77話 異常を正常に
揺れる、揺れる。
馬車という乗り物に乗った時は、何度経験してもその感想がついて回ってくる。
武器の確認をした俺たちは、直ぐに村を出たのだ。
玄鬼さんは馬車に乗っているが、早苗は村に置いてきている。
「……」
揺れる、揺れる。
石などを踏むことで生じる揺れなのは分かっているのだが、何故か俺は、炎の揺らめきを想像した。
不安定にゆらゆらと揺れていて、いつ消えるかも分からない状態。
こんなことは認めたくないのだが、それは、俺の心───特に、鈴音への愛情を表しているのではないかと思っている。
いつもの如く、他の皆は睡眠中。
気を利かせてくれたのか、俺は馬車の端にいて、隣に座っているのは同性であるユートだ。
「やること、いっぱいあるなぁ」
今の内に、やるべきことを頭の中で整理する。
一つは、リリィの洗脳を解くことだ。
今までうやむやにしていたが、無視できる問題ではないことを再確認させられた。
彼女がどう思っているかは分からないが、出来ることなら戻してやるべきだと思う。
一つは、アレらの使用だ。
今、馬車の荷台に積んでいる木箱。あの中には、ある物が入っている。
それらを使いこなせなければ、俺は霊器を上手く使えないらしい。
何が入っているのかは大体想像がつくが、幾ら入っているのか分からないのは中々に恐ろしい。
次に、暁のこと。
彼女がなぜこの世界に居るのか。何故よりによって魔族なのか。
もしかしたら、リエイトが知っていることかもしれない。
そして、出来ることなら……俺の中にあるはずの恋愛感情を、白黒ハッキリ決めたい。
鈴音が好きなのか、セティが好きなのか。それとも他の女の子が好きなのか。
───もしくは、全員が好きなのか。
どの結論に至っても苦しむだろうが、逃げていい問題ではない。
そんなことを考えていると、次第に視界が朦朧としてくる。
どうやら、普通に眠くなったらしい。辺りを見てみると、空は真っ暗に染まっていた。
「…おやすみ」
誰に言うでもなく、そう言って眠りに就く。
多少は疲れていたのか、驚く程早く、俺の意識は闇に沈んでいった。
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「やぁ、おかえり。武器は創って貰えたかな?」
王都に帰ってきた俺たちを出迎えたのは、言わずと知れた小さな神様だった。
彼女は気さくに手を挙げながら、俺たちが持っている武器を見る。
数秒観察して、知りたいことは分かったのか。
俺たちの返事を聞くまでもなく、満足そうに頷いた。
「うんうん、これは良いね。このレベルになると、僕ですら創るのに一時間はかかる」
「…アンタのせいで、急にこの武器の凄さが分からなくなったんだけど?」
「立派な誉め言葉さ。僕を誰だと思ってるんだい?武器は専門外だけど、それでも並の神が比較にならない程度には一流さ」
リエイトの発言に、エストレアは頭を痛めている。
リエイトの基準はあてにならないので、俺は彼女の言うことを大体スルーしているのだが、エストレアは違うようだった。
エストレアと話し終わったリエイトは、今度は俺の前に歩いてきた。
彼女は“常世刃”を見て───何故か吹き出した。
その行動が何故か分からなくて茫然とする。
そうしている間も、彼女は小さく笑い続けていた。
「なんだよ」
堪らず問いかけると、笑い声が更に小さくなる。
顔を上げた彼女の目には、うっすらと涙が滲んでいた。
一体どれだけ笑ったというのだろうか。
「いやだって、それ、酷いでしょ?幾ら遊夢の能力に学習特化があると言ってもさぁ?」
「あー。短剣や槍なら未だしも。弓や鎖鎌なんかもあるらしいからなぁ」
何を言いたいのか分かったので、溜め息を吐きながら返事する。
詳しくはまだ伏せておくが、霊器の能力は、俺と同じ変身──形状変化能力である。
一体何をどうしたら剣から弓矢になるのかさっぱり分からないが、答えが出ないので考える気はない。
それを言ってしまえば、【獣人化】で耳や尻尾が生えるのも十分に意味不明だし。
「……。ま、今日は休みなよ。色々あったらしいしね。話は明日聞くよ」
見透かしたようにそう告げる。
どうやら、俺から話があるのは既にバレているらしく、その上今日は取り合ってくれないらしい。
「そうね。今日は休ませて貰うわ」
「···ばいばい」
「それじゃあまた明日」
各々が別れの挨拶をして、その場を去る。
皆が去っていく中、俺だけは立ち止まって、リエイトと向き合う。
「遊夢」
ただ真っ直ぐ、彼女を見る。
二つの紅い瞳が、俺を試さんとしているのが、何となく分かる。
「君、リリィに手を出そうとしてるでしょ」
「…誤解を招く言い方をするのは止めてくれ」
それでも、一言目は軽快に。
俺をからかうように、リエイトはわざと大きな声で、誤解を招く言い方をする。
それをお互い分かっているからか、それらに対しての追及は無い。
恐らく、大事なのは二つ目。
「じゃあ───」
『『アザーファル』のメイドを、殺すつもり?』
周りには聞こえないように、俺の頭にのみ問いを伝えてくる。
それは俺が予想していたもので、出来れば答えたくないものだった。
リリィを殺す。
リエイトが言ったのは、つまりはこういうこと。
俺がやろうとしているのはそんなことじゃないが、結果として、『リリィ』を殺すことになるだろう。
だから、認めたくは無かったのだが───。
「ああ」
俺はリエイトの答えを肯定して、彼女から逃げるように背を向けた。
それに対する返事はない。リエイトが俺の行動をどう思っているのか。
肯定か、否定か。
どちらかの返事が来ると思っていた。しかし、そんな俺の予想に反して、返事が来ることは無い。
「───」
十数秒経ってから振り返ると、そこには誰も居なかった。
ただ、街から聞こえてくる騒がしさが、風に乗って虚しく響くのみ───。
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正直に言うと、俺は未だに迷っている。
リリィの洗脳を解かなければならないと思う一方で、このままでも構わないと思ってしまっているのだ。
理由は単純明快。リリィが幸せそうだからである。
彼女が笑わないのなら、迷うことは無かった。
前の彼女の方が明るかったのなら、躊躇うことも無かった。
けど、今彼女は幸せそうに笑っているし、前の彼女のことなんて分からない。
「情けないことは分かってる。けど、俺はどうしたら良いのか分からないんだ」
「…で、アタシに相談したと」
その悩みを、エストレアに打ち明ける。
ユートにはこの前悩みを聞いて貰った以上、連続で悩みを聞いて貰うのは悪い。
それに…セティやアグニには、“悩み”という踏み込んだ話をしたく無かったのだ。
「……。なーんか、後ろめたいことがありそうね。最近は特にそう。ユウム、あんた、セティとアグニから距離取ってるでしょ?」
当然のように看破される。
最近、エストレアの視線をよく感じるのだ。恐らく、観察の部類だと思うのだが。
「……」
「沈黙は肯定って受けとるわよ?…まぁ、なんで距離を取っているから言わなくて良いわ。セティたちは女で、アンタは男。めんどくさいこともあるだろうし」
「そうしてくれると、助かる」
先日、ユートの提案を受け入れた俺は、「事が済むまでは全員友達」と認識するように努力していた。
しかし、それでもやはり。
ふとした瞬間に、彼女たちを異性として認識してしまうのだ。それもただの女の子としてではなく、何らかの情…恋愛感情が混じりあった、複雑なもの。
セティへの情、アグニからの情。
無意識の内にそれを感じてしまって、心が揺らぎそうになる。
そしてそれは、リリィにも少しだけ適応されるのだ。
しかし、それをぼかしているため、俺の意志がエストレアに伝わる筈もなく。
「どうしたら良いか分からない、ね。本人に聞くのが一番よ、そういうのは」
あっけらかんと言い放ったエストレアは、席を立った。
慌てて引き留めようとするが、彼女はそれより早く行動を起こした。
エストレアは大きく息を吸ってから…。
「ま、待ってくれエス───」
「リリィ!今すぐ降りて来なさい!!」
家中が震える大声で、二階に居るであろうリリィを怒鳴り付けて、脱兎の如く二階へと駆け上がる。
バタバタという喧騒から少し遅れて、ユートの悲鳴らしきものが聞こえた。
一体何を考えているのか。音から察するに、ユートは部屋から引っ張り出されたらしい。
「え、エストレア様!何の御用でしょうか!」
エストレアと入れ違うように、リリィが大急ぎで降りてくる。
咄嗟に飛び込んできたのか、彼女は寝間着のままで、それも所々はだけている。
相当慌てていたのか、暫くの間、リリィは俺の事が目に入っていないようだった。
ひたすらエストレアを探してキョロキョロしている。
「リリィ!ユウムから話があるらしいから、今日はユウムの部屋で休みなさい!ユートは引っ張り出してるから!…ああ、ユートはこっちね。女装経験あるし、大丈夫でしょ一日くらい」
「なんでさ!?もうちょっと警戒心とか持とうよ!?」
「そんなこと言う暇あったら、もうちょっと男らしい顔つきになりなさい」
エストレアたちの寝室が音を発てて閉じる。
同時に先程までの、嵐のような騒がしさは静まった。
「…え、あの?」
「───」
頭を掻く。
ご丁寧に鍵を掛ける音まで聞こえてきたため、リリィを女子の部屋に送り返すことも、ユートを取り戻すことも出来そうにない。
目の前に居るのは、何が何だか分からずに困惑している少女一人。
気は進まないが、今回は俺が言い出したことだ。意を決して、口を開く。
「そういう訳だ、リリィ。今日は俺の部屋で眠ってくれ」
「……はい?」
リリィはきょとんとしたまま、そんな間の抜けた声で返事をした。




