74話 簡単な解答
「邪神殺しの報酬──つまり、願いを叶えるという条件は、遊夢にとっては新しい希望になった」
口元を歪ませて、俺はさも愉しげにそれを言う。
これは希望の始まりの記憶。
鈴音から授かった使命しか無かった俺たちにとって、リエイトのあの言葉は希望そのものだった。
『死者を甦らせることだって、できるのさ』
「リエイトはそう言って、遊夢は即座に願いを決めた。それはもう、一瞬さ。考える時間なんて、一秒たりとも要らなかったね。そして言った。環司鈴音を生き返らせてくれってな」
「それは分かってるよ。だってあの時君は言っていた。『俺の願いはある神の蘇生だ』って」
ユートも覚えていたらしい。
そう。俺はそれを目標にしてここまで生きてきた。
遊夢の狂気でもある俺は、それこそ狂気的に鈴音を愛している。
彼女を見たい。彼女に触れたい。彼女の匂いを嗅ぎたい。彼女を抱きしめたい。彼女に愛を囁きたい、囁かれたい。
たったそれだけでは飽きたらない。もっともっと、俺は彼女を知りたくて堪らない、知られたくて仕方ない。
ありきたりな言葉で表すならば。
俺は彼女の全てを独占して、彼女に全てを独占されたいのだ。
───言ってしまえば、それが俺たちの行動原理だった。
「で、だ。そもそも、どうして俺は鈴音の復活を願ったと思う?」
頭に爪を立てて、刺激を与える。
鈴音のことしか考えられなくなって、話すことを忘れていた。
ユートを見つめて、返事を待つ。
彼は常識を語るように、質問に答えた。
「それは、リンネさんが大切だったからでしょ?多分、異性として」
「That's right。俺は鈴音を愛してたからこそ、鈴音の復活を願った」
「ざ、ざっつら?」と呟くユートのために、少し声量を上げる。
少し調子に乗るために英語を使ってみたが、やはり違和感を感じた。
意味も通じていないみたいであるし、これからは使用を控えよう。
「この際鈴音を好きになった理由はどうでもいい。俺たちにとって大切なのは二つ。鈴音を愛していたことと、それによってやる気を出していたことだ」
「…つまり、やる気が無くなった?」
ユートが静かに呟いたので、わざとらしくゲラゲラ笑う。
こいつがそれに気付いたかは分からないが、今の発言でそれが分かれば上々だ。
───さぁ、こっからが仮面の着けどころだ。
先程よりもニヤつきながら、心だけは急速冷凍させていく。
ここからの話は、出来ればやりたくはない。
しかし、話さなければならない所なのだから仕方無いだろう。
「ああ、そうさ。俺たちは邪神殺しへのやる気を無くした。正しくは見失った。どうしてだと思う?」
「それは───」
今度は即答しなかった。
ユートは何やら考えているらしく。俯いて黙りこんでいる。
それでも答えは一つしかなく。
観念したユートは、その答えを口にした。
「きっと、リンネさん以外に好きな人が出来たからじゃないかな?」
「───ああ、その通りだ」
狂気の愛を否定するような、しかし正しい答えを。
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「───ああ、その通りだ」
そういうキョウム君の顔は、まるで喜劇を話しているピエロのようだった。
ニヤニヤしながらも、瞳はどこか冷たくて。
自分のことを話しているはずなのに、そんな実感を抱けない。
でも、強いて言うならば。
彼のその愉しさは、わざとらしかった。
「遊夢はあろうことか、別の女を鈴音に重ねやがった。ああ、確かにあの女は鈴音に通ずる所があったさ。もし鈴音を生き返らせる手段が何一つ無かったら、俺たちは揃ってあの女を愛してただろうな。それこそ、一途に」
口調は変わらない。
彼は相変わらず飄々としている。
…でも、違う。
「でも、事実鈴音を生き返らせる手段はある。だったら、鈴音との関係を、鈴音への感情を自然消滅させることは出来ない。その癖、無意識で別の女について考えてる」
「…それって誰のこと?」
彼が言う「あの女」が誰なのか分からなくて、問いかける。
けれど彼はその質問に答えることなく、自分だけの話を続けた。
彼の視界に僕は入っていない。
言葉を借りるなら、彼は今絶賛自己嫌悪中であり、憎しみの矛先を自分に向けている。
「二つに一つを選ぶなら、そりゃあ鈴音だ。この理性が有る限り、遊夢はそれ以外の選択を許せない。もし選ぶ可能性があるなら、鈴音にフラれた時だけだろうな。
…問題はそこじゃない。遊夢が鈴音以外の女に好意を抱いたことが問題だ。どれだけ鈴音を愛してると言っても、個人の愛には限界がある。それは遊夢も俺も例外じゃない。差があるのは量と深さであって、差がある時点で無限なんてものは無いんだ。それで、さっき言ったように、遊夢が邪神殺しにやる気を出しているのは、単に鈴音への愛情故にだ。
───つまり、俺があの女に好意を抱くと、やる気も失せるってことだ。好きでやってたことが義務に成り下がるからな」
「…君は、あくまで自分の為に動くってことだね。誰かの為の行動は、やりはするけど全力は出せない。そういうこと?」
「そういうこと。よく纏めたじゃないか」
ケラケラ笑いながら、キョウム君は僕の結論を肯定する。
その笑みも、今この場ではわざとらしい。
「…ま、今ユウム・アオハラが抱えてる問題はこれだけだよ。鈴音以外の女に好意を抱くことが許せずに、勝手に自己嫌悪に陥ってるだけだ。そして、勝手だからこそ相談出来ない」
「君はどうなの?ユウム君と同じ存在なら、やっぱり彼と同じように…?」
先程まで語っていたことは何だったのか。
たった二言で纏めるキョウム君に、一つ訊ねる。
今まで聞いてきたのは、ユウム君の状態についてだ。
それなら、彼の別人格であるキョウム君は、どう思っているというのだろう。
「概ね同じだが、細かい部分は違うな。自己嫌悪していて、鈴音以外を愛することを許せないとは思ってる。けど、俺は遊夢と違って確信してるのさ。どんな道を選ぼうと、遊夢は必ず幸せになれるってな。平たく言えば、未来に希望を抱いてるか否かだ。今の遊夢には、未来を見ようとする余裕すらないからな」
「…ユウム君“は”?」
彼の言葉が引っ掛かったので、更に追及する。
こんなことを聞くのは失礼だと思っているけど、それはもう、今更というものだろう。
僕の言葉を聞いた彼は面倒そうに、事実だけを淡々と述べる。
「俺は無理だな。ギリギリ、幸せになれない。…おっと、これ以上の追及はナシだぜ?」
「…分かったよ」
幸せになれないとは、どういうことなのか。
聞きたかったけど、それは事前に止められてしまった。
「これは仕方ねぇよ。俺が遊夢の一部である限り、俺が幸せになることは多分無い。しょうがねぇよな。誰もが幸せになるハッピーエンドなんて、俺には似合わねぇし。…ああ、それが許容出来るなら。ハーレム展開もバッチ来いな人格だったら、こんなことで悩んだりは───」
キョウム君が遠くを見る。
ハーレムっていう言葉の意味は分からなかったけど、彼の発言を聞いていると無性に腹が立つ。
だって、それは違う。
ハッピーエンドエンドが似合わないなんて、そんなことはおかしいではないか。
キョウム君は悪人かも知れないけれど、幸せを望めないなんて嘘だ。
だから、それを理不尽だと感じたのだ。
「───っ!?…あ、そうだよ!」
理不尽だと感じると、謎の頭痛にみまわれる。
同時に、ある考えが脳裏に浮かんだ。
とんでもない屁理屈ではあるけど、きっと無いよりはマシだろう。
「ん?」
いきなり大声を出した僕に対して、彼は疑問の目を向ける。
感傷的になっていたのに、空気を乱した僕に怒りを覚えているのだろう。
ピエロの時間は終わったのか。今の彼は見るからに不機嫌だ。
「なんだよ、いきなり大声出しやがって。俺だってたまには感傷に浸りたい時もあるぞ」
「あ、ごめん。えっと、君の問題なんだけどさ」
「…なに?お前に解決出来る問題じゃないと思うんだが?」
「いや、それもそうなんだけどさ。なんか、急に閃いたから、言うだけは言おうかなと」
どうして急に閃いたのかは本当に分からない。
仮に【絶対斬り】が関係してるなら、幾らなんでも自由すぎると思うのだけど。
…『理不尽』っていう単語が浮かんだと同時に閃いたから、強ち否定出来ないのが恐ろしい。
「キョウム君ってさ。恋愛の意味以外で好きな人は居る?」
「は?当然だろ。お気に入りは『アザーファル』の奴ら全員だ。リエイトは面白いし、マリアは綺麗だし、ラックは人にしてはスペック高くて面白い。ライドは近所のおっさんっぽくて楽しい。ああ、人類大好きとまではいかねぇが、嫌いな人間もそんなに居ないね」
キョウム君の…そして、恐らくはユウム君の物でもある返答に、安心する。
もし否と返されていたら、前提が成り立たなくなってしまうのだから。
「なら、それでいいじゃないか」
「……ん?」
「別に、何もかも恋愛に置き換えなくたって良いんだよ。例えリンネさんを異性として助けることが出来なくなっても、友達として助ければいい。どう転んでも、君は彼女が好きなんでしょ?だったらさ、そんな細かく考える必要無いって」
どうにかして絞り出したのは、そんな屁理屈一つだけ。
要は、「誰が異性として好きか悩んでいる間は、皆友達として見ていればいい」というもの。
人の心がそんな単純じゃ無いことは分かっているけど、今の僕が言えるようなことはこれだけしか無いのだ。
怒られることを承知で言ったので、直ぐに身構える。
しかし、その必要はなかったらしい。
彼は目を見開いて、固まっている。
「おいおい、聞いたかよ遊夢」
「え、起きてるの?」
僕の問いかけは無視して、彼は自分の中に居るであろうユウム君と、何やら話しているようだった。
不気味な対話はほんの少しの間だけ続けられて、次の瞬間───、
「きききき、くははははははははは!!いやいや、それじゃあ意味ねぇって!問題先伸ばしにしただけなの、分かってるかお前!?」
腹を抱えて大爆笑した。
その純粋な態度を見て、警戒していたのがバカらしくなってきた。
そのせいで恥ずかしくなってきたので、早口でどうにか言い返す。
「や、やる気が無いって自己嫌悪になってたのは君じゃないか!」
それが思いの外効いたのか。
彼は笑うことを止めて、真っ直ぐ僕を見据える。
そして意外にも、彼はマトモなお礼を言ってきた。
「───ま、それもそうだ。感謝するぜユート・ルーメント。…んじゃ、そろそろ【狂人化】は裏に戻るとしますかね。そういう訳だ。しっかり働いて、鈴音を助けろよ遊夢」
言い残して、彼は目を瞑る。
次に目を開ける頃には、彼はもう、ユウム君の裏に隠れているのだろう。
「───どういたしまして」
「───声に出さなくても分かってる」
礼を言うと同時に、目の前の男性が目を開ける。
先ほどまでのどこか歪んだ雰囲気は消え去って、今は呆れた様子だ。
発言から鑑みるに、今の彼はユウム君なのだろう。
「俺からも言っておくか。ありがとうユート。お陰で、踏ん切りがついた」
「どういたしまして。君にとっては、これからが大変そうだけどね」
「言わないでくれ。確かに戦う動機は取り戻したけど、自己嫌悪はあんまり治まってないからさ」
困ったように笑う。
確かに、問題は山積みだ。
彼にとっては、好きな異性の問題もある。
それ以前に───。
「帰ったら、エストレアさんに怒鳴られそうだなぁ」
「なんか言ったか?」
「ううん、何も」
帰ったら間違いなく、皆からの尋問が待っているのだから。
遊夢が目覚めたのは、狂夢の一人称が遊夢になった時。
狂夢と遊夢の意見が完全一致している場合、または極限の集中状態の場合に限り、一人称を遊夢としている。




