73話 赤い鈴は恋に落ちる
場所は変わり、神殿。
故あって幽霊のような状態で存在している環司鈴音は、落ち着かない様子で広間を歩き回っていた。
『……』
無言のままではあるが、その顔色は優れない。
もし肉体があれば甲高い足音を響かせているであろう足取りはしかし、幽体であるために全くの無音である。
(…遊夢さんの気配が遠ざかってから暫く経っています。彼は無事でしょうか?)
考えるのは常にそのこと。
名前を知る人間が彼女の中では遊夢しか居ないという理由もあるが、それにしても考えすぎというものだろう。
「だからさ、考えすぎだって。今は錬…職人が武器を創ってる所だからね。多分、チームの皆と村で過ごしてるんじゃないかな?」
『それは、そうかもしれませんが…』
もう慣れてしまったからか。突然現れたリエイトに驚くことなく、普通に会話を成立させる。
それを面白いと思えるはずもなく。予想通りの反応に対し、リエイトは笑いながら言葉を紡いだ。
「うん?誰かに遊夢を取られないかと心配なのかな?」
『どういう意味ですか?』
相変わらず鈍感な鈴音の問い。当然その返答すらも想定内であったため、リエイトは話を続ける。
九割程は面白がっているだけなのだが、この問題から目を逸らせないという意図もある。
彼女が理解しているはずもないであろうが、遊夢と鈴音を繋げているのは十中八九そういった情であり、互いに抱き合っているものなのだから。
遊夢が告白するかはさておいて、無自覚な恋心に愛を遠回しに教える程度のことはするべきだと、リエイトは考えていた。
「どうって、そのままの意味だよ。今遊夢が居るチームには、五人の女性が居る。うち二人は家政婦みたいなものだけど、女性として魅力的な部類であることに変わりはないでしょ。遊夢だって健全な男性だからね。君の知らない内に、他の女と交わって子を成しても、何の不思議も無い」
女という単語をわざと強調して、有り得る可能性の話をする。
実際、アグニは一度遊夢に告白しているし、セティは遊夢の悩みを解決する一因となっていた。リリィだって遊夢と特別な関係であり、遊夢が彼女らの誰か、あるいは全てと結ばれる可能性は存在する。
彼は知らないが、この世界では一夫多妻制は存在しており、一般的な冒険者の間にもそう言った家族体系は実在している。
貴族や王族以外では珍しい事例ではあるが、決して不可能ではないのだ。
『…そ、それがなんですか。人と人が結ばれるのは道理です。彼が誰と結ばれようと、私には関係ありません』
「……」
鈴音は先程と同じように返答したつもりではあったが、何かしら思う所はあったのだろう。
明らかに声を強張らせ、それでも神として「関係ない」と否定した。
その感情が不安や嫉妬の類であると理解出来ていない鈴音は、何度か咳払いをして喉の調子を確かめる。
その間、リエイトは鈴音から顔を逸らして、口元を三日月形に歪めていた。
(なんだなんだ。鈴音って案外嫉妬とかするんだ。うん、可愛いなぁ。マリーは怒ったり悲しんだり、羨んだりはするけど、嫉妬なんてものは無いからちょっと新鮮だね)
内心でほくそ笑みながら、表面上は平静を保つ。
「それじゃあ、遊夢が他の子にばっかり構って、相手にされなくても寂しくない?」
『それは───』
少しだけ踏み込んだ質問に、鈴音は返事をせず、深く考え込んだ。
沈黙は数分間続き、その間鈴音は石像のように固まっている。
脳内では「遊夢が自分に構ってくれない未来」を様々な度合いでイメージして、自分から沸き上がる感情を細かく調べ上げた。
その結果。熟考したとは思えない程あっさり、しかし少し瞳を潤ませながら、その事実を告げた。
『寂しいです。胸がぎゅっと締め付けられて、息をすることすら苦しくなってきます。…あれ?どう、して』
潤むだけには留まらない。直ぐに涙は溢れだし、頬を伝って床を湿らせる。
自分が涙を流している理由が分からない鈴音は、きょとんとしながらも目元を拭った。
何度も、何度も。それでも涙は涸れることなく、止めどなく溢れ続ける。
例えば、遊夢さんに嫌われたら。
例えば、遊夢さんに無視され続けたら。
例えば、遊夢さんが───他の女性に、笑いかけていたら。その笑みを、私に向けてくれなかったら。
たったそれだけのイメージが、彼女を苦しませる。
過去、自分が殺されても、ここまで悲しみはしなかったはずなのに。
それを見たリエイトは、溜め息を吐きながら頭を押さえた。
幾ら何でも、これで自覚が無いなんて嘘だろう。鈍感にも程がある、と。
「…だからさ。それが好きってことなんじゃないの?僕だってキチンとは分からないけど、そこまでいってるなら殆ど確定じゃないかな」
『好、き?』
意味が分からない。「好き」とは一体何物ですか?
そんな声が聞こえた気がして、リエイトは思わず苦笑する。
鈴音の挙動にデジャヴを感じながら、リエイトは「好き」という感情について解説し始める。
当然、実体験に基づいている訳ではないので殆ど憶測なのだが。
「好きっていう単語は色々あるけれど…鈴音の場合は、異性への愛情だね。君はほぼ間違いなく、青原遊夢を一人の男性として愛している」
慌てて否定することも、手放しで肯定することもしない。
鈴音は静かにリエイトの言葉に耳を傾けて、自分の気持ちに整理を着けていた。
それを聴いていると判断し、リエイトは話を続ける。
人に物事を教えるのが好きなのか。彼女の声色は軽く、柔らかい。
ついでにスキップなんかもしながら、鈴音の周囲をぐるぐる回っている。
「確かに、神は恋愛感情が希薄だよ。それは君の知識にも植え付けられているし、現に僕やマリー──マリアは、そういった愛情を誰かに抱いたことはない。でもね、無くは無いんだ。過去、人と結ばれた神様は存在するよ。それも大量にね。神話なんてものはそこから物語が始まったりするけど…ってこれは関係ないか」
話が反れそうになったので、笑って誤魔化す。
やはりスキップしながらは良くないと思ったのか。リエイトは二つの椅子を造り出し、自分の側にある椅子に座る。
今度は鈴音に座るよう促して、彼女が座るのを待った。
鈴音が座るのを確認し、再び口を開く。
「つまり、人と神がそう言った関係になるのは何の不思議もないってこと」
『そう言った、関け…』
「そうだったね、そう言えばそれすら分かってなかったね!?」
ここまで話して、やっと理解したのか。
リエイトは大げさに声を荒らげ、わざとらしく椅子から立ち上がった。
無論オーバーリアクションではあるのだが、それを指摘するものは居ない。
神殿の主であるマリアは、私用により奥に立て籠っているのだから。
「…うーん。見せた方が早いよね?」
『見せる…?“そう言った関係”についてですか?』
「そうそう。確か今日はラックが子供を連れてたはずだから…ウォールの家にでも突撃しようかな」
残念ながら、リエイトの交遊関係は狭い。
そのため、リエイトが見せたい関係に至っている知り合いはたったの一組。しかも、妻の方との面識は一切無いのだ。
更に言ってしまえば、今からやろうとしていることは紛れもなくストーカー行為でもある。
それに良心の呵責を感じるかは置いておくとしても、やはり下手にするべきではな───。
「…あ、本当に突撃したら問題ないや。それじゃあ鈴音、着いてきて」
『??』
リエイトの意図が分からぬまま、鈴音は彼女に着いていった。
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あの後リエイトは、デート中のウォールたちと無理矢理合流した。
何でもないように「この子に恋人関係ってのを見せてあげたいから、見学させてよ」とお願いし、これをルミナは快諾。ウォールも渋々ながら承諾した。
条件として、リエイトたちは姿を消すことが挙げられたが、そんなことは朝飯前。
元々幽体である鈴音はおろか、リエイトでさえ【概念化】によって条件を満たした。
そして鈴音には「彼らの行動を自分と遊夢に置き換えること」と言いつけて、陰でとある記録を録っていた。
そして、夜。
未だに熱を持った体を放置したまま、鈴音は自室のベッドに体を預けていた。
『あれが、恋人。あれが、好きっていう気持ち、ですか』
手に持っている紙を見つめる。
そこには、鈴音の感情の変化がこと細やかに記されていた。
特に、遊夢のことを考えている時に関して言えば、通常の何倍も感情が高ぶっているらしい。
今日の出来事を思い出し、それを再び、自分と遊夢に重ねてみる。
同時にまた熱が上がるが、今はそれすら心地いい。
それが妄想の類だと、知識としては理解しているものの、やめることは出来なかった。
こんなに嬉しい感情が、悪いものであるはずが無いと。そう思っているのである。
そう言えば、と。
鈴音はあることを思い出した。
『…ちょっと。ちょっとだけ、胸が痛みますね。これが嫉妬ってものでしょうか』
現在、遊夢は仲間と行動している。
リエイトからの情報ではあるが、遊夢の仲間は非戦闘要員も含めて六人。内女性が五人とのことだ。
流石に、全員が全員遊夢に気があるなんて思わない。
それでも、一人くらいは遊夢に気があっても不思議ではないのだろうか。
そう思っているからこそ、少し不安になる。
実際は一人どころか三人なのだが、それは知らぬが仏というものだろう。
『…駄目ですね。羨むだけならまだしも、嫉妬なんて。彼は私のものではないというのに』
しかし、それは違うと。
鈴音は自らの感情を押し留め、目を瞑った。
『ああ、でも』
嫉妬する自分は醜いとは思っている。
だがしかし、同時に、鈴音は人としての感情を一つ理解していた。
それは当然の帰結。
嫉妬が生まれる前には必ず、ある感情が生まれていなければならない。
それは自覚する時も同じく。嫉妬を理解するなら、その感情も理解していなければならない。
『それだけ私は、遊夢さんが、好きで好きで堪らないってこと…ですか』
初めて異性を意識しながら、「好き」と呟く。
普通に言おうとしても、口はほんの少し固まって、音にすることを妨げた。
しかし、それも一瞬。
一度口にしてしまえば、もう逃げることも隠すことも出来ぬ程に。
彼女の身体は男への恋心で埋めつくされた。
『───』
気持ちが落ち着くのを待ってから、鈴音は一人考えた。
遊夢との日々を夢想するのはいい。
しかし、前提として、遊夢と再会することが可能なのかと。
『…大、丈夫です』
そこまで考えれば、自ずと今の状況が嫌でも分かる。
───今私は死んでいて。
───遊夢さんは邪神を殺すつもり。
事実はこの二つ。なら、鈴音が遊夢と再会する方法は一つしかない。
それは邪神殺し。
かつて鈴音が神として依頼したものであり、現状、環司鈴音を生き返らせる唯一の手段だ。
それに、遊夢は命を賭けている。
本人が自覚していようとなかろうと、これは紛れもない事実だ。
それならば、こんな結末も有り得るのではないか、と。
神として冷静な部分は、バラバラに引き裂かれた■夢の■タイを脳裏に映し───。
『こんなこと、ある訳無いじゃないですかっ!!』
それを、人の心が必死に否定する。
それでも不安は拭えず。
恐くて仕方無かった鈴音は、朝が来るまで震えていた。
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神は少女のカタチをしていた。
少女は神のカタチをしていた。
神は理性的だった。愛など要らず、世界を重宝した。
少女は貪欲だった。愛を知って、一人の男を愛した。
二つの存在は同じもの。
しかして全く別の者。
そして少女は、一人を愛する者であり。
やはり根は同じく。
少女の神は一つの我儘を願うのだ。




