ふざけたつもりは全く無かったのだが、エストレアの目にはそう映ったのだろう。
こんなことを言うのも何だが、エストレアは同性にはよく気を遣ったり積極的に助けようとするが、異性相手だと態度が辛辣になりやすい。
今回の行動も、誘拐されかかった子が心配だった故のことなのだろうが……セティと違い、彼女の場合やり方が強引なのである。
「───まぁ、良いか。辰乃、出てきなさい」
「分かってるって、爺さん」
龍義さんに呼びかけられ、辰乃が部屋から出てくる。
龍義さんと姿は似ていて、逆立っている緑の髪に、血のように赤い目をしていた。龍義さんと違う所と言えば、若々しさがあることと、目に柔らかい光が宿っていることだろうか。
「迷惑かけたな、お客人。オレは翡翠滝辰乃。タツノって呼んでくれ」
「えと、ティナ・エメラプスです。ごめんなさいでした!」
辰乃に続いて、ティナも頭を下げる。
黒いショートボブに、透き通った水色の瞳は、当然ながら辰乃とは全くの別物である。
「気にしてない、大丈夫だ。俺は───」
そう言ってから、自己紹介する。
それから間もなくして、俺たちは龍義さんに案内され、来た道を戻っていった。
玄関前を通過し、建物の左側へ向かう。
部屋を教えておくためか、ティナと辰乃も着いてきていた。
「それ、ここがお主らの部屋じゃ。一人一つあるから、順番はお主らで決めるがよい。
───では。夕飯時に迎えに来よう」
言い残して、龍義さんはどこかへと向かっていった。
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「エストレアさん、あなたたちはどうして、ここに来たの?」
夕食後、エストレアの部屋にて。
その部屋の中で、エストレアとティナが二人で話をしていた。
誰が誘ったでもない。
ただ、夕食の時にたまたま隣の席に座り、仲が良くなっただけのことだ。
───立ち直るの、早いわね。この子。
そんなことを思いながらも、エストレアは気にしないように努める。
何はともあれ、元気を取り戻したのは良いことだ。
「どうして……ねぇ。
建前なら、世界を救う為の修業ね」
「世界を、救う?」
そう言えば、自分から「世界を救う」なんて言ったのは初めてだ。
エストレアはそう思いながらも、ティナの様子を確認する。
意味が分かりきっていないらしい少女は、オウムのようにエストレアの言葉を復唱した。
「邪神っていう神様が居て、そいつを倒さないと世界が滅ぶかもしれないってこと」
「……危険、ですね」
「ええ。死にかけたことだってあるわよ」
いつかの戦いを思い出しながら、エストレアはティナの言葉を肯定する。
今まで普通の冒険者として過ごしてきたのに、何がどうなって勇者なんてものに選ばれたのか。
おかげで【スキル】が解放されたり、武器を創って貰えたりしたので、一概に悪いなんて言えないが。
「…でも、そうね。
死にかけたのは苦しいことだったし、死ぬのは相変わらず怖いけど。代わりに色々貰ったからね。世界くらい救わないと勘定が合わないわ」
見た目より幾分か幼く見えるティナ相手だからか、エストレアはさらりとそんなことを言う。
───もし、勇者なんてものに選ばれなかったら。
王都の神殿になんて一生縁が無かっただろうし、今の仲間にも会うことは無かった。
レンキやゲンキにも会うことは無かっただろうし、その最たるものがティナたちだ。
それは少し……凄く、悲しいことだと思っている。
「何を貰ったんですか?」
「新しい日常よ。『アザーファル』なんてチームに入って、神様と出会って、鬼と闘って。
それで今、あなたと話してる」
恐らく、仲間の誰にも言わないその言葉を、エストレアは今日会ったばかりの少女に告げた。
エストレアの言葉を聞いた少女は、ニコニコと笑っている。
「エストレアさんは、お友達のことが大好きなんですね!」
「……。認めるのは癪だけど、そうなるわね。ユウムは女性とのトラブルが起きやすいし、ユートは時々男って感じがしないし、セティは何時もはほぼ喋らないし、逆にアグニは基本騒がしいし。
家に居る、トーラって子はユートの女装に興味津々だし、リリィっていうメイドに至っては魔族だし。
男女比は狂ってるわ、部屋は段々狭くなるわ、度々男二人がトラブル起こすわで大変だけど。
───ええ、こういう日常と、こんな仲間たちを。アタシは大好きって思ってる」
ティナのような、純粋な子と言うのが珍しいからか。
自分らしく無いなんて思いながら、エストレアは彼女の質問に答える。
数秒経ってから、それを気恥ずかしく感じて……。
「そ、そんなことより。ティナには居るの?大好きって思える人」
「はい、タツノ君が大好きです!」
「ああ、やっぱり。それで、彼とのこと、聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
質問を返して、ティナのことを聞く。
思いの外食い付きが良かったため、エストレアはそれに便乗し、自分のことから注意を逸らすことにした。




