58話 遊夢を知る者~欠片~
それは、いつのことだっただろうか。
神も魔法も無い世界。
ほぼ全ての事象が機械的に定義された、神から見ればツマラナイ世界での話だ。
そこで普通の少女は、普通の少年に恋をした。
詳しい事情は少女自身にしか知り得ないが、きっかけは大したものではなかったはずだ。
重い荷物運びを手伝ってくれたとか、さらりと彼女が喜ぶ言葉を言ったりとか。
そんなありきたりのものであったに違いない。
「───には、好きな子とか居るの?」
「好きな子?…いや、居ないな。何ていうか、そんな自分が想像出来ない」
中学生らしい話題を振ってみるも、少年はそんなことしか言わなかった。
それでも良い、と少女は思った。
今自分を見てくれなくても、他の子に着いていっていないのならば、幾らでもチャンスはある。
仮に少年に“そういう人”が出来ても自分は祝福しようと考えていたし、それが自分なら喜ぶだけだ。
「そうなんだ。良い人が見つかるといいね」
「良い人、なぁ…。生憎、そこまで女友達居ないし。お前くらいだぞ─。俺の女友達って言ったら」
「───!」
少年にとって唯一の女友達と言われ、嫌がおうにも耳が反応する。
あくまで“友達”であるにも関わらず、だ。
「どうした、熱でもあるのか?」
「な、何でもないよ!それより、妹の面倒見ないと!それじゃあね、───」
「ああ、また明日。暁」
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微かに息を飲む音が聞こえる。
力の数は残り一回。実質使えないのと同じだ。
邪魔な木々の間を駆け抜けて、少女を視界に捉える。
少女はこちらに目を向けると、やはり、その顔を歪ませた。
「生き、てる…?」
「ああ。運良くな」
「そう。それなら、今の内に───って、出来るわけないよね」
自嘲気味に笑う。
敵とは思えないその行動を見て、思わず口を開いてしまった。
当然、それが引き金になることなど、知る由もない。
「誰なんだ、お前。その学生服といい、普通の魔族じゃないだろ」
「───。…あはは、そうだね。それが、普通だよね。──────私のこと何て、覚えたくなんてない、はず」
どこか遠くを見ながら、少女は呟いた。
その目には涙は浮かび、唇は固く閉じられている。
『あちゃー。おい、なんか地雷踏み抜いたぞ馬鹿』
「って、なんで泣いてるんだ!?」
狂夢の白々しさに反応する余裕もない。
少女の涙は演技などではなく、本当に悲しんで泣いている。
だが、理由がさっぱり分からない。
【廃人化】状態で思考すれば心当たりも出てくるかもしれないが、今【廃人化】を起動することは出来ないのだからどうしようもない。
だから、せめて何か聞こうと一歩前進する。
それが、圧倒的に不味かった。
「来ないで!」
複雑な感情が暴れだしたのか。
少女はただ俺から離れる為だけに、闇をこちらに放ってきた。
「な!?」
それは、明らかに密度がおかしかった。
【スキル】でも使っているのでは無いかと疑ってしまう程の、濃密な拒絶反応。
闇というよりかは無に近く、一瞬で俺を『無かったこと』に出来る程度の力は持っていた。
だから咄嗟に、右手を差し出した。
最後の一回に全力を注ぎ、【俺が死ぬ要因】を狂わせる。
「【狂え】!」
それでも『無』は止まらない。
いや、結局即死の要因は取り除けても、闇魔法そのものはどうにも出来ない。
魔法で相殺を狙ってみるが魔法は発動してくれず、ただ右手が闇をねじ曲げようとしているだけだ。
『って、魔法と【狂わせ】の同時使用は出来ないのか!?肝心な所で使えねぇ!』
狂夢が叫ぶ。
なんでお前が分からないんだと問い詰めたくなるが、そんなことを考える余裕なんてない。
右手が闇に呑まれ始める。痛みが右手を苛むが、問題はそこではなかった。
闇はゆっくりと球状に収縮し、
「待っ──!?」
少女の静止より一瞬早く、爆裂した。
「あ」
宙を舞う。
闇に吹き飛ばされた結果、闇から手が離れてしまった。
それはつまり、【闇の即死攻撃をねじ曲げる】という行程が終わっていたことを示し、同時に。
「く、そ…」
俺の意識が消え行くこともまた、示していた。
手を伸ばすが、少女との距離は余りにも遠い。
なので当然のように俺はそのまま意識を失い、山を転がり落ちることとなった。
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魔族の《闇の球》を何とか相殺したエストレアは、まず馬車の護衛を優先させようとした。
幾ら鬼の気配が途絶えたとはいえ、ここはまだ無人の道。
ユウムがどこに消えたか分からない以上、非戦闘員が居る馬車を安全地帯に送り届けるのは、護衛の前提とも言えることであった。
だが、
「私はユウ君を探しに行くよ」
「···なら、私も」
アグニとセティが、ユウム探しを優先させた。
それが護衛としてどれほど愚かなのか、理解出来ない二人ではないだろう。
それでも彼女たちはそう主張した。
馬車を守り、ユウムも探し出すため、二手に分かれるよう提案したのである。
しかしながら、今回はそれをするべきではない。
何故ならば、さっきまでゴブリンの群の迎撃をするのに手一杯だったのだ。
ユウムも居ない上、更に二人抜けられたとあらば、馬車を守りきられる保証は無い。
「駄目よ。セティたちの気持ちも分かるけど、今はこっちを優先して」
だからエストレアは彼女たちの意見を蹴った。
それが仲間を見放す冷酷な決断でも、彼女は一冒険者としての義務を優先させたのだ。
「そういうことだから、早く移動するわよ」
「必要無いぞ」
しかし、その意見を一蹴するものがある。
それは他でもない、護衛対象であるライドだ。
「はぁ!?何言ってんのよアンタ!下手したら死ぬって分からない!?」
「そんなこたぁ分かってる。これでも、それなりに活動していた冒険者でねオッサンは。エストレア嬢ちゃんの意見が正しいことくらい分かってるさ」
エストレアの怒号を無視して、ライドは話し続ける。
彼はエストレアの意見を肯定しながらも、不満そうな顔をし、エストレアを指差した。
「それでも、覚えておくべきだ嬢ちゃん。そんな定石に従って仲間を喪った日には、一生後悔するってな」
「……。アンタは、どうなの?」
エストレアは問う。
───アンタは、後悔したことがあるの?
それにライドは答えない。
彼女の質問を理解出来ていないのか、理解した上で答えていないのか。
結局彼は、いつも通りの声色に戻してから、
「護衛なら心配ないね。玄鬼さん一人で充分。な?早苗ちゃん」
「はい!お父さんは強いんですから」
そう、エストレアの疑問とは違った返答をした。
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そういうことがあったので、エストレアたちはあろうことか、馬車を置いて仲間を探すこととなったのである。
一応ユートも馬車の護衛に回したが、それだけではまだ不安は残るというものだ。
堪らず、小さく不満を漏らす。
「ったく、どこまで行ってるのよ」
「争いの音なんかは聞こえないね。ここを通ったのは確実なんだけど」
先程傷付いたと思われる木を見つめながら、アグニは先を見据える。
それでも、やはりユウムの姿は見えなかった。
「······」
セティは無言で歩み続ける。
エストレアのような不満は抱かなかったし、普通に会話出来る程心に余裕が無かったからだ。
アグニのように傷跡を観察する力も余り無いため、彼女に出来るのはただ周りを観察し、足を動かすことだけ。
何回も転びそうになる。
ユウムの姿が見えずに、不安が募っていく。
気付けば、《ホーリー》を灯り代わりにして、山の中を進んでいた。
既に日は暮れていて、魔物の動きが活発になっている。
「《ウィンド》!」
それでも、魔物を見かけることは余りなかった。
仮に魔物がこちらを見つけても、何故か向こうから離れていくのである。
その中の例外だけを、エストレアたちは撃退していた。
「アグニ、どう?」
「どうしてかは分からないけど、こっちに行くほど魔物が少なくなってる。何か居るかもしれないけど、それは」
それは、ユウ君ではないと。
そう呟こうとしたアグニを、エストレアが爆音を鳴らすことで止める。
発動された《ファイア》の魔法は、オーガの頭を包み、燃やした。
「とにかく調べるわよ。もしこれで見つからなかったら───。何でもないわ」
先は言わない。
エストレアは最悪の可能性を飲み込んでから、アグニが示す方向に向かっていった。
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「──を殺せ」
「っ!?」
いつかの出来事だ。
普通の少女は、同じ学校の少年に日常を壊された。
肉親を誘拐され、玩ばれ、助ける対価として様々な物事を要求された。
万引きに始まり、イジメの協力、自らの体など、数えればキリがない。
実際それを知る者は余り居ない。
彼は裏社会と繋がりを持つ人物で、その程度のことなら簡単に揉み消すことが出来たからだ。
誘拐も、窃盗も、強姦も、そして───殺人も。
だが、それではツマラナイと彼は考えた。
だから、他人にやらせる。
何となく誘拐し、遊んだ少女の姉は、奇しくも同じ学校の生徒だったのだ。
ちょうど、学校で疎ましい人間も出来た頃である。
なので彼は、少女にソイツを殺させることにした。
「それ、は」
「出来ないとは言わせない。あ、言ってもいいぞ?妹がどんな姿になっても良いならな」
彼はある写真を少女に見せる。
大きな痣だらけの、一糸纏わぬ少女の写真だ。
「ついでに言えば、俺たちだけでも──は殺せる。コンクリに詰めて海に沈ませたり、薬で狂わせたりな。ほら、お前がやった方がマシだろ?」
「……分かり、ました」
震える声で返事する。
彼が嘘を言わないことなど、少女は既に分かっていた。
だからこそ、自分が手を下さなければ、──が苦しんで死ぬこともまた、理解してしまったのである。
「よしよし、いい子だ。そういうことなら武器をやろう。誰でも使える、鋭いナイフだ」
彼が鞘に入った刀を放り投げる。
それを受け取ってから、少女はその場から出ていった。
自宅に戻り、自分の部屋に入る。
親は既に亡くなっているので、少女を慰めてくれる者など誰も居ない。
ただ、一人を除いて。
その人物も、結局は他人なのだが。
携帯電話を手に取る。
そして少女は、ある人物に電話を掛けた。
『もしもし?こんな時間にどうした?─』
「ごめんなさい。声が、聞きたくて」
『……。泣いてるのか?大丈夫か?』
「………うん、今はまだ、平気」
電話の主は少女の声を聞き、少女に異変が起こっていることを察した。
だが、それ以上は踏み込めない。
例え嘘でも「大丈夫」と言われてしまえば、それ以上は何も言えないのだ。
『何かあったら言ってくれ。力になるから』
「うん、ありがとう。まだしばらく、いいかな?」
『ああ。どうせ今日は徹夜でゲームする気だったし』
「変わらないね、青原君は」
『唯一の趣味だからな、仕方ない』
あくまでいつもの調子で、青原は話す。
それを彼女が望んでいたことなんて、知らないにも関わらず。
「…ねぇ。明日、一緒に出かけよう?」
『いいぞ。誰連れてくんだ?田中か?』
「ううん。二人っきりで」
だが、状況がそれを許さない。
少女は苦しみながら、青原をデートに誘った。
それをデートと取ったかは青原本人しか知り得ない。
それでも彼は少し間を置いてから、
『あ、ああ。分かった』
イエスと、運命の決断をしてしまった。




