79話 変わらないもの
余りに突然な殺害予告。
本当の自分を出すために、今の自分を殺すなんて、絶対に何か間違っている。
そう思っているのだが、生憎俺には、こんな方法しか思いつかなかったのだ。
リリィは静かに俺を見ている。
たった今死の宣告を受けたというのに、表面上はどこまでも普通を装っていた。
「…だけど、リリィが嫌なら、いいんだ。『そんなことは間違ってる』って、そう言ってくれたら、俺はリリィに何もしない」
それを予想出来ていたが故の、逃げ道。
もしリリィが嫌がるなら、俺は何もしないと。
出来るだけ優しく語りかけたその言葉は、もしかすると俺が彼女に選んでほしい選択なのかもしれない。
しかし、リリィはあくまで、俺の発言を肯定する。
「いえ、ご主人様は間違ってません。───大丈夫です。貴方がそれを正しいと思うなら、私を直して下さい」
優しい笑みを浮かべて、彼女は彼女にとって良くない選択をした。
それがどういう意味のものなのか、理解した上で。それでも良いと、彼女は笑う。
「……」
余りに自然な笑みに、思わず黙り込んでしまった。
強がっていないと言えば嘘になる。けれど、それでも彼女は本心で「それでいい」と言っているのだ。
だからもう、引き返すことは出来ない。
この後、俺は【狂人化】を起動して、使える力を全て使い、【異常を狂わせ正常に】することになるだろう。
それが終わった後、恐らくリリィからは、今までの記憶、その実感が消えてなくなる。
それが、俺の言っている死。自分の記憶に実感が持てないのであれば、それは死んでしまったことと変わらない。
「分かった。……リリィ。最後に、俺にしてほしいことは無いか?嘘を吐かずに、正直に言ってほしい」
正直に、という言葉を強調し、リリィに望みを言うように促す。
今、俺には隸属している彼女にとって、今の言葉はそれなりに強制力のある言葉となっただろう。
リリィは一瞬俺から目を反らし、その後に大きく深呼吸した。
顔は見るからに赤くなっていて、緊張していることが伺える。
「……え、と。私が眠りに落ちるまで、一緒に、眠ってくれませんか?」
だから、こう言った類の要望が来ることは、分かりきっていた。
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上段のベッドに、二人で入る。
相変わらず、二人以上で入るには少し狭い広さなので、当然の如く体が密着した。
「───」
ここまで狭いと思っていなかったのか。リリィは分かりやすく、頬を赤く染める。
俺だって緊張しているものの、それを面に出さないように努めた。
「どうして欲しい?」
「───欲を言うなら、貴方に愛して欲しい、です。ご主人様」
夜というのは、総じて人を惑わせる。
それは多分、今のリリィに言えることだろう。
普段の彼女なら絶対に言わないであろう台詞を、今の彼女は恥ずかしがりながらも、しっかりと口にしている。
「…悪い、それは」
「分かっています。だって、あの時の白いご主人様は言っていました。「好きな奴が居る」って」
「……本当に、俺は最低だな」
他に好きな人が居る。その人に想いを伝える前に、リリィに無理矢理キスされた。
そんな下らないことを理由にして、狂夢は───俺の一部分は、リリィを壊したのだ。
しかも、今はその好きな人すら定まっていないという始末。
これを最低と言わずなんというのか。生憎俺は知らない。
「最低、と言われる程ではないですよ。だって、貴方はそうやって自己嫌悪出来ていますから」
失礼します、と言ってから、リリィか俺の直ぐ近くまで来る。
二つの黒い瞳が、俺を見上げた。
「本当に最低な人は、悪い自分に気付かないか、気付いていても肯定してしまうんです。自己嫌悪出来ているということは、貴方の良心が痛んでいることと同義ですよ」
「…ありがとう」
リリィが本心からそう言ってくれていることが分かり、少しだけ嬉しくなる。
せめてものお礼に、と。俺はリリィの背に片腕を回し、抱き締めた。
「…!?ご主人、様」
「───最後なんだ。出来るだけ、リリィの望みは叶えたい」
困惑するリリィに頭を上げるように言い、出来た隙間にもう一本の腕を通す。
腕枕、と言えば良いのだろうか。ともかく、俺たちはそんな距離まで近付いていた。
異性とここまで近付いているという緊張、“ここから先”を一瞬イメージしてしまう邪な欲望、好きでもない女にここまでするという自己嫌悪。
色んな感情が混ざりあっているが、自己嫌悪と欲望はどうにかして抑え込む。
自己嫌悪が伝わってしまえば、リリィにとっても良いことではないだろうし、リリィが好きで無い以上、一線を越える訳にもいかない。
「…ありがとう、ございます」
リリィのお礼を耳に入れ、そっと彼女の頭を撫でる。
…俺が手出し出来るのはここまでだ。ここから先は、やろうと思えないし、やる資格も無いだろう。
俺が何もしなくなり、暫く経つと、リリィが小さく目を瞑った。
どうやら眠る時間となったらしい。
「───そろそろ、時間です。明日にも、当然ながら仕事があるので」
「…」
その声には、寂しさと恐ろしさが含まれていて。
何も言えずに黙ってしまう。
彼女を直そうとしている俺に、彼女を慰める資格は無い。
だが彼女は。その中でも希望を見いだすように、何度か質問…というよりもお願いしてきた。
「ご主人様。私は、嫌な魔族でしたか?」
「そんな訳無いだろ。リリィが居た日常の方が、楽しかったに決まってる」
即答する。リリィが悪い魔族なんてことはあり得ない。
それを言ってしまうなら、俺の方が余程嫌な存在だ。
「ご主人様。私は貴方にとって、どんな存在でしたか?」
「リリィは俺にとって、大切な仲間で、ほんの少しだけ、気になる女の子だった」
少し考えてから、答える。もしかすると、リリィを好きになる未来もあり得たのかもしれない。
「ご主人様。今の私を、覚えていてくれますか?」
「もちろんだ。絶対に忘れない」
即答する。いつか記憶が磨耗して消え去る日が来ても、彼女が居たことは忘れない。
それこそ、記憶を弄ってでも…覚えていてみせる。
これで、リリィからの質問は終わった。
彼女は満足そうに顔を綻ばせている。
───そんな彼女に、何かしらプレゼントをあげたくて。
余計なことだと分かっていながら、俺は彼女に問いかけた。
「…リリィ。最後に何でも望みを言ってくれ。今の俺に出来ることなら、なんだってする」
リリィはゆっくり目を開けて、暫く考え込む。
そして答えが纏まったのか、彼女はさっきのように顔を赤らめながら、その要望を口にした。
「では、少し目を瞑って下さい」
言われて直ぐに、目を瞑る。
真っ暗な視界の向こう側で、リリィが息を飲む音が聞こえた。
遅れて、頬に感じる彼女の吐息。
リリィの顔が近付いている。それに緊張するものの、顔に出す訳にもいかない。
そして、何やら柔らかいものが、俺の頬にそっと触れる。
「───私は、幸せです」
その言葉を最後に、正面にいるリリィの動きが少なくなった。
恐らく眠ったか、眠ろうとしているのだろう。
そして、約一時間後。
リリィが返事をしないのを確認してから【狂人化】を起動。
【外部から操作された心】を正常にさせ、余った力はどうでもいいことに使用。
彼女に倣うように、強制的な眠りに落ちた。
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日が出始める頃、リリィは遊夢より先に目覚めた。
「……メイド、やってたんだ。私」
彼女は他人事のように、そう呟く。
遊夢の手によって人格が変わった彼女には、『アザーファル』のメイドとして働いた記憶はあっても、その実感は無かった。
自分に似た誰かが、そんなことをしていた、という感覚に近い。
「…はぁ」
それは、遊夢から聞いていたことで、覚悟もしていたことだけど。
やはり、少し落胆してしまう。もう実感を失ってしまったあの時間は、魔族としての時間よりもよっぽど楽しいものだったのに。
ふと、寝返りをうってみる。
壁を向いていた体が、その反対方向──静かに眠っている遊夢へと向けられる。
彼がこんなにも直ぐ近くに居るなんて思えなかったのは、それこそ記憶の実感が消えたためか、それとも寝ていたせいか。
リリィは咄嗟に体を回転させ───勢い良く、壁に頭をぶつけた。
「痛…!…ユウム君は───起きてない、かな」
忙しなく半回転を続けるリリィ。
彼女は今の失敗で羞恥に顔を赤らめながら、今の音で彼が目覚めていないかを確認した。
…しかし、何もない。
リリィには知るよしもないが、今の遊夢は【狂人化】の反動で、ほぼ気絶に近い形で眠っている。
ちょっとやそっとの物音で起きるはずもない。
「……ユウム・アオハラ。私を受け入れてくれた人間の一人で、私を壊した人間で、私に住む所を与えてくれた人」
それをいいことに、彼女は声に出して、自分と遊夢の関係を整理していく。
───やっぱり、実感なんて湧かないなぁ。
メイドとして…というよりも、『グランドフォレスト』で目覚めた時からは、自分という存在があやふやだ。
逆を言うなら───。
「なんて、不潔。あなたのことで思い出せることが、こんなことだなんて」
狂夢に精神を壊される前のことは、実感を伴って覚えている。
堪らず自分の唇を押さえて、遊夢から目を逸らした。
「…そういえば」
しかし、何か思い付いたのか。リリィは直ぐに、遊夢へ視線を戻した。
大事なことを確かめ忘れていたためだ。
もし、それさえも忘れてしまっていたら。
そんな不安に駆られるが、確かめないことには始まらない。
「……失礼します」
なんて言いながら、リリィは彼に覆い被さった。
抱き合える程に密着した状態で、遊夢の顔を確認して、頭の中で彼の名前を反響させた。
それと同時に、真っ赤に染まる顔、暴れだす心臓。
不快ではないそれらの異変を受け止め───リリィは安心した。
「…よかった」
「…っ!?───お、おはよう。リリィ」
「きゃ!?お、おはようございますです!?」
ちょうどその頃に遊夢が目覚め、至近距離で挨拶を交わした。
リリィの言葉が変になっているが、遊夢は特に気にしていない。
「それで、どうだったリリィ。俺のこと、恨んでるか?」
少し不安げに訊ねる遊夢。
彼に対して、リリィは笑いかけながら答えた。
「…いえ、大丈夫ですよユウムさん。一番大事なことは、胸に残ってましたから」
胸に手を当てて、その鼓動に耳を傾ける。
リリィの中で一番大事なこと。
遊夢への恋情は、絶えることなく存在し続けていた。




